第二章 ひと夏の思い出(ただし仕事)
「男性が女性に服を贈るのは、それを脱がせたいという願望があるからだそうですわ」
カリッサのその言葉に、学園内のテラスで紅茶を飲んでいたソフィアは、思わず吹き出しかけた。
「ま、待って、それは一体どういう……」
「それでしたら、わたしも聞いたことがありますわ」
「そ、そうなの⁉」
にこやかに応じるアレーネに、ソフィアは思わず声をあげてしまう。
午前の授業が終わった昼休み。
普段は取り巻きたちに囲まれているカリッサだったが、今日はそれぞれ何か用があるらしく、珍しく一人で歩いていた。
そこを同じく一人でいたソフィアが目を付けられ、ほぼ強制的に目立つテラス席の中央に座らされたのだ。さらに近くを歩いていたアレーネまで捕まり、世にも珍しい三人組でお茶をしている。
「で、でも、単に自分の好きな服を着てもらいたい可能性も」
「もちろんそれもありますわ。でも深層心理といいますか、贈り物には選んだ方の本当の気持ちが込められているものでしょう?」
「そ、それは、たしかに……」
(どうしてこんな話になったのかしら……)
もちろんソフィアから口にするはずがない。
以前事件の時に協力した三人が揃ったことにより、カリッサがかつての恋人――レオハルトのことを思い出してしまったのだ。
彼に対する悪態を聞いているうち、いつしか話は『今まで付き合った男性のこと』になり、カリッサがその一例として挙げたのである。
(ル、ルイ先輩にもそういう意図が? で、でも、先輩はそんな……)
ソフィアは若干顔色を赤くしつつ、誤魔化すように紅茶を口に運ぶ。やがてレオハルトの話題に飽きたのか、カリッサがどこか得意げに次の話題を持ち出した。
「そういえばおじい様からこっそり聞いたのですけども、今この国にリーンハルトの王太子候補の方々がいらしているって噂、ご存じかしら?」
「うっ」
ソフィアの気管についに紅茶が詰まった。
カリッサの祖父は、王宮でもかなり上の役職についている。
「お忍びでの来国らしいので、公表はされていないらしいんですけども……なんでも先日、王宮で身内だけの歓待パーティーを行ったそうですの。ああ、わたくしも参加したかったですわ!」
「ソ、ソウナンダー」
人の口に戸は立てられぬ、とはどこで見た言葉だったか。
やはりどれだけ秘密裏に動こうとも、リーンハルトの王太子がこの国にいる、という話は徐々に広まりつつあるらしい。
「ソフィアは何か騎士団の方から聞いていませんの? 護衛の任務とかあるんじゃありません?」
「え、えーと、その、護衛任務はほとんど正騎士の仕事だから……」
「あら残念。そうなんですのね」
(うう、ごめんカリッサ……)
守秘義務もあるため、護衛任務にあたっているなどということも出来ず、ソフィアは心の中だけで必死にカリッサに謝罪した。そんなソフィアをよそに、カリッサはうっとりとした表情で宙を見つめている。
「リーンハルトの王太子候補といえば、やっぱりジル様かエヴァン様ですわね」
(ジル……にエヴァン?)
