第四章 10
「そんな、……その場だけの嘘でも、言ってくれてよかったのに……。そしたらここまで先輩が痛めつけられることは……」
「悪いが、冗談でも言いたくなかった」
「……先輩らしいですね」
ふふ、と笑うソフィアに、ルイは眩しいものを前にしたかのように目を眇めた。しかしほどなくして、ベッドの上で硬く組みあわせていた自身の両手に視線を落とす。
「俺は……騎士失格だ」
「……」
「好きな女性一人、守ることが出来なかった」
ぽつりと零れた慚愧の念に、ソフィアはこくりと息を吞んだ。爪先でぎりと手の甲を傷つけているルイの拳に指を伸ばすと、ソフィアは両手で柔らかく包み込む。
「そんなことはありません。先輩は、ちゃんと私を助けてくれました」
「しかし……」
「先輩がいてくれたから、私は最後まで戦うことが出来た。先輩は――本当に素敵な、私の、騎士様です」
二人の視線が、言葉をなくしたまま繋がり合う。やがてルイは降参だとばかりに口許を綻ばせると、穏やかに微笑んだ。
「……ありがとう、ソフィア」
「――はい」
するとルイがふと視線を逸らした。どうしたのだろうとソフィアが首を傾げていると、少々言いづらそうにルイが言葉を探している。
「ソフィア。その」
「はい、なんですか?」
「こういうことを、男の俺が言うのもどうかと思うんだが……」
「な、なんですか⁉」
「俺を殴ってほしい」
「……はい?」
「あの男が――レオハルトが君を迎えに来たと聞いた時、……ほんのわずかにだが、君はあいつを選ぶかもしれないと思ってしまった。でも君は何度乞われても、首を縦には振らなかった。それが本当に、本当に、嬉しくて……」
「あ、当たり前ですよ!」
「だからこそ、かすかにでも君の気持ちを疑ってしまった自分が許せないんだ。だから頼む。俺を殴ってくれ!」
ルイはソフィアの手をしっかりと掴み、じっと真摯な眼差しを向けてくる。どうやら本気であると察したソフィアは困惑し、背中に嫌な汗をかき始めた。
(殴るって……この状態の先輩を私が殴ったら、それこそ致命傷になってしまう……)
だがこうなったルイは、頑として譲らないことも経験上よく理解している。しばし悩んでいたソフィアだったが、やがて何かをひらめいたかのように目を見開いた。
「――分かりました。じゃあ、目を瞑ってください」
「ああ。頼む」
言われた通りルイが目を閉じる。
その姿をきちんと確認した後、ソフィアはそっと上体を屈めた。隣から覗き込むようにルイの顔を辿ると――彼の唇に、自身のそれを柔らかく触れさせる。
「――⁉」
途中でルイが目を開けてしまい、ソフィアは慌てて顔と手を引っ込めた。胸に抱え込んだ手のひらに、どくどくと早い拍動が伝わって来て、自分のした行動に今更ながら赤面する。
(わ、私、ルイ先輩に、キスしてしまった……)
見ればルイもまた顔を真っ赤にしており、いたたまれなくなったソフィアは椅子を転げ倒す勢いで立ち上がった。
「す、す、すみません! その、殴るより、こっちのが、私の気持ちが伝わるかなって、思って……!」
「い、いや、違う! 決して嫌だったとか、そういうわけでは……!」
「わ、私、そろそろ行きますね! 先輩もまだ休みたいでしょうし!」
慌ただしく頭を下げ、ソフィアはその場から立ち去ろうとする。だが踵を返す前に、ルイがソフィアの腕を掴んだ。
「ま、待ってくれ!」
「本当に、ただの出来心で、その――」
するとルイは手に力を込め、ソフィアをぐいと引き寄せた。バランスを崩したソフィアは思わずがくんと上体を倒してしまう。
そこにルイが顎を引き上げたかと思うと、今度はソフィアの唇に自身のそれを重ね合わせた。
「――⁉」
あまりのことに目を白黒させるソフィアだったが、ルイが放してくれる気配はなく、ひたすらに耐えることしか出来ない。
そうして――まるで永遠のようにも感じられたキスは、ルイがそろそろと顔を下ろしたことでようやく終わりを迎えた。
二人はまるで熱に浮かされているかのように、顔に朱を走らせたまま押し黙る。
やがてルイが小さな声で弁明した。
「す、すまない、どうすればいいか分からなくて、咄嗟に……」
「あ、いえ、私もその、混乱してしまって……」
ようやく二人の視線がぶつかり、ソフィアとルイは揃ってはにかんだ笑みを浮かべた。
「もう少しだけ……いてくれないか」
「……はい」
一度は立ち上がった椅子に、ソフィアは再度座りなおす。気づけばお互い手を握っており、その繋がりにソフィアは改めて恥ずかしくなった。
ちらりとルイを見ると、彼もまた同じような気持ちだったらしく、目が合った途端――いつものように目元に皺を寄せていた。
病室の白いカーテンがふわりと揺れ、暖かい陽光を滲ませている。
穏やかな――心地よい沈黙のなか、二人は自然と再び距離を縮めていた。
「ソフィア」
「……」
言外に問われた行為に、ソフィアは瞬きで返事をする。
ルイもそれを受け止め、三度唇を重ねようとした――ところで、病室ごと吹き飛ばされそうな大声が入口から鳴り響いた。
「ルイ先輩! ご無事ですか⁉」
「アイザック、うるさいぞ! ここは病院だ!」
元気のいいアイザックと、続けざまに怒鳴りつけるエディの声。病室に入って来たアイザックは、ソフィアを見て「うん?」と首を傾げる。
「ソフィア? どうしたんだ、そんな壁に張り付いて」
「えーと、うん、ここが落ち着くから……」
「何を言っているんだお前は」
一瞬の隙にルイの手を放し、やもりよろしく壁にへばりついているソフィアを見て、エディが眉間に皺を寄せていた。
あはは、と曖昧な笑いを浮かべるソフィアを眺めながら、ルイが口の形だけで何かを喋っている。
(ど・う・し・て・に・げ・る)
(む・り・で・す)
(も・う・ば・ら・す・か・?)
(だ! め! で! す!)
ソフィアもまたぱくぱくと金魚のように口を開いて応酬した。必死なソフィアに対して、ルイはどこか不満そうに頬を軽く膨らませている。
(うう、危なかった……)
二人が来ていなかったら……と想像し、ソフィアは一人顔を赤くした。












