第一章 6
結局可愛らしい白いワンピースに着替えさせられたソフィアは、居心地悪そうにカフェのテラス席に座っていた。向かいにはクライヴがにこにこと微笑んでおり、少し離れたテーブルにルイとアシュヴィンが待機している。
そうそう街中で見ない美形がいるせいか。はたまたどこのご令嬢かと勘違いされそうなこの恰好のせいか。周囲から向けられるちらちらとした好奇の視線に、ソフィアは耐えることしか出来ない。
「あの、何故私たちだけで……」
「だってせっかくのデートなんだから、二人でないとね」
「王都の案内だったはずでは……」
ちなみに先ほどの店では、いつの間にか会計が済まされていた。目が飛び出るような値段の品をぽんと買ってしまう辺り、さすがに公爵家という感じがする。
ソフィアはついでに、最後に着た洋服の値段もこっそり確認した。だがやはり貯金を半分ほど崩してしまう覚悟が必要で、一人こっそりと肩を落とす。
(本当に必要なもの以外、実家にはあまり頼りたくないし……でも)
あの服を着た時の、初めて見るルイの顔が思い出され、ソフィアはううと眉を寄せた。とりあえず服のことは一旦保留にしようと決めたソフィアは、改めて任務へ集中する。
「殿下。私のことはもう十分ですので、そろそろ本当に行きたかったところを教えていただけないでしょうか」
「え? もう来てるけど」
「はい?」
「デートしようって、昨日言ったじゃないか」
「どこか行きたい所があったのでは……?」
「ああでも言わないと、来てくれないかと思って」
にやり、と口角を上げるクライヴを前に、ソフィアは本気で頭痛を感じ始めた。そんなソフィアの内心を知ってか知らずか、クライヴは優雅にコーヒーを口に運ぶ。
「連れ回してごめんね。……久しぶりなんだ、こんなに自由に出歩けるのは」
「? リーンハルトでは違ったのですか?」
「候補になる前は良かったんだけどね……。なってからはそりゃもう、世界が一変したよ」
突然王太子候補に抜擢されたクライヴは、他の候補者たちの何倍もの努力を余儀なくされた。帝王学をはじめとした勉強も一から励まなければならないうえ、人間関係もがらりと変わってしまったらしい。
「昨日まで冗談を言いあっていた友人が、いきなり敬語を使ってくるんだよ。殿下、ってね。息が詰まるようなごつい警護に囲まれて、通っていた学校も辞めさせられた」
「そんな……」
「親しかった女性はすべて身辺調査をされ、わたしが知らないうちに縁を切られていた。残ったのは全然知らない名前で、王太子選抜に有利な家柄の令嬢ばかり。女性はすべて等しく、いるだけで美しい花だというのにね」
ゆっくりと目を細めるクライヴの顔つきは、今までより少し違うようだった。
クライヴが今まで要求してきたあれそれの理由が少しだけ分かった気がして、ソフィアは恐る恐る言葉を続ける。
「大変……だったのですね」
「……そうだね。でも良いんだ。アシュヴィンだけはそのままでいてくれたから」
「そのままで、ですか?」
「うん。あいつとは小さい頃に知り合ったんだけどね。わたしが候補となった後も、何も変わらず接してくれた。……本当にありがたいよ」
本人には言わないけどね、と軽くウィンクするクライヴを見た後、ソフィアはそっとアシュヴィンを覗き見た。ルイとなにやら話しているらしく、相変わらず表情には乏しいが熱心に口を開いている。
(たしかにアシュヴィンさんといる時の殿下は、すごく自然だった気がする)
ソフィアとは立場も状況も違い過ぎるが、まったく見知らぬ世界に突然放り込まれる恐ろしさだけはよく理解出来た。ソフィアにルイやアイザック、エディがいたように、クライヴにはアシュヴィンという支えがあったのだろう。
「分かります。……そういう人がいてくれるだけで、自分はここにいてもいいんだ、と思えますよね」
「……やっぱり君は、わたしに似ている」
「え?」
「君はつらくないの? 男ばかりの騎士団にたった一人の女性だ。怖いことだって、たくさんあったんじゃないのかい」
窺うようなクライヴの言葉に、ソフィアはわずかに下唇を噛んだ。
