第一章 2
数日後、その理由はすぐに判明した。
「ソフィア・リーラー。団長がお呼びだ。至急執務室にくるようにと」
「ひえっ⁉」
すっとんきょうなソフィアの声に、アイザックとエディが揃って振り返った。今日もいつものように市街巡回を終え、つい先ほど騎士団領に戻って来たばかりである。
「わ、私ですか? ひ、人違いでは……」
「いや、間違いない。いいから早くしろ」
ソフィアは肩を震わせながら、恐る恐るアイザックたちの方を見た。だが二人はそれぞれ「大丈夫?」「また何かやらかしたか?」と困惑した表情を浮かべている。
(も、もしかして、先日テーブルを壊した件で……⁉)
従騎士ともあろうに、いたずらに被害を増やしたと苦情が来たのだろうか。ソフィアは一体何を怒られるのかと心臓を縮み上がらせながら、走らないギリギリの速度で騎士団棟の廊下を急ぐ。
やがて一際豪華な扉の前に立つと、息を吐き切ったあとでコンコンと叩いた。応答があり執務室に入ると、呼び出した張本人である騎士団長以外に何人か――何故かルイの姿もある。
(ル、ルイ先輩? どうしてここに……)
そこでソフィアははっと目を見張った。ここにルイがいるということは――もしや、二人の交際について厳重注意が入るのだろうか。
(ど、どうしよう……口外した覚えはないし、規則にも特に書かれていないけど、もしかして騎士団内は恋愛禁止だったりする……⁉)
嫌な汗がどっと拭き出したのを自覚しつつ、ソフィアは恐る恐る騎士団長の前に立った。すると執務机に座す団長の傍に、見覚えのある青年の姿がある。
灰色の髪に黒色の目。以前巡回中に会った彼だ。隣にはあの金髪の男性もおり、にこやかな青年とは正反対の冷たい視線をソフィアに向けている。
(この人たち……どうして騎士団に?)
もしやテーブル破壊の件を裏付ける証人として呼ばれたのだろうか。結局何の件で叱責を受けるのか分からなくなったソフィアを前に、騎士団長がようやく口を開いた。
「ソフィア・リーラー。急で悪いが、君に頼みたい任務がある」
「は、……に、任務、ですか?」
「ああ。君にはクライヴ殿下の護衛補助にあたってもらいたい」
クライヴ殿下という呼び名に、ソフィアは床に向けていた視線をそろそろと上げた。
すると団長の隣で、灰色髪の青年が楽しそうに手を振っており、ソフィアは聞き間違いではないと息を吞む。
「しょ、承知いたしました! ……が、その」
「何か質問が?」
「そ、その、どうして私が指名されたのか、と思いまして」
騎士団の仕事に、国賓や要人の護衛があることは知っている。だがその任務は正騎士以上――中でも最も高い能力を有するとされる、王族護衛隊から選ばれることが多い。間違ってもソフィアのような従騎士の仕事ではないはずだ。
すると騎士団長は、珍しくううむと眉を寄せた。
「……君の疑問はもっともだ。それについてだが――」
「わたしが、一緒にいるなら君がいいと言ったんだよ」
突然割り入った声に、ソフィアはすぐにクライヴに目を向けた。すると彼は人好きのする笑みを浮かべたまま、静かにソフィアの元に歩み寄る。
「この前の一件で、君のことをすっかり気に入ってしまってね。騎士団に女性はいないと言われていたのに、まさかこんなに素敵な子がいるなんて」
「あ、あの」
「むさい男に囲まれるより、可愛い女の子に傍にいて欲しいだろう?」
そう言うとクライヴはソフィアの横に立ち、結んでいた赤髪の端を自身の指先に巻き付けた。いたたまれない緊張がぞわわとソフィアの背を走るが、これだけの人前で取り乱す勇気はない。だが。
(ル、ルイ先輩がいる前で、これは……)
幸いルイは仕事中の顔つきのままだが、ソフィアとしては気が気ではない。だがそんな内心もお構いなしに、クライヴはなおもにこにことソフィアに微笑みかけている。
やがてなんとも度し難いといわんばかりの表情で、団長がソフィアに告げた。
「――という訳だ。悪いが、特別任務としてあたってくれ」
「わ、分かりました……」
「もちろん君はあくまでも補助だ。主な護衛はルイ・スカーレルに担当させる。詳しい内容は彼から聞きたまえ」
(ルイ先輩もこの仕事に?)
