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第四章 6



(とはいえ、さすがに、重い……!)


 下ろそうにもこの足場では場所がない。ソフィアはどうしようとふらふらと足を進め、やがて大ホールの屋根へと彷徨いついた。

 たまらないのはアリ男の方で、首を振りながらじりじりと後退している。


「ソフィア、お、下ろせるか?」

「わ、分かんない、けど――あ、」


 鐘の音を出す機構である(ぜつ)がぐるりと回転し、ソフィアはバランスを崩した。男のいる方角めがけて鐘が傾き、ぎゃああという悲鳴と共に、男は自らが投げた鐘に押しつぶされかけている。


「あっ、どうしよう、とまらない⁉」

「ソフィア⁉」


 一度重心を崩した鐘は勢いを緩めることなく、そのままアリ男ごと大ホールの屋根を突き破った。立っていた足場がぼこりと崩れ、ソフィアの体はふわりと浮き上がる。


「――へ?」


 次にかかったのは強い重力だった。鐘が破壊した屋根に交じって、ソフィアはそのまま大ホールの只中に落下する。

 ぐわぁん、というけたたましい鐘声が鳴り響き、ソフィアは結構な高さからその隣に着地した。


「び、びっくりした……」


 以前はパーティー会場だった大ホール。絨毯張りの床には凸凹になった鐘が突き刺さっており、天井に掲げられたシャンデリアはぎしぎしと不安定に揺れていた。

 立ち込める粉塵や石材の破片にソフィアがむせていると、物々しい足音が複数近づいてくる。


(――ッ)


 本拠地にこんな形で殴り込むことになるとは、と後悔しつつも、ソフィアはすぐに立ち上がり周囲の状況を探った。

 かすかな視界の中、向けられる拳を受けては反撃し、襲ってくる男たちを次々と屠っていく。

 だがようやく砂埃が晴れた次の瞬間、ソフィアは自身の目を疑った。


「――ルイ先輩⁉」


 ソフィアを捕えようとする男たち。

 その向こう――ホールの奥にしつらえられた舞台の上に、ルイが横たわっていた。その姿を見た途端、ソフィアの体内にある血液が逆流するようにかっと沸き、考えるよりも先に駆け寄ろうとする。

 だがそんなソフィアを牽制するように、誰かがルイの体にどかりと足を乗せた。思わず足を止め、ゆっくりと視線で辿る。


 そこにあったのは玉座のような絢爛な椅子と――嬋媛(せんえん)とした態度で座る一人の男の姿。

 その正体を見てソフィアは思わず言葉を失った。


「あなたは――」

「やあ。久しぶりだねソフィア・リーラー」


 そこにいたのはカリッサの彼氏であったはずの――レオハルトだった。







「どうしてあなたがここに⁉」

「それはもちろん、ぼくが反政府派のリーダーだからだ」

「あなたは、カリッサの彼氏だったはずじゃ」

「そうだよ。この学園に潜入するためとはいえ、カリッサには悪いことをした」

「……騙していたのね」


 ようやく合点がいった、とソフィアは息を吞んだ。警備の厳重なディーレンタウンに潜入するために、レオハルトはカリッサを利用した。

 彼女のボーイフレンドとして学校に潜入し、今回の襲撃事件の手筈を整えていたのだろう。


 ふふ、と金色の目を優雅に細めたレオハルトは、椅子からゆっくりと立ち上がると、靴裏を強くルイに押し当てた。げふ、と踏みにじられたルイの体が震え、くぐもった吐息が零れる。

 たまらない光景を前に、ソフィアは鋭く叫んだ。


「やめて! どうして先輩を……」

「こいつは、ぼくのものに手を出したからだ」

「ぼくのものって、いったい……」


 だがソフィアが言葉を続ける前に、再び反政府派の男たちが立ちはだかった。

 一刻も早くルイの元に駆け付けたいソフィアの意志とは裏腹に、男たちに取り囲まれて防戦一方になる。

 それでも隙を見てひとり、ふたりと昏倒させていたソフィアだったが、奥にいた何人かが刃物を構えたことに気づいた。


(長剣にナイフ……どうしよう、あっちから倒すべきか――)


