第一章 7
「王太子候補としてありえないよね。せめていたちそのものに変身できれば、女性の頸元を温めてあげることも出来たのに」
「そ、そんなことはないと思います! 素敵です、いたち! 可愛いし、格好いいし、それにその、ふかふかですし!」
ルイのことが頭をよぎり、ソフィアはつい強く拳を握ってしまった。あまりに熱が入ってしまった、と慌てて手を膝の上に戻すが、クライヴの笑いのツボにはまってしまったらしい。
「……く、は、……初めて言われたよ、そんなこと」
「へ?」
「『いたちの神』なんて、下手をすればモグラの加護より悪い外れクジだよ? それをどうしてそんな、きらきらした目で、ふふ……!」
(うう……)
まさかそこまで笑われるとは思っておらず、ソフィアは少しだけ恥ずかしくなる。だが勇気を出して言葉を続けた。
「た、確かに私も以前は、外れの加護があると思っていました。実際、ゴリラの加護なんて、恥ずかしくて人に言えないと思っていましたし……」
でも、とソフィアは顔を上げる。
「今は、外れの加護なんてないと思っています。大切なのは与えられた力をどう使うかであって……加護の種類でその人自身を評価するのは、その、おかしいかと……」
リスの加護でもソフィアを守ってくれたルイ。豹の加護者なのに、多くの人を傷つけようとしたレオハルト。加護によって与えられる力はバラバラで、それでもその力を揮うのはいつだって人間だ。
「いたちの加護には、いたちの加護の良さがあるはずです。それを生かすかどうかは、その加護者であって……、と、も、申し訳ありません! とんだ、差し出がましいことを……」
しゃべりすぎた、とソフィアは慌てて俯いた。だがクライヴは無礼を諫めるでもなく、ただ無言でカップの端を指先でなぞっている。
「なるほどね。……君がどうしてゴリラの神に愛されたのか、分かった気がするよ」
「え?」
「……ソフィア、本当にわたしの国に来るつもりはない? 君ならきっと、リーンハルトの女神になれる」
「め、女神ってどういうことですか?」
「我がリーンハルトは、動物神信仰が他の国より顕著なんだ。ゴリラの加護者である君なら、今すぐにでも教皇らが祀り上げるだろう」
それを聞いたソフィアは、ひいいと首を横に振った。
ゴリラ教なにそれ恐ろしい。教義は毎日の筋トレです。
「い、いえ! 私はまだ、未熟すぎて、それにやりたいこともまだ!」
「ふふ、冗談だよ。……さて、そろそろ行こうか。いい加減、番犬たちの居心地が悪そうだ」
そう言うとクライヴは、険しい目つきで睨みつけてくるアシュヴィンに軽く手を振った。立ち上がる彼に続き、慌ててソフィアも椅子を引く。
だがわずかに生じた殺気に、ソフィアは鋭く叫んだ。
「――殿下、伏せてください!」
クライヴがしゃがむのと同時に、ソフィアはコーヒーのソーサーを掴んだ。平らな面を斜め上空に向ける。つぎの瞬間カカカ、と細身のナイフが突き刺さった。
「クライヴ様!」
突然の出来事にざわつく客人の間を縫って、すぐさまアシュヴィンとルイが駆け寄る。ソフィアは二人にクライヴを託すと、改めてナイフの飛んで来た方向を振り仰いだ。
「殿下をお願いします!」
「ソフィア、何を」
「追いかけます!」
言うが早いか、ソフィアはソーサーに刺さったナイフをすばやく抜き捨てると、店員に「すみません、後で弁償します!」と言い残し、全力で駆け出した。
(投擲の可能な距離であれば、まだ追いつけるはず!)
積まれていた木箱を一足飛びに駆け上がると、家々の屋根の上へと登り出る。するとソフィアの姿に気づいた敵が、慌てて逃げ出すのが見えた。
「待ちなさい!」
わずかな幅しかない屋根の上を、犯人の男とソフィアが走っていく。その光景は非常に目立っており、真っ白なドレスのお姫様がいる! という無邪気な子どもの声に、ソフィアは速度を保ったまま顔を赤らめた。
(うう、恥ずかしい……!)