ソフィアはちらりとルイに視線を向ける。ルイは団長の言葉に短く返事をした後、わずかにソフィアの方を見た。その瞬間少しだけ笑ったように気がして、ソフィアは慌ててきりりとした顔を保つのであった。
団長室を後にした四人はそのまま別室へと移動し、改めて任務についての説明がルイからなされた。
「彼はクライヴ・バジャー殿下。我がアウズ・フムラの友好国であるリーンハルトから来られた王太子候補だ」
「王太子……候補?」
「そこについてはわたしから言った方が早いだろう」
するとソファに座っていたクライヴが、優雅な所作で足を組んだ。
「我がリーンハルトの王位継承は少々特殊でね。五爵と呼ばれる五つの公爵家から、それぞれ王太子となるべき候補者を立てるんだ。約一年にわたる候補期間ののち、国民投票によって正式な王太子を決定する」
「血筋ではなく、ということですか?」
「厳密に言えば、五爵は元々王族の兄弟たちが興した家だから、その子孫であれば等しく王の血を引いているという考え方だね。以前はある一家から連続して継承した時代もあったけど、その家に適齢の子どもが生まれなかったことがあって以来、典範が変更されたと聞いているよ」
なるほど、とソフィアはようやく合点がいった。
騎士団の護衛がつく人物ともなれば、位としては王族や大公レベルが考えられる。だがソフィアはクライヴの顔にとんと覚えがなく、一体どんな身分の方なのだろうかと疑問に思っていた。
しかし友好国――しかも王太子となる可能性のある人物であれば、国賓としての扱いは当然だ。騎士団長直々の命令もうなずける。
ソフィアは改めて、クライヴに向けて深々と頭を下げた。
「分かりました、クライヴ殿下。どうぞよろしくお願いいたします」
「まだ王太子じゃないから殿下はいいよ。気さくにクライヴ、と呼んでほしい」
「は、はあ……」
「いやーでも良かった。これからしばらくこっちにいるのに、華がない生活なんて嫌だなあと思っていたんだよ」
「しばらく、ですか?」
目をしばたたかせるソフィアに気づいたのか、ルイがすぐに付け足した。
「クライヴ殿下がこちらに来られたのは、本国の状況があってのことだ。何でも原因の分からぬ流行り病が発生したらしい」
「流行り病、ですか?」
「ああ。現在すでに減少傾向にあるらしいんだが、運悪く王太子の選抜期間と重なってしまった。そのため候補者とその世話役だけを、一時的に我が国で保護する運びとなったそうだ」
「そういうこと。多分だけど、半年くらいはこっちにいるかもって感じかな」
(は、半年……!)
てっきり短期の旅行か視察程度を考えていたソフィアは、与えられた任務にあらためて愕然とした。団長の言葉通り、主に担当するのはルイなのだろうが、それでも随分と期間の長い話だ。
やがてクライヴは立ち上がると、ソフィアの手を取り優しく握りしめた。
「そう言うことだからよろしくね。改めまして、わたしはクライヴ。後ろにいるこいつは、秘書兼護衛のアシュヴィンだ」
「は、はい……」
アシュヴィンと呼ばれた金髪の青年は、怯えを孕んだソフィアの視線を叩き落す勢いで、こちらをぎろりと睨みつけた。薄い榛色の目にはえも言われぬ迫力があり、ソフィアはひいいと震え上がる。
(し、しっかりしないと……)
ソフィアは臆しそうになる心を奮い立たせると、アシュヴィンにも恐る恐る微笑みかける。だが彼は表情筋をぴくりとも動かさぬまま、鋭い目つきを向けたままだ。
そんなアシュヴィンをからかうように、クライヴが口をとがらせる。
「アシュヴィン、そんなに威嚇するな。ソフィアが怯えているじゃないか」
「オレは元々こういう顔です。第一、あなたに近づく者すべてを警戒するのは当たり前でしょう」
「あっ、だ、大丈夫です! これからどうぞ、よろしくお願いします……」
凍てつくようなアシュヴィンの視線と、朗らかに笑うクライヴに挟まれながら、ソフィアは自身の身の振り方にどうしようもないほどの不安を抱えていた。