 だが判断を迷ったその一瞬、ソフィアの腕に強い力がかかった。見れば二人の男からそれぞれ拘束されており、拳をふるおうにもなかなか振りほどけない。

 その間に得物を持った男たちが接近してきて、ソフィアは万事休すかと息を吞んだ。

 すると上空から、ものすごい勢いで何かが落下してくる。


「――うわあああああ!」


 ほぼ墜落のような勢いのそれは、ソフィアの目の前にけたたましく着地した。驚愕するソフィアをよそに、落下箇所から長い足が旋回したかと思うと、武器を手にしていた男たちを蹴り飛ばす。

 はずみで床に転がった剣を掴むと、ソフィアの腕を掴んでいた男に突きつけた。


「ソ、ソフィアを、放せ!」


 助けに現れたのは、涙目のまま肩で息をするアイザックだった。

 剣を向けられた片方の男が怯んだ隙をついて、ソフィアはすぐに腕を引き抜く。アイザックがそのまま剣の柄で男を眠らせ、ソフィアはもう一方の男を力の限り殴りつけた。

 ようやく身軽になったところで、ソフィアは慌ただしく口を開く。


「ア、アイザック! あ、あんな高いところから飛び降りて大丈夫なの⁉」

「いや、正直すっごい怖かった……ていうか今も怖い……」


 ぎこちない笑顔を浮かべるアイザックだったが、『でも』とソフィアを見つめた。


「ソフィアが危ないのに、怖いだなんて言ってられないよ」

「アイザック……」


 まっすぐに向けられた瞳に、ソフィアは思わず感激の涙を浮かべそうになる。だがそんな二人の雰囲気を引き裂くように、レオハルトの愉しげな声が突き刺さった。


「なーんだ。てっきり怖がって尻尾振ってるだけかと思えば、子犬ちゃんもやる時はやるもんだね」

「……何なんだ、お前」

「彼はレオハルト。おそらく……この事件を起こした首謀者よ」


 どうやらアイザックもルイの惨状に気づいたらしく、彼を取り巻く空気がびりびりと張り詰めていくのをソフィアは感じていた。普段あれだけ明朗なアイザックが、はっきりと怒っている。


「ソフィア、ルイ先輩を助けよう。エディも早くしないと」


 味方が増えたという心強さもあり、ソフィアは活力を取り戻した。残る男たちをソフィアが殴り、アイザックは自慢の足で蹴り飛ばしていく。

 しかしあと二人、とまで迫ったところで、敵の男たちが突然床に倒れ込んだ。


 あまりに一瞬のことだったので、ソフィアは手を止め、しぱしぱと何度か瞬いた。すると次の瞬間――ソフィアの隣にいたはずのアイザックが、ゴッ、という硬い音とともに遥か遠くに吹き飛ぶ。

 弾かれたように振り返ったソフィアの瞳に、窓枠に出来た放射線状のヒビの中央で、ぐったりと座り込んでいるアイザックの姿が映った。


「――アイザック‼」

「おや、思ったより飛んだな。足腰の鍛錬が足りてないなあ」


 背中ごしにレオハルトの声がした。ソフィアは慌てて跳躍し距離を取る。


(何⁉ どうやって⁉ いつの間に⁉)


 だがソフィアの動揺を見透かすように、レオハルトはにっこりと微笑むと、再び恐ろしいほどの俊敏さで移動した。

 わずかな残像しか目で追えず、困惑するソフィアの鼻先に立つと、嬉しそうに目を細める。


「ああ……やっぱり君は良い」

「……⁉」

「君のことは、特に丁重に監禁しておくように伝えていたんだけど……あれくらいじゃ足りなかったな? 今度は電流が流れる枷を作ってみようか? それとも君が逃げ出したら友達が苦しむ仕掛けとか?」

「あなたは……一体……」

「ああ、そうだ。まだ言っていなかったね。ねえ、ソフィア――ぼくの恋人にならない?」


 ぞわり、とかつてないほどの悪寒に襲われ、ソフィアはもはや本能的に後方へと退いた。だがレオハルトもまた、同じだけの間隔を保ったままソフィアを追う。



 

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