聞き覚えのある名前に、ソフィアははっと顔を上げた。
「カ、カリッサ、その、ジル様とエヴァン様って一体どんな方なの?」
「まあ! そんなことも知らないんですの? いいですわ、このわたくしが特別に教えて差し上げます」
カリッサはどこか得意げに、ふんと鼻で息をした。
「まずはジル・セルピエンテ様。過去に最も多く王太子を輩出した、リーンハルト一の名家のお生まれですわ。太陽を織り込んだような金の髪とサファイアのような碧眼で、それはそれは美しいお顔立ちだそうです。なにより穏やかで誠実なお人柄で、王太子の最有力候補者と言われておりますのよ」
「最有力候補……」
クライヴが口にしていた「ジル」とは、おそらくその人物のことだろう。兄上という呼称は気になるが、二人の間での親しさが関係しているのかもしれない。
「そしてエヴァン・ヒースフェン様。リーンハルトでは騎士団長の職をつとめられ、その武功は数知れず。特徴的な白い髪は、ヒースフェン家だけに見られる容貌だそうですわ。自他に厳しく、とても真面目な方だと聞いています」
(エヴァン……ヒースフェン……)
先日、クライヴに攻撃の手を向けた相手。カリッサの評と随分印象が違うが、ソフィアも実際に会ったわけではないので、なんとも判断がつかない。
だがいずれにせよ、気をつけておいた方が良いだろう。
「リーンハルトの王太子候補がこの国におられるなんて、滅多にない機会ですわ。どなたかお一人だけでもいいから、お会いしてみたいのに……。まあ国賓ともあろう方々に、そう簡単にお会いできるはずがありませんわよね」
「は、はは……」
実際のところ、クライヴがいるので既に一人は目にしているのだが。もちろん本当のことを言うわけにもいかず、ソフィアは言葉を濁すように残り少なくなった紅茶を口に運ぶ。
そこでカリッサが思わせぶりに咳払いした。
「……と、ところであなたたち、週末からの夏季休暇は何をなさいますの?」
こほん、と突然質問してきたカリッサに、二人はきょとんと首を傾げた。その態度に不満を持ったのか、カリッサはむうと眉間に皺を寄せる。
「夏季休暇ですわよ、夏季休暇!」
(ああ、そういえば……)
ソフィアたちの国アウズ・フムラは、一年を通して四季が存在する。比較的温暖な春と秋は良いが、夏は額に汗をかくほど暑く、冬は凍えるような寒さが訪れるのだ。
そして最も気温が高くなる夏至の日を挟んだ二週間。うだるような暑さから逃れるため、貴族たちの多くが休暇やバカンスにいそしむのである。
もちろんここディーレンタウンも例外ではなく、週末から二週間の夏季休暇が決定していた。当然昨年もあったはずなのだが、当時のソフィアはまだゴリラの加護を受けておらず、一人図書室で長編小説に取り組んでいた記憶しかない。
「わたくし、今年はケルツァにある別荘に行こうと思いまして。……も、もしもどうしても行きたいとおっしゃるのでしたら、あなたがたも一緒に来ても構いませんわよ?」
ふふん、と得意げに口角を上げるカリッサを前に、ソフィアはすみませんと眉尻を下げる。同じくアレーネも自身の口元に手を添えた。
「た、多分今年は、騎士団の訓練があるので……」
「申し訳ございません。わたしも、実家に戻るよう母から言われておりまして」
するとカリッサは何度か瞬いた後、つんと顔をそむけた。
「……ああら残念! わたくしの別荘から見える湖は、それはそれは美しいんですのよ? 素晴らしいお食事にデザートも用意して差し上げようと思っていましたのに、……つくづく間の悪い方々ですわね!」
ふん、と頬を膨らませてしまったカリッサを見て、ソフィアが慌ててとりなす。
「ご、ごめんね。せっかく誘ってくれたのに……」
「……べ、別に⁉ わたくしは全然、これっぽっちも、残念なんて思っていませんわ!」
「ま、また落ち着いたら、三人でお茶でもしよう?」
若干涙目になっているカリッサを前に、ソフィアは思わず口にした。だがいつも取り巻きたちに囲まれているし、余計なお世話だっただろうかとソフィアははたと口を閉じる。
しかし意外なことにカリッサは、しばらく押し黙ったあと「……しかたないですわね」と呟いた。それを見たソフィアとアレーネは、そっと視線を交わして微笑む。
(でもそっか、夏季休暇か……)
おそらく今年は従騎士の訓練がびっしり詰まっているのだろう。おまけに空き時間にはクライヴの護衛任務も控えている。
(どこかに出かける……のは難しいかもしれないけど……、少しだけでも、ルイ先輩に会えたらいいな)
やがて午後の始業を伝える鐘が鳴り、ソフィアたちは慌ただしく立ち上がった。
そしてようやく訪れた夏季休暇。
ソフィアは何故か――メイドになっていた。












