第四章 5
「エディ⁉」
「――ッ、早く、上がれ……!」
咄嗟に飛び出したエディが、ソフィアの腕を掴んでいた。ソフィアは急いで手を伸ばし、なんとか屋根の上に身を戻そうとする。
だがソフィアがよじ登った途端、再び二つの銃声が響いた。一つは教室の窓ガラスをバシャンと割り砕き、もう一つは――エディの足元を貫く。
「――しまっ……!」
「エディ‼」
ソフィアと入れ替わるようにして、エディの体が闇底へと落ちていった。校舎は四階。しかも一段高い屋根の上だ。落ちて無事な高さではない。
「ソフィア、早く!」
「でもエディが! 私の代わりに!」
アイザックから強く引っ張られ、ソフィアは壁の裏へと慌ただしく転がり込んだ。心臓は今までにないほど激しく拍打っており、動揺と衝撃で手の震えが収まらない。
(私……私の、せいで……)
顔色を蒼白にしたソフィアの両肩を、アイザックは力強く掴んだ。
「しっかりしろ! エディならきっと大丈夫だ」
「でも、この高さからじゃ……」
「……」
助けに行かなければ、という二人の意見は一致していた。だが狙撃手の位置も分からない状態で降下するわけにはいかない。自ら的になりに行くようなものだ。
(せめて狙撃手を牽制できれば……でもこちらに銃はないし……)
その時、アイザックの担いでいたロープがソフィアの目に飛び込んで来た。アレーネから渡された特別製だ。
(たしか蜘蛛の糸は防弾素材にも使われていると、訓練で言っていたような……)
蜘蛛の加護者が作り出す繊維は非常に頑強で、その強度はソフィアも倉庫に閉じ込められた際、十分に実感していた。
「……アイザック、そのロープを貸して。ちょっとやってみたいことがあるの」
「? い、いいけど……」
ソフィアはロープを受け取ると、左右を掴んで何度か引っ張ってみた。かなりの力を込めるがゴリラの力をもっても切れる気配はない。
やがてソフィアは遮蔽物の陰から様子を窺い、すっくとその場に立ち上がった。
「ソフィア⁉」
「……」
先ほど狙撃された方角を目測し、ゆっくりと振り返る。呼吸を整え、獣たちが照準を合わせてくるタイミングを計る。
不思議なことに頭の中は恐ろしいほど静謐で、ソフィアは静かに息を吐きだした。
バン、と弾薬が夜を震わせたのと同時に、ソフィアはロープを力いっぱいぴんと張り詰めた――途端にバリン、と反対側にある男子寮の窓ガラスが割れ、中にいた人影が慌てて逃げ出したのが分かる。
「ソ、ソフィア?」
「――ッ」
何が起きたのか理解できないアイザックを残し、ソフィアは踊るように踵を返した。
再び銃声が鳴り響き、ソフィアがロープを全力で引き縛ったかと思うと、今度は建物の裏からぎゃあという悲鳴が上がる。
アイザックはそこでようやく、ソフィアが何をしていたかを理解した。
「まさか銃弾を……ロープだけで弾き返した……⁉」
弾丸のサイズ。ロープの幅。
理論上は不可能ではない、とエディなら言いそうだが、考えるのと実際にするのとでは天と地ほどの差がある。
また銃弾に耐えうる繊維であったとしても、ゴリラの加護者であるソフィアでなければ出来ない芸当だろう。
絹糸のような白銀のロープを、ソフィアはしゅるりと手繰った。冷え冷えとした月明りの下、ソフィアはまるで優雅な舞踏を終えたかのようで――アイザックは開いた口を閉じることすら忘れてしまう。
やがてソフィアは振り返り、口早にアイザックを急かした。
「アイザック、早くエディを助けに――」
だが頭上に現れた巨大な影に、ソフィアは慌てて空を仰いだ。降って来たのは――一塊はある岩石で、ソフィアとアイザックはそれぞれ左右に跳躍して身をかわす。
「また新手が……!」
大ホールに続く道筋に、数人の男が姿を現した。どうやらソフィアたちの騒動を聞きつけてきたのだろう。
岩を投げてきたのも彼らの一人らしく、膂力に特化した加護者がいるのだろうとソフィアは視線を巡らせた。
「おいおい、本当に逃げ出してるじゃねーか。しかも女がいるとは」
「まったく、俺らの手をわずらせるんじゃねえよ」
「……ッ」