もちろん、恐ろしいことはたくさんあった。学校で爆発物を抱えて走ったこともあったし、全校生徒を人質にとられたことも。挙句自分と拮抗――それ以上の相手と、素手で対峙しなければならないこともあった。
「それはもちろんありました。以前の私であれば、きっと逃げ出していたと思います。ですが私に与えられた加護だから、出来ることもあると気付いたので……」
「君の加護?」
口にした後で、ソフィアははっと続く言葉を呑み込んだ。
(ど、どうしよう、ゴリラって言ってもいいのかしら⁉)
戦闘系最強の一翼を担う、ゴリラの加護。素晴らしいと称賛する人がいる一方で、あまりの破壊力の高さに「恐ろしい」と震え上がる人もいる。ソフィアはたまたまそうした人に巡り合わなかっただけで、クライヴがそうではないと言い切れない。
(――でも)
ソフィアがここまで来られたのは、他でもないゴリラの神のおかげだ。ディーレンタウンを救ったのも、豹の加護者を撃退出来たのも、この力なくしてはあり得ない。
わずかに息をつくと、ソフィアは笑顔で続けた。
「……私は『ゴリラの神』から加護されています。とても強い力なので、恐ろしいと思われるかもしれません」
「……」
「ですが私は、それを含めて今の私だと思っています。そしてこの力は、誰かを守るためにふるうものなのだということも」
何とか言い切った、とソフィアは緊張を隠すようにして口を閉じた。
だが不思議なもので、今まで心の中でぼんやりと思い描いていたものが、言葉にすることでよりはっきりとした形を持ったように感じられる。
クライヴはしばしソフィアを見つめていたが、やがて優しく目を細めた。
「だから、あんな無茶をしたんだね」
「無茶?」
「最初に出会った時。君は男の私を庇って前に出た。本当に驚いたよ」
「そ、その節は、お恥ずかしいところを……」
「ううん。むしろわたしは感動したんだ。女性に守られるなんて、初めてのことだったからね」
リーンハルトでは、女性はすべてか弱く庇護すべき対象とされている。女性は男性の後を一歩下がってついていくものであり、男性の前に立つ――ましてや、危険から守るために戦う女性など、考えられなかったらしい。
「あの時の君の懸命な顔が忘れられなくて。気が付いたらこうして調べ上げていた。しかしまさか、ゴリラの神の加護者だったとは」
「あ、あの、やはりリーンハルトでも、ゴリラの加護は知られているのですか?」
「もちろん。だがうちではここ三百年近く発現した記録がない。どういう理由で加護者が選ばれているのかは謎だが、ここに君がいるということは、またしばらくは現れないだろうな」
(そうか、ゴリラと豹の加護者は世界に一人しか現れないから……)
だから君とぼくは運命なのだ、と豹の加護者が言っていた。陰ってしまったソフィアの表情に気づいたのか、クライヴはわずかに首を傾げる。
「ごめんね。何だか不安にさせてしまったかな」
「い、いいえ!」
「君をどうこうしようという考えはないから安心してくれ。もちろん、わたしの国に移住したいというのであれば、すぐに融通を付けさせるが」
「つ、謹んで、お断りします……」
本気のトーンで答えたソフィアに、クライヴはようやく普段の明るい笑みを見せた。空になったカップをソーサーに置くと、ゆったりと腕を組む。
「教えてくれたお礼に、わたしの加護も教えてあげよう」
「え⁉ い、いえ、そんな恐れ多い」
「期待させて悪いけど、大したことはないんだよ。わたしは――『いたちの神』の加護を受けている。分かるかな、あの長いネズミのような」
「わ、分かります!」
「能力はそうだなあ……木に素早く登れるとか、ああ、泳ぎも意外とうまいよ。もっともこれは加護なのかは分からないけどね」
(いたち……)
本物を見たことはないが、図書室の図鑑で絵を見たことがある。毛皮に覆われた体に丸い耳、つぶらな目が可愛らしかった印象だ。
(ルイ先輩と並んだら、可愛いだろうな……)
大きな枝の上で並ぶ二人の姿を想像し、ソフィアは思わず瞑目する。しかしクライヴはやれやれといった風に首を振った。












