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第二章 3



「リーフェ、そろそろ片付けに行かなくていいの?」

「家具の移動なら、もう新人にお願いしてるわ」


 え、と同僚のメイドたちが目を見開くのを見て、リーフェはふふんと微笑んだ。

 十日後に開かれる王太子候補の会議。リーフェを筆頭とした若いメイドたちは、日々の仕事のほかに家具の移動を任されていた。もちろん重量があるものは男性使用人の手を借りていいし、三日後までに済ませて欲しいという内容だ。


「でもさすがに一人では……私たちみんなでやっても間に合うかどうか」

「大丈夫よ。なんか、自信ある感じだったし」

(まあ、出来っこないだろうけど)


 とりあえず昼まで必死に働かせて、終わらなかったことを責めてやればいい。罰として一食くらい抜いてやれば、ここで働くのがどういうことか嫌でも分かるだろう。

 リーフェは湧きあがる愉悦を噛みしめるように、ゆっくりと口角を上げた。





 ――だがしばらくして、リーフェは完全に真顔になっていた。


「あ、あの、次は何をすればいいでしょうか」

「……え?」


 目の前に広がるのは、がらんとした部屋。

 先ほどまであちこちに置かれていた調度品はすべて姿を消しており、あるのはところどころ毛の折れた絨毯と、天井からつり下がる照明だけだ。リーフェががばっと振り返ると、背後にいたソフィアがびくりと飛び上がる。


(嘘よ! こんな……こんなはず……)


 運ぶ家具の中には、男が二人でかからなければ持ち上がらない重さのものもあったはずだ。ましてや一階から三階――とリーフェは慌ただしく階段を駆けのぼる。

 だが指定した三階の部屋には、一階にあったはずのあれこれがこれもまた見事に収められており、リーフェは言葉を失った。


(ど、どういうこと……?)


 恐る恐る時計を見る。時刻はまもなく正午を迎える頃で、リーフェが依頼してから一時間半しか経っていない。念のため絵画の額縁に触れてみる。ちゃんとした質感があり、幻ではないとリーフェは息を吞んだ。

 すると後ろについて来ていたソフィアが、怯えた様子で尋ねてくる。


「あ、あの、リーフェ先輩……?」

「ま、まあまあの時間ね!」


 するとソフィアは良かった、とばかりにほうと胸を撫で下ろしていた。念のためソフィアの手を確認してみるが、何か怪しいものを着けている気配もない。


(……?)

「せ、先輩?」


 困ったように微笑むソフィアを、リーフェはじっと睨みつけた。






 昼休憩の時間。

 食事の手伝いをする使用人以外は、厨房とその隣室でまとまって食事をとる。


「リーフェ! すごいわ、いつの間に終わらせたの?」

「え?」

「家具の移動よ。午後から手伝おうと思っていたけど、もう終わらせるなんて」


 勤続年数の長い先輩に褒められ、リーフェは一瞬ぽかんとした。だがすぐに得意げな笑みを浮かべる。


「あ、あれくらい簡単です!」


 さも自身の功績のように語りつつ、リーフェは内心冷や汗をかいていた。


(一体……どうやったのよ⁉)


 常識的に考えて、あの量を一人で動かせるはずがない。絶対に何かずるをしているはずだ、とリーフェは同僚たちの誘いを断ると、食事の盆を掲げたまま、そそそとソフィアの座るテーブルへと近づいた。

 ソフィアの隣には、同じく今日から働き始めたアイザックとエディがおり、三人は何やら話しながら食事をとっている。


「ソフィア、仕事の方はどんな感じ?」

「あ、うん。今のところ何とかなりそう、だけど……」

「お前な。200号の絵画一人で運ぶのやめろ。見た瞬間心臓が止まるかと思ったぞ」

「ご、ごめんエディ……」

(一人で?)


 聞き間違いだろう、とリーフェは静かに首を振った。

 だがどうやら彼らはソフィアの仕事ぶりを心配しているようだ。子細を知っているということは、きっと彼らがこっそり運ぶのを手伝ったに違いない。

 謎が解ければ単純なもので、リーフェはふふと勝利の微笑を浮かべた。改めてちらりと彼らの方を見ると、エディと目が合ってしまう。


「――っ!」

「?」


 青みがかった黒髪の下からのぞく金の目に、リーフェはどきりと胸を高鳴らせた。しかしエディはリーフェに気づいているのかいないのか、すぐにソフィアの方に向き直る。

 それを見たリーフェの心には、何故か猛烈な怒りがこみ上げてきた。


(なんでも男性に頼ればいいと思っているんだわ……次こそは!)


