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第四章 8


「――驚いた。肋骨を何本か折っていたはずなのに」


 レオハルトは両手を上げたまま、ひゅうと口笛を吹いた。彼の言葉を裏付けるかのように、ルイの体はまさに満身創痍。額や口からは鮮血がにじんでいる。

 さらには全身震えており、本来であれば立つことも出来ない重傷のはずだ。


「いいから、はなれろ」

「ルイ先輩、危険です、体が」

「ソフィア、はやくにげろ、ここは俺が」


 だがルイの言葉が終わらぬうちに、レオハルトは右足ですばやくルイを蹴り飛ばした。聞いているこちらが耳を塞ぎたくなるような苦悶が響き、ソフィアはたまらず絶叫する。


「ルイ先輩‼」

「だい、じょうぶだ、いいから、はやく……」

「まだ騎士(ナイト)気どり? もうあきらめて、彼女はぼくに譲ったらいいのに」


 レオハルトが間合いを詰めて、ルイに殴りかかる。ルイもまた剣身で受け止めるが、既に抗うだけの体力がルイには残っていないようだ。

 それでもなんとか気力だけで立ち上がり、ルイは必死になって応戦する。


「気取りではない、俺は、これからもずっと、彼女(ソフィア)の、騎士だ」

「……」

「お前なんぞに、譲る気は、ない‼」


 ルイの一撃がレオハルトの肩をかすめた。

 仕立ての良い服が破れ、レオハルトは忌々しく顔をゆがめる。


「小動物のくせにしつこいなあ……いい加減、ぼくらの前から消えてくれる?」


 しなやかに動くレオハルトの足が、再度ルイの腹を抉った。今度は庇いきれなかったのか、ルイの体は大ホールの壁へ勢いよく叩きつけられる。反動で上に吊られているシャンデリアが大きく揺れ、今にも外れそうな危険な音を立てていた。

 ソフィアは慌ててルイの元に駆け寄ろうとしたが、レオハルトに進行を阻害されてしまい近づくことが出来ない。


(どうしよう⁉ あんな体で……⁉)


 早く助けなければ、とソフィアは感情のままにレオハルトを攻撃した。だが力を受け流されたり、弾かれたりでかすり傷すら与えられない。

 耐え切れず焦燥するソフィアに対し、レオハルトは妖艶に微笑んだ。


「ふふ、リス野郎がそんなに心配? あーあ。ぼくもこれくらい、君に熱烈に愛されたかったな」

「うる、さい……!」

「最愛の彼もいなくなったことだし、もう一回だけ聞いてみようかな? ソフィア――ぼくの恋人になってよ」

「絶対、お断りです‼」

「あーあ。……また振られちゃった」


 ばし、とソフィアの拳をレオハルトが受け止める。するりとソフィアの腰に手を回したかと思うと、まるでダンスでも踊るかのような体勢で二人はホール中央でとどまった。

 レオハルトはソフィアを見つめ、そのままにっこりと口角を上げる。


「じゃあまた――来世で」

「――ッ」


 しかし次の瞬間、パァンと鋭い音が響き、レオハルトがさっと顔を左に傾けた。薄金の髪が数本散り、ソフィアはその隙をついてレオハルトの体を押し剥がす。


「――なんだ?」


 レオハルトはこめかみのあたりを、しきりに何度も撫でさすっていた。目の前で見ていたソフィアも何が起きたのか分からず、目を白黒させる。

 するとソフィアの足元に――ばさり、と大きな羽根が一枚落ちてきた。

 つられるように顔を上げると、上空に美しい翼が広がっている。



「レオハルト・ナミル。両手を上げて頭の後ろで組め」

「……アーシェント、さん……」


 半壊した大ホールの天井――美しい夜空を背景に、射撃隊の隊長・アーシェントが浮かんでいた。その脇に抱え上げられている人物を見て、ソフィアはさらに声を上げる。


「――エディ‼」

「ソフィア、無事か!」


 屋上から落下したはずのエディが、アーシェントとともに銃を構えていた。無事でよかったという気持ちと、なぜ隊長クラスと一緒にという疑問がない交ぜになり、ソフィアの思考回路はいよいよ限界を迎え始める。