だが格好を気にして任務を達成できない方が問題だ。ソフィアは軽やかにスカートを翻すと、犯人との距離をじりじりと詰めていく。市民たちはいったい何の催しかと、次第にやんやと騒ぎ始めた。
やがて犯人が建物の隙間を覗き込んでいるのが見え、地上に逃げられてはまずいとソフィアは力強く一歩を踏み込み跳躍する。
「そこの人、ちょっと止まっ――」
だが足に力を入れすぎたのか、ソフィアの体は予想より空高く飛び上がっていた。
眼下には驚きに目を剥く犯人の姿があり、ソフィアはまずいと中空で抵抗する。しかし重力には逆らえず――落下していく自身の影が、犯人を包むように接近した。
「く、来るなー!」
「す、すみません! とまれな――」
いよいよぶつかるという瞬間、ソフィアはとっさに体を回転させた。硬直する犯人を両腕に抱きかかえると、そのまま自身の体を盾にして地上へと突き刺さる。
どこかの廃倉庫だったのか、木材の折れる音がばきばきばき、と盛大に響き渡った。
「――、大丈夫、ですか」
もうもうと立ち込める砂埃の中、ソフィアは恐る恐る声をかけた。犯人の男はどうやら無事らしく、少し離れた位置から怯えた目でソフィアを見つめている。
だがすぐに立ち上がると、脱兎のごとく逃げ出した。
「あっ、ちょっと!」
「い、命ばかりは――ッ!」
すると呼び止めたソフィアの目の前で、犯人の男が突如ぐは、と地面に倒れ込んだ。視線の先にはいつの間にか追いついていたアシュヴィンの姿があり、両の拳を肩の高さに構えている。
「貴様、ヒースフェンの手の者か」
「あ、……あ……」
「もう一発くらいたいか?」
鋭く睨みつけてくるアシュヴィンを前に、犯人は力なく首を振った。ようやく立ち上がったソフィアが、恐る恐るアシュヴィンに尋ねる。
「知っている方なんですか?」
「おそらく王太子候補……エヴァン様の手の者でしょう。ボタンについている紋章が同じです」
「やはりクライヴ様を狙って?」
「おそらくは」
「……殿下は『本国では狙われたことがない』とおっしゃっていましたが……」
「本国では、です。リーンハルトでは、クライヴ様の活動範囲が非常に制限されていたので、相手もおいそれとは手が出せなかったのでしょう」
「制限……ですか」
「それに我が国では、基本的に現行犯もしくは物的証拠による逮捕が原則です。一部の関係者しか連れて来ていないこの状況では、犯行を証明できる手立てが少ない。分かりやすく言えば『この国で暗殺されれば、その罪を暴くことは難しい』ということです」
危険はないとクライヴは笑っていたが、それはあくまでもリーンハルト国内での話。
避難に来ていた外国の地で「事故」や「事件」に巻き込まれてしまえば、それを明らかにするのは非常に困難を極めるだろう。
だが保護している王太子候補の身に何かあれば、糾弾されるのは当然この国であって――と気付いたソフィアはぶるると背筋を凍らせた。
「クライヴ様は『能力のない自分をわざわざ蹴落とす者はいない』とおっしゃいますが、それと他の候補者の思惑とは関係ありません。国を出ればこうなる可能性は間違いなくあると思っていましたが……まさか、こんなに早く手を出してくるとは」
「アシュヴィンさん……」
「至らぬところを、ありがとうございました。ソフィア殿は女性なのに、大変お強いのですね」
「あ、あはは……」
やがてルイとともに、クライヴが姿を見せた。クライヴはナイフを放った男を一瞥すると、はあとため息を零す。
「その目じりの傷……エヴァン殿のところでいつか見た顔だな。わたしを狙っても意味などないぞ」
「……」
「何度も言うが、わたしはジル兄上にすべてを託すつもりでいる」
(ジル兄上……?)
別の候補者の一人だろうか、と考えているうちに、アシュヴィンが手際よく犯人の腕を拘束した。そのまま引っ張られるように運ばれて行く姿を見ながら、ソフィアは先ほどのアシュヴィンの言葉を思い出す。
(この任務、今以上に気をつけておかないと……)
ソフィアはこくりと息をのみこむと、やがてしっかりと一歩を踏み出した。












