第一章 4
昼休み。
食堂を訪れたエディが、呆れたような声色でソフィアに話しかけた。
「何やってんだお前」
「つ、疲れた……」
「大丈夫か? はい、水」
「ありがと、アイザック……」
心配そうなアイザックからコップを受け取り、ソフィアはあっという間に飲み干す。ようやく戻って来た元気と共に、ゆっくりとテーブルから顔を上げた。
(まさか、王都まで三往復する羽目になるとは……)
クライヴに許可を得たソフィアは、さっそく次の休み時間に王都まで走ろうとした。だが先ほどクライヴを別室に連れ込んだ現場を見られていたらしく、女子生徒たちから一体どういうことかと詰め寄られたのである。
本来であれば「仕事の関係で!」と返すところなのだが、当のクライヴが自身の正体について隠匿しておけという。となると当然曖昧な返答しか出来なくなるわけで……ソフィアは久しぶりに十重二十重の女子の輪に取り囲まれることとなった。
最初の機会はその対処で時間が潰れてしまったため、次の時間は鐘がなったのと同時に廊下へと飛び出した。そのままゴリラの脚力に任せて王都まで駆けたのだが――今度は運悪く、騎士団長が不在だったのだ。
さすがに授業を放棄するわけにはいかず、ソフィアは踵を返して学校へと舞い戻った。それをあと二度ほど繰り返してようやく、騎士団長にクライヴについてのあれこれを報告出来た、という次第だ。
ちなみに学校から王都までは片道約十キロ。ゴリラでもまあまあ限界である。
「さっそくで悪いんだけど、二人にお願いがあって……」
そこでソフィアはようやく、クライヴの経緯について二人に説明した。二人は当然驚いていたが、ソフィアの話を聞いているうち、エディがふむと顎に手を当てる。
「たしかに、リーンハルトは王太子を投票で決めると聞いたことがある。候補者の中から最も素養があり、民を統するにふさわしい後継者を選ぶのだと。……だがクライヴ・バジャーという名前は、あまり聞いた覚えが……」
「うーん、男に名前を呼ばれたくないなあ」
「――ッ!」
突然割り入った声に、三人は思わず立ち上がり背筋を正した。
いつの間にこの距離まで近づいていたのだろうか、件のクライヴがどこか拗ねたように唇を尖らせて立っている。その背後にはアシュヴィンの姿もあり、エディは慌てて頭を下げた。
「失礼いたしました。クライヴ殿下」
「ああ、君たちが関係者か。ここではばれたくないから、殿下はいいよ」
「は、はい」
「それより、わたしの話をしていたのかな?」
ぐ、と息を吞んだエディだったが、観念したのか正直に先ほどの話を明らかにした。クライヴは憤る様子もなくそれを聞いていたが、やがてあははと破顔する。
「その通りだよ。わたしは元々、候補になる予定すらなかったんだから」
「予定では、なかった?」
「うん。本来はわたしの兄がなるはずだった。でも……病で命を落としてしまったんだ」
聞けばクライヴの兄は非常に優秀な『獅子の加護者』だったらしい。その加護にふさわしい勇気と人望を兼ね備えており、間違いなく次の王太子に選ばれると両親は確信していたそうだ。
だが数年前、原因不明の発熱ののち兄は帰らぬ人となった。
時を同じくして王太子候補の選抜が始まってしまい、我が家は辞退をするものだとクライヴはぼんやり思っていたそうだ。
「でも父と母は、どうしても自分たちの息子が王太子になる夢を諦めきれなかった。だからさしたる才もない弟を、候補として無理やり擁立したのさ」
「そ、そのようなことは」
「気を遣わなくていい。無能なことは、このわたしが一番分かっているからね」
ふふ、と目を細めるクライヴは、本当に怒っていないようだった。その表情を見たソフィアは、先ほどの彼の言葉を思い出す。
(元々候補になる予定はなかった。だから『一番確率が低い』と……)
しかし元々は兄が座るはずだった席。無理やりに座らされることとなったクライヴは、はたしてどう思っているのだろう――とソフィアが考えていると、突然ぐいと腕を引かれた。
「ク、クライヴ?」
「そんなことよりソフィア。ここの仕組みを教えてくれ。リーンハルトにはないやり方だから、わたしもアシュヴィンも勝手が分からなくてね」
「あ、えっと、あの」
気づけばずるずると引きずられるように、ソフィアはクライヴに連行される。その光景をアイザックは困惑したように見つめ、エディは何かを見定めるようにじっと観察していた。
その日の午後は、まさに戦いの繰り返しだった。
クライヴは何かにつけてソフィアの元を訪れ、やれ医務室だ図書室だと連れ回す。ようやく案内が終わったかと思えば、今度は女子生徒たちから「クライヴさんとどういう関係ですの⁉」と詰め寄られた。
たまりかねたソフィアはクライヴに「距離感!」と何度も伝えたのだが、だって君しか頼れる人がいないんだと微笑まれ、結局ソフィアが説明させられる。
幸い護衛としては近くにいる方がやりやすかったし、アイザックやエディもさりげなくフォローしてくれた。アシュヴィンも気づけば傍にいてくれるため、不審な人物の気配を感じることもない。
(とはいえ……これが続いたら、私の生活が崩壊する……!)