大柄な男の一人が足早に駆け寄り、アイザックめがけて拳をふるう。だがアイザックはすぐさま回避し、ソフィアはほっと胸を撫で下ろした。
しかし安心している暇はなく、鋭い風圧を首元に感じたソフィアは、警戒を強めながらぐるりと身を捩る。
そこには三角の細い目をした男が立っており、今までの手下たちとは違う威圧を纏っていた。
「女を斬るのは趣味じゃねえが……悪く思うなよ?」
「――!」
糸目の男は、片腕をソフィアの顔めがけて振り抜いた。上体を逸らしたソフィアだったが、妙な胸騒ぎがして出来るだけ大きく男との距離を取る。
するとソフィアの足元が、鋭利な刃物を叩きつけたのように切り刻まれた。
(何これ、腕が刃物みたいに……)
ソフィアの動揺を感じ取ったのか、糸目の男はにいと目を細めた。どこか得意げに自らの能力を自慢する。
「驚いたか? 俺は『カマキリの加護者』で――ゴフォ⁉」
「あ! ごめんなさい、つい」
口上の途中だったが、ソフィアは隙ありと糸目男の腹に拳を突き立てていた。
まさか戦いの最中で、反撃されると思っていなかったのだろうか。カマキリ男はとんでもない勢いで後転し、そのまま校舎の縁から中庭の池へと落下した。
「……」
「……」
「あ、……あーすみません……」
いったん動きを止めて目を見張るアイザックたちと、なぜか謝罪してしまったソフィアの前に、焦燥した男たちがわらわらと大挙してきた。
ソフィアはひええと肩を震えさせるが、襲われては次、襲われては次と、実に見事な身のこなしと一撃必殺(多分殺してはいない)の拳をもって、大ホールまでの道を綺麗に掃除していく。
「な、なんだこの女⁉」
「ありえねえ⁉ 人じゃねえ⁉」
「おいあれってもしかしてボスが言ってた『ゴリラの――』――うっ!」
げふ、ごは、がはあ、とやられ三段活用を残しつつ、男たちはあっという間に陥落していった。
先ほどの一人をようやく仕留めたアイザックが、キラキラとした瞳をソフィアに向けてくる。
「ソ、ソフィア! す、すごいな!」
「あ、ありがとう……」
泣いていいのなら、目の幅と同じだけ涙を流したい。
敵とはいえ、自分より体格のいい男たちから「人ではない」と称され、ソフィアは何とも言い表せない悲しみに浸っていた。
組手の時、相手が怪我をしないよう力を制御していたのは正解だった、と一人心の中でごちる。
(――でも、この力のおかげで私は今、……戦えている)
あれだけ嫌悪していた力が、すっかり自分の一部となってしまった――と考えていたソフィアの目の前に、再び立派な岩石が落下してきた。
けたたましい音を立てて屋根の一部が破壊され、ソフィアは飛んで来た方角――大ホールの屋根に目を向ける。
「これ、あの人が……?」
視線の先にいたのは、エディより細身な男性だった。だがその手には先ほどと同じような岩が持ち上げられており、まるで大砲のようにソフィアたちめがけて投げてくる。
体に似合わぬ怪力――『蟻の加護者』だろうか。
「あの人が、大ホールの道を塞いだのかも」
「でかい岩か……たしかに」
やがて投げる物がなくなったのか、男は一旦投擲を止めた。今が好機かとソフィアたちは男を捕らえようと全速力で走り出す。
すると男は大ホールのシンボルでもある鐘楼から、巨大な釣り鐘を取り外していた。
そのままよいしょと肩に担ぐと、ソフィアたちの方を一瞥する。
「ま、まさか、投げてくる気じゃ……」
期待を裏切ることなく分銅がガラン、と豪快な音を立てた――かと思えば、次の瞬間、鐘青銅の塊が弓なりに飛来してくる。
まともにぶつかればひとたまりもない、と二人は揃って目を剥いたが、ソフィアはすぐに膝を曲げるとすうと息を吸い込んだ。
グラァン、と金属の悲鳴があがる。
隣にいたアイザックは反射的に目を瞑り――やがて、先ほどよりも大きく見開いた。
「ソ、ソフィア⁉」
「い、たた……」
総重量がどれほどになるか分からない釣り鐘を、なんとソフィアは二本の腕だけでしっかりと受け止めていた。
さすがに向こうも驚いたのか、驚愕している表情だけがかろうじて分かる。