 リーフェはその後もちらちらとエディの方を見ながら、出来るだけ綺麗な姿勢で食事を続けた。







 午後。

 リーフェはソフィアを連れて、邸の裏手に向かっていた。


「次は薪割りをしてもらいます」

「は、はい!」


 二人の前に置かれているのは切り出したままの大量な木材。これに斧を入れて、厨房で使うのに適切な大きさにまで割っていく作業だ。


「とりあえずここにあるのをすべて。終わったら、あっちの倉庫にあるからそれも」

「こ、これ、全部ですか?」


 ソフィアが目を見開くのを、リーフェは嬉しそうに見つめた。


(ふふ、まあ無理よね。せいぜい手をマメだらけにするといいわ)


 実際のところ、力のいる薪割りは男性使用人が担当する仕事だ。だがいつもこなしている男性が腰をやってしまい、当面は今ある分を使ってくれという話になっていた。


「言っておくけれど、誰かの助けを借りるのはだめよ。これもメイドの仕事なんだから」

「わ、わかりました!」

「じゃあ、ちゃんとお願いね」


 がちがちに緊張し、途方に暮れるソフィアを残すと、リーフェはどこか晴れ晴れとした気持ちでその場を後にした。




 だが三十分後。


「あの、リーフェ先輩……」

「何? 用がないなら話しかけないで――」

「お、終わりました」


 は? とリーフェはあっけにとられた。言われている言葉の意味が分からず、何度か脳内で再生しなおす。


「終わったって……倉庫にもあるって言ったでしょ⁉」

「その、それも終わって、木材が無くなってしまったので」


 えへへ、と眉尻を下げて笑うソフィアに対し、リーフェはごくりと息を吞んだ。絶対嘘だそうに違いないと決めつけ、足早に作業場へと向かう。そこには先ほどまであった木材は一つもなく――ただ鮮やかな緑の芝が広がっていた。


「な、何もないじゃない! やっぱり嘘だったのね?」

「あ、いえ。ここにあると邪魔かと思ったので、倉庫に」


 倉庫に連れてこられたリーフェは、再びあんぐりと口を開いた。

 残り少なくなっていたはずの薪が、何故か壁一面ぎっしりと積み上げられている。代わりに切り出したばかりの木材はなく、あれだけあった資材がすべて均一に切り分けられていた。


「こ、これは、誰が運んだのよ!」

「あ、わ、私です。すみません、積み方が間違っていたなら直します!」

「……」


 信じられない、とリーフェは目の前にいるソフィアを見つめた。

 もちろん薪割り自体は、コツさえつかめば女性でも出来ない仕事ではない。だがあれだけの量をこんな短時間で作業する――おまけに、出来上がった薪を几帳面に積み上げるなんて芸当は、どう考えても女手一人で出来ることではない。というか男でも無理だろう。


「だ、誰かに手伝ってもらったんでしょう⁉ 正直に言いなさい!」

「あ、ええと、実は、その……」

(ほら見なさい! やっぱりさっきのどちらかが……)

「――おやリーフェ、お前さんがこの子を手伝いにくれたのかい」


 すると口ごもるソフィアの背後から、年配の男性が姿を現した。

 彼はいつも薪割りを担当している使用人で、今は養生しているはず……とリーフェは首を傾げる。


「そろそろ薪が足りなくなるんじゃないかって心配して来てみれば……いやーこの子はすごいよ! 女の子だっていうのに、まるで砂糖菓子みたいに次々割っていくんだ。見ていて気持ちが良かったねえ」

「お、恐れ入ります……」

「おまけに出来上がったのを運んでくれるっていうから、つい場所の指示だけしちまった。悪いな、何か問題あったか?」

「い、いえ……」

「リーフェもありがとな。わしの体が悪いと聞いて、この子を手伝いに寄越してくれたんだろう?」

「も、もちろんそうです! 早く良くなるといいですね!」


 そのやり取りを聞いていたソフィアがこっそり安堵しているのを、リーフェは苛立ちをあらわにしたまま睨みつけた。



 

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