第五章 君と歩く、未来の先に
そしてディーレンタウンは春を迎えた。
襲撃事件の犯人たちはまとめて逮捕され、中でも『豹の加護者』であるレオハルトは、要注意人物として特殊な拘置所に送られたらしい。
その際彼と接触があった人物として、カリッサの名前が挙がった。
真実を知ったカリッサは嘆き悲しみ――んでいたのは数日で、あとは『わたくしを騙そうなどと千年早いですわ!』と取り巻きたちに対して怒り狂っていたという。
幸い事件の死者はなく、ソフィアたちは従騎士ながらよくやったと賛美された。
またソフィアが従騎士であることが公然となったことで、校内で絡まれる頻度が明らかに低くなった。
もちろん一番扇動していたカリッサが手を引いたことや、襲撃事件の際、一人勇壮に人質救出に立ち回った姿を見られていた、というのが大きな要因だろう。
その後行われた昇級試験にも、ソフィアは無事合格した。
当初は試験の日までに退院出来るかすら危ぶまれていたが、ソフィアは恐ろしいほどの回復速度を見せ、試験の一週間前には従来と同じ体調に戻っていた。
まさにゴリラの神さまさまである。
アイザックとエディ、カリッサたちも同じく試験を合格しており、三か月ほどの長期休暇を挟んだのち、揃って二年生へと進級する。
そして今日、ディーレンタウン最後の行事――卒業式が行われていた。
中庭、人が少ない木陰の下。
大ホールから出てきた卒業生の中から、ソフィアはルイの姿を見つけ出した。
「ルイ先輩!」
「――ソフィア」
式典用の礼装を纏ったルイが振り返り、待っていたとばかりに破顔した。ソフィアの後ろにいたアイザックとエディも、おめでとうございますとそれぞれ祝辞を述べる。
やがてアイザックが目を輝かせながら拳を握った。
「そういえば先輩、騎士認定試験の合格もおめでとうございます! これで晴れて正騎士になるわけですね」
「ああ。試験自体受けられるか微妙だったが……今回の件を実績として認めてもらえたからな」
三年間の従騎士経験を積んだルイは、正式に騎士団に所属するための認定試験を受け、見事に合格を果たしていた。
もちろん一番に合格の報を受けていたソフィアであったが、改めてルイにお祝いの言葉を贈る。
「先輩、おめでとうございます」
「ありがとう。これでようやく、目標に一歩近づけたという感じだな」
その言葉にソフィアはふと、二人で食べたケーキのことを思い出した。あの時ルイは『――目標を叶えるまで、まだ結婚など考えられない』と口にしていたはずだ。
「そういえば、先輩の目標って何ですか?」
「言ってもいいが笑うなよ。俺の目標は――王族護衛隊。そして騎士団長だ」
「騎士団長……!」
入団式の日、遠目に見た白い軍服がソフィアの脳裏に鮮明に蘇る。
王立騎士団の中でも、特に優れた騎士だけを集めたという王族護衛隊。その頂点である騎士団長。知らぬ誰かが口にしていれば、何を夢物語をと笑う者もあるだろう。
だがソフィアは、それが決して叶わぬ夢ではないことを感じ取っていた。
「す、すごく良いと思います! 先輩なら、きっとなれると思います」
「はは、ありがとう。まだまだ一番下っ端だけどな」
「スカーレル家は歴代騎士団長を輩出している大家でしたね。しかしそうなると……ソフィア、お前はライバルになるわけか」
突然のエディの言葉に、ソフィアは「うん?」と首を傾げた。
「ライバルって……何が?」
「知らないのか? 『ゴリラの加護者』が現れた治世では、必ず彼らが騎士団長を担ってきたと言われている。つまりお前は将来的に、騎士団長になる可能性が非常に高い」
「……ちょ、ちょっと待って⁉」
そんなこと初めて聞いた、とソフィアは開いた口が塞がらなかった。
そもそも王立騎士団の団員になった女性は過去例になく、ソフィアも今は従騎士として動いているが、正式な騎士になれるかどうかという確証はない。
騎士団長。ゴリラの加護者。必ず。
――あまりのことに目を白黒させるソフィアをよそに、ルイは相変わらず爽やかな笑みをたたえたまま「そうだな」と目を細めた。
「俺も君に負けないよう、もっと頑張らないといけないな」
「せ、先輩まで……」
ルイの輝かんばかりの笑顔を前に、ソフィアはがくりと肩を落とす。
そうしてしばらく雑談を続けていた四人だったが、やがてエディがちらりとソフィアの方を見た。続けてアイザックの背を叩き、そろそろ行くぞと促す。
「エ、エディ? 行くってどこにだよ」
「いいから。それではルイ先輩、ソフィア――あとはごゆっくり」
普段滅多に笑わないエディが、にこ、と意味深に微笑んだ。一方何が何だか分からないアイザックは、エディに背中を押されながら何度も背後を振り返る。
「エディ、おれまだソフィアと話したいことが……」
「いいから来い。僕たちがいても邪魔になるだろう。馬に蹴られたいのか」