 そんなソフィアをよそに、アーシェントは静かに言葉を続けた。


「人質はすべて解放した。周囲には俺の隊を見張らせている。諦めて投降しろ」

「騎士団か……思ったより早かったな」


 射撃場で会った時とはまるで違う――背筋を正したくなるようなアーシェントの声色に、ソフィアも思わず息を吞んだ。

 だが当のレオハルトはにっこりと艶美な笑みを零しながら、足元にあったナイフを拾い上げると、弄ぶように手の上で投げる。


「……投降の意志なしとみなす。総員、一斉射撃(サルボー)!」


 号令を合図にバサササ、と翼をはためかせる音が続き、半壊した天井から銃を携えた射撃隊の面々が姿を見せた。彼らの背には一様に立派な羽が生えており、ソフィアは圧倒的な光景を前に目を見開く。

 やがて銃弾がレオハルトめがけて一度に放たれた――が、キン、という高い一音が反響した。


「――遅い」


 レオハルトは手にしたナイフの側面を顔の前に掲げたかと思うと、自身に向かってくる銃弾の軌道を逸らしていた。

 いっそ優雅ともとれる立ち振る舞いで、レオハルトは次々と自らに襲い掛かる銃撃をいなしていく。


「な、なんなんだ……あいつ」


 常識では考えられないレオハルトの行動に、アーシェントもさすがに驚いているようだった。それを見ていたソフィアも「このままではまずい」という焦燥感にじりじりと急かされていく。


(騎士団でもダメなんて……でもここで何とかしないと……!)


 その時――ある一点を見たソフィアは、大きく目を見開いた。やがて喉を下すと、はあと短く息を吐きだす。

 そのまま両の拳を握りしめ、再びレオハルトに向けて構えた。


「――あなたを倒します」

「ソフィア⁉ やめろ! 銃撃に巻き込まれるぞ!」

「おや? まだやるのかな。君じゃぼくに勝てないのに」


 銃弾の嵐をかいくぐるようにして、ソフィアはレオハルトに戦いを挑む。一瞬でも気を抜けば跳弾に射殺(いころ)される――さながら死の舞踏のように、二人は大ホールで踊り続けた。

 ソフィアの拳が当たり、レオハルトがわずかに体勢を崩す。

 だがすぐに立て直すと、ナイフの刃をソフィアの鼻先でふるった。わずかに掠めたのか、ぴ、と頬に赤い雫が走り、ソフィアは思わず顔をゆがめる。

 それを見たレオハルトは恍惚とした表情を浮かべた。


「ああ、いいね。今の顔。最高に綺麗だ」

「……うる、さいッ!」

「いいなあ。いつまでもこうして、君と踊っていたい――永遠に」


 少しずつ、レオハルトの位置が後退する。弾幕のように途切れぬ狙撃のためか、ソフィアの必死の奮闘のためか。

 じりじりと足場を削られていくにも関わらず、レオハルトはただ悦楽のような表情を浮かべていた。


「でも……さすがにそろそろ終わりかな」

「――ぐっ⁉」


 ソフィアの首にレオハルトの手刀が決まった。ぐわんと世界が回転し、ソフィアはたまらず目を瞑る。

 そこにもう一打、レオハルトが掌底でソフィアの腹を叩く。あまりの痛みにソフィアは声を失い、その場にがくりと膝をついた。

 にこ、と口角を上げたレオハルトはソフィアの前に立ち、ゆっくりと手を伸ばす。


 ――だがその時、猛スピードの何かがソフィアの背後から接近してきたかと思うと、勢いを保ったままレオハルトめがけて突っ込んだ。


「ソフィア‼ はやく、逃げるんだ!」

「アイザック⁉」


 ボロボロで気絶していたはずのアイザックが、全身から血を滲ませながら立ちはだかっていた。 レオハルトに掴みかかると、奥歯を噛みしめながら取っ組み合う。

 そこに加勢するように、今までよりも強い銃声が鳴り響いた。


「アイザック! そのまま押さえておけ!」


 上空からエディが叫んだ直後、二射目が撃ち出される。弾はレオハルトの頬をかすめ、薄くやけどを負ったレオハルトが「チッ」と舌打ちした。



 

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