放課後になり、ソフィアはようやくはああと息をついた。
色々と慌ただしい一日だったが、後はクライヴを王都に送って終了だ。だがその後に控えているであろう従騎士の巡回任務と、それ以降の護衛のことを考えてしまい、うっと胸の辺りを握りしめる。
(もしかしてクライヴ殿下の護衛任務って、学校でも校外でもってことなのかしら……)
明日は第一ケライノ。ディーレンタウンは休みなため、あまり考えたくはないが――一日護衛任務という可能性もある。
とりあえず騎士団に行って、ルイに今後の護衛計画について確認しよう……とソフィアは重たい足取りで廊下を歩く。すると背後から、聞き慣れた声が飛んできた。
「ソフィア、大丈夫だったか?」
「ル、ルイ先輩! どうしてここに?」
「団長から事情は聞いた。すまない、まさか学校に行くとは思っていなくてな」
どうやら騎士団長から話を聞き、ルイがわざわざ迎えに来てくれたようだ。クライヴの転入はルイにとっても寝耳に水だったらしく、申し訳ないと謝られる。
「殿下たちの要望には基本従うように、という上からの命令だが……王太子であることを秘匿しながら俺が護衛をするのは、なかなか難しいな……」
去年ならまだしも、卒業したルイが校内をうろうろしていては、クライヴが重要人物であると言いふらすようなものだ。
それに『豹の加護者』の事件もあり、ディーレンタウンの警備体制は今まで以上に強化されている。生徒外の人員を追加することは厳しいだろう。
「……やはり仕方がない。団長の指示どおり、殿下が通学されている間、俺は学校の周囲を警戒する。申し訳ないが、ソフィアたちは殿下の傍で監視を続けてくれ」
「わ、わかりました!」
人目を避けながら二人が捜していると、クライヴは中庭の噴水の傍で本を読んでいた。
先ほどまで大量の女子生徒に囲まれていたはずだが、どうやらアシュヴィンのひと睨みで蜘蛛の子を散らすようにいなくなってしまったようだ。
クライヴはソフィアの姿を見つけるとすぐに笑みを浮かべる。だが隣にルイがいると分かった途端、心なしか眉を寄せた。
「ソフィア。迎えに来てくれたのかい?」
「は、はい。あの……」
「殿下。早く王都に戻りますよ」
「ルイか。お前は別に呼んでないが」
「あなたをお守りするのが、わたしの仕事ですので。どうかご容赦を」
諫めるようなルイの言葉を、クライヴはやや不満そうに聞いていた。そのなんとも言い難い空気に、ソフィアはひええと口を閉ざす。
(この二人……微妙に合わないのかしら)
やがてクライヴはやだやだ、と大げさに首を振ると、ソフィアの元へと足を向けた。一転して朗らかな笑顔を浮かべたかと思うと、恭しくソフィアの左手を取る。
「ソフィア、先ほど聞いたんだが、明日は学校が休みらしいな」
「は、はい。そうですが……」
「ではデートしよう!」
「へ⁉」
口にした後で、国賓相手になんて言葉遣いを! とソフィアは慌てて右手で口を塞いだ。その行動が面白かったのか、クライヴは気を悪くした様子もなく、嬉しそうに手を握りしめてくる。
「ど、どうしてですか?」
「つい先日この国に来たばかりだからね。よければ案内してもらおうと思って」
「そ、それでしたら他にも適任は」
「君が良いんだ。だめ?」
手を握られたままのソフィアは、どうすればいいのと冷や汗をかいた。この場合のデートは言葉の綾で、ようはただの市街地観光だろう。もちろん護衛の精度を高めるために、ソフィアが付き添うのもおかしな話ではない。だが。
(ルイ先輩がいる前で、こんな……)
だがソフィアの不安とは裏腹に、ルイはいつもの声色のまま、そっと助け舟を出してくれる。
「殿下、案内でしたらわたしが」
「君が?」
「はい。王都は仕事で良く知っていますので、ご希望の場所にお連れできるかと」
だがせっかくのルイの提案に、クライヴはうーんと眉を寄せた。
「……華がない」
「華?」
「貴重な休息日だからね。やっぱり可愛い女の子と一緒に過ごしたいな」
というわけで、とクライヴは悪びれもせず、ソフィアの方を振り返って微笑む。
「明日は王都に集合。あ、騎士団の格好はだめだよ。目立つから」
「で、ですがそれでは任務に支障が」
「わたしを守るのは、彼の仕事だそうだから」
そう言うとクライヴは、実に楽しそうにさっさと正門の方へと向かって行く。
反論するタイミングを失ったソフィアは、恐る恐るルイを振り返った。すると実に珍しいことに、眉間に深い皺を寄せたまま静かにため息をついている。
かくしてソフィアは、貴重な休みの一日を潰すこととなった。












