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第四章 3



「――あいたた……ああ、やっぱり……」


 ぱらぱらと崩れた石片を払いながら、ソフィアは体を起こす。校舎の壁には巨大な鉄球がぶつかったかのような、蜘蛛の巣状の大きなひびが入っていた。

 二人の男はその中央に標本のように張り付いており、ソフィアはすみませんと軽く両手を合わせる。


(こっちから来たということは、この先に人質か仲間がいる……?)


 ソフィアは近くにあった倉庫に男たちを放り込むと、扉の下の隙間に金属の棒をはめ込んだ。簡素な仕組みだがソフィアの怪力で押し込んだため、簡単に開かれることはないだろう。

 彼らへの対処は後で考えるとして、ソフィアは一番近くにあった教室の扉に耳を寄せた。

 中からかすかに物音がし、ソフィアは急いで開けようとドアノブを掴む――しかし鍵を掛けられているのか、ガチャガチャと音を立てるばかりで、ソフィアは苛々と焦燥した。


(ああ――もう、ごめんなさい!)


 たまらず腕の力を全開にして、ソフィアは蝶番ごと扉を破壊する。突然の破壊音に教室内から悲鳴が上がり、立ち上がる木くずや埃も相まって、阿鼻叫喚の地獄絵図となってしまった。