第二章 2
「それではみなさん、これから二週間どうぞよろしくお願いいたします」
(……どうしてこんなことに)
足首まである長いスカートに白いフリルのエプロン。赤い髪はきっちりと編み込まれており、見た目だけなら完璧なメイドである。ちらりと横に視線を向けると、そこには男性使用人の制服を身に纏ったアイザックがわくわくと目を輝かせていた。
「おれ、こういう服着るの初めてだよ。一体どんなことすればいいんだろうな!」
「うるさい馬鹿。僕らの仕事はあくまでも監視と護衛だ」
反対側にいたエディもまた、同じような制服を着ており、その顔はかつてないほどの苛立ちを見せている。対照的な二人に挟まれたソフィアは、あらためてどうしてこんなことになっているのかを思い出していた。
(たしか、アードラー隊長が来て、それで……)
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「えーと君と君、あとそっちの君。ちょっと来てくれる?」
突然従騎士団に現れた「射撃隊隊長」で「鷲の加護者」でもあるアーシェント・アードラーは、軽い口調でそう言いながらソフィアたちを指さした。そのまま別室に連れていかれたかと思うと、いきなり『特別任務』を言い渡される。
「実はさるお邸に、使用人のふりをして潜入してもらいたいんだよねえ」
「さるお邸、ですか?」
「うん。君たち、クライヴ殿下のことは知ってるんだよね。実は来週末、他の王太子たちを招いて会議をすることになってさ。そこの護衛として、君たちに入ってもらいたいんだよねェ」
「……アードラー隊長。護衛任務は基本、正騎士以上があたるものなのでは?」
エディの言葉に、アーシェントはうんうん、と腕を組んで頷く。
「そうなんだよねえ。もちろん当日は正騎士も護衛につく」
「? ではどうして……」
「君たちには、使用人内部の監視をお願いしたいんだ」
その言葉にソフィアははっと目を見開いた。
(もしかして、この前の暗殺者が関係している……?)
先日のエヴァンからの刺客――クライヴは顔を知っているようだった。王太子候補らとともにこの国に来た使用人の中にも、危険な人物が紛れているかもしれない、と上は危惧したのだろう。
「正騎士は市街地巡回で顔を知られている可能性もある。幸い君たちは、まだ警邏の経験も浅いし、王太子候補の事情も知っているんだろ? あくまでも念のため、ということで」
「つまり使用人のふりをして忍び込み、不審な人物がいないか裏から見張る、というわけですね」
「そうそう。理解が早くて助かるよ、子猫ちゃん」
んなっ、とエディが気色ばむが、アーシェントはまったく気にした様子もなく、鷹揚と金の目を細めていた。やがて指を鳴らしたかと思うと彼の部下が現れ、ソフィアたちに何かを差し出す。
恐る恐る受け取ると、それは綺麗に糊付けされたメイド服だった。
「君たちの正体は、執事頭以外には秘密にしている。他の使用人たちから疑われないよう、うまーく仲良くやってくれ。ゴリラちゃんも、それまではこちらの任務優先で。
――というわけで、よろしくね」
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(……たしかに何をしたらいいのか……)
そうして三人が連れて来られたのは、クライヴが滞在している邸だった。他の候補者たちが集まるのに立地がいいらしく、大人数が集うのに十分なサロンや中庭も完備されている。
唯一事情を知っているという執事頭に連れられ、ソフィアたちは玄関ホールへと足を踏み入れた。するとそこにはカトラリーメイドから厩番まで、あらゆる職種の使用人たちがずらりと並んでおり、彼らはソフィアたちの姿をちらりと一瞥する。
ここにいるすべてが、クライヴを世話するために本国から連れてこられた使用人なのだろう。
(規模が……違う……)
ソフィアも地方とは言え伯爵令嬢の家なので、当然メイドは雇っている。だがその人数はしれたもので、親の代から付き合いのある古い顔ばかりだ。
だがここにいるのは公爵家に仕えて来たという自負のある猛者ばかり。言葉にせずとも分かるぴりぴりとした威圧感に、ソフィアは心の中だけでひいと悲鳴を上げた。
「今日から皆さんの仲間になります。君たち、自己紹介を」
「はい! アイザック・シーアンです! どうぞよろしくお願いします!」
「エディ・フェレス」
「ソ、ソフィア、リーラーと申します」
三人がそれぞれ名乗ると、張り詰めていた警戒がほんのわずかに緩んだ。特に女性陣は、にこにこと笑みを浮かべるアイザックと、物静かながらもその顔立ちだけで目を奪うエディに、まんざらでもない笑みを浮かべている。
一方ソフィアはなんともいたたまれない気持ちで立ち尽くしていた。
(うう、今日から二週間もここで……)
アーシェントの依頼は承諾した。だがいざ蓋を開けてみると、会議が始まる前――つまり今日から、使用人として働いてねという話だったのだ。
冗談じゃない、と憤るエディに対し「だってその日だけ入っても、建物の構造とか怪しい奴の動向とか分かんないでしょ」とアーシェントはさらりと言い返す。
(と、とにかく、物だけは壊さないようにしよう……!)
あちこちに置かれている豪華な調度品を思い出し、ソフィアは一人拳を握りしめた。やがて執事頭が名前を呼ぶと、一人の女性が前に進み出る。
長身のソフィアに引けを取らないほどすらりとした体躯で、濃茶の髪を後ろでまとめていた。
「リーフェ。先輩として、仕事を教えてあげてください」
「はい。わかりました」
「よ、よろしくお願いします」
どうやら教育係らしい、とソフィアは慌ただしく頭を下げた。リーフェはそれを見てにっこりと微笑む。アイザックたちの先輩も紹介され、やがて執事頭は全体に号令をかけた。
「それでは、今日も一日励みましょう」
それぞれが自分の担当場所に戻って行き、玄関ホールから人影が無くなっていく。残されたソフィアは、早速先輩であるリーフェの方を振り返った。
「あ、あの、それで私は何を」
「……」
だが先ほどの穏やかさはどこに行ったのか。
リーフェは静かに目を細めると、抑揚のない声でぼそりと零した。
「どうやって取り入ったの?」
「……へ?」
「公爵家で働くためには、伯爵位以上からの推薦状と厳しい試験をクリアしないといけないのに……どうしてアンタみたいな地味な子が、ほいほい入って来られるのよ」
「え、えーっと、それは……」
「ま、どうせ汚い手でも使ったんでしょうけど」
あまりの変貌に絶句するソフィアをよそに、リーフェはふんと腕を組んだ。
「覚悟してなさい。すぐに辞めたくなるようにしてあげるわ」
(覚悟も何も、二週間だけなんですが……)
ディーレンタウンでもよく聞いていた言葉だったが、まさかメイドになってまで言われるとは。しかしリーフェ以外頼る相手のいないソフィアは、名状しがたい不安を抱えたまま、押し黙ることしか出来なかった。
「最初の仕事よ。この部屋の家具を全部、三階に運んでちょうだい」
「これを全部、ですか……?」
リーフェから連れてこられたのは、一階にある広大な部屋だった。白の釉薬を下地に金で縁取りを施した壺や、ソフィアの身の丈を超える絵画など、王族が所有するに相応しい調度品の数々がところ狭しと並べられている。
「お付きの方の控室にするの。必要なものを運び入れるのに邪魔でしょう?」
「は、はあ」
「じゃあ、お昼までによろしくね」
はい? と聞き返す間もなく、リーフェは部屋を出て行ってしまった。一人残されたソフィアは慌てて時計を見る。時刻は十時半。昼まであまり時間がない。
(ど、どうしよう……と、とにかくすぐに取り掛からないと!)
下手なことをして追い出されたら本末転倒だ。
ソフィアはぶんぶんと頭を振ると、よしと拳を握りしめた。