「う、馬⁉ 馬の加護者がいるのか⁉」
やいやいと騒ぎながら去っていく二人を、ソフィアはぽかんと見送っていた。同じく顔を上げていたルイがぽつりと呟く。
「気を遣わせたか」
「へ⁉」
「俺たちを二人きりにしようとしてくれたんだろう」
ようやくエディの真意に気づいたソフィアは、内心パニックになりながら自らの行動を思い返した。
(も、もしかして、エディには、ばれてるの……⁉)
戦いの時か。いや、あの時はまだエディは到着していなかったはず。では病室での態度か――と逡巡していくうち、ソフィアは自身の顔が赤らんでいくのが分かった。
その様子を横目に観察していたルイだったが、あまりにわたわたと取り乱すソフィアが面白かったのか、ふふと思わず笑みを零す。
「ど、どうしてそんなに余裕なんですか⁉ もしみんなにばれたら……」
「別に俺は今ここで、全校生徒に公表しても構わないが」
「そ、それはやめてください!」
ルイが卒業することで、女子生徒からの妬み嫉みは多少減るだろう。が、それでも付き合っていることがばれたら、どんな嫌がらせを受けるか分からない。
せめてソフィアが卒業するまでは秘密にしてもらわなければ。
卒業、と思い出したところで、ソフィアはふいと顔を上げた。視線を感じたのか、ルイがどうしたと首を傾げる。
「あ、いえ……もう先輩と会えなくなるんだなあと思って」
「言われれば、いつでも会いに来るぞ」
「そ、そうではなく! 同じ所には、いられないんだなあ、と……」
騎士団と従騎士団は同じ領内にあるし、騎士たちが講師として就くことも多い。しかし任務や訓練の内容は全く異なるため、共にいられる時間は今よりもずっと短くなるだろう。
「もちろん、私もいつでも会いに行きます。でもやっぱり少しだけ、寂しいなあって」
「……」
忘れてください、と寂しそうに笑うソフィアを、ルイは静かに見つめていた。やがてこくりと息を呑み込むと、何かを決意したかのように口を開く。
「ソフィア。これは俺の勝手な願いなんだが」
「はい?」
「俺は君に、……王立騎士団まで、上がって来てほしいと思っている」
ざわり、と春の風が木々の葉を揺らす。ソフィアはルイの言葉を理解するのに時間がかかっていたが、ようやく「ええ⁉」と目を見開いた。
「わ、私が、王立騎士団にだなんて、そんな」
「もちろん無理にとは言わない。今まで騎士団に女性がいたことはないから、きっと君には余計な苦労をかけてしまうと思う。もちろん、おれで出来ることなら、何だってして君を守るつもりだが」
「……」
「それに君が……戦いを好む性格でないことも、よく承知している。……悔しいが、あの『豹の加護者』が君に告げたことは、正しいものだと思ったよ」
――『おかしいとは思わなかった? どうして選ばれた加護の種類だけで、その後の人生まで決められてしまうのか』
――『ぼくは嫌だった。だから自由に生きることにした。それだけだよ』
レオハルトの言葉を思い出しながら、ソフィアはそっと地面に視線を落とした。
ソフィアもまた、レオハルトの言葉すべてを否定することは出来なかった。レオハルトはレオハルトなりに、生きようと、考えようと足掻いて出した結論なのだろう。
『ゴリラの神』も『豹の神』も、この世界に一人しかいない稀有な力。
一歩間違えば、人を簡単に殺めてしまえるこの能力に、ソフィアとて怯えを持たなかったことはない。
だがソフィアは偶然にも良い仲間に恵まれた。
恐ろしい力を持つソフィアを、受けいれ、認めてくれた。レオハルトにもそうした相手がいれば――きっと違った未来もあったに違いない。
(互いに世界に一人だけの、加護者……)
押し黙ってしまったソフィアを、ルイは言葉を待つように黙視していた。しかし再度ソフィアに熱い視線を向ける。
「……それでも俺は、君に騎士団に来てもらいたい。女性である君が、ゴリラの神に選ばれたことには、きっと何か大切な意味があるはずだ。俺はそれを――君が起こす奇跡を、見届けたい」
「ルイ、先輩」
「それから、きっとこれが一番不純な動機なんだが……俺はこれからも、出来る限り君の傍にいたい。誰よりも近くで、君を守りたい」
鮮やかな緑の瞳が真摯にソフィアの目を射貫き、すっと大きな手が差し出された。
「だから――俺と一緒に、来てくれないか」
まるでプロポーズのようだ、とソフィアはぼんやりと思った。
(私が騎士団に……)
考えていなかったわけではない。
だが事実として騎士団に所属した女性はいないし、ソフィアがなれるかどうかも分からない。ゴリラの加護者であったとしても、大丈夫だと言い切れる保証はない。
普通に生きていくよりも、困難な未来が待ち受けている可能性も高い。
でも。
その道の先には――ルイがいる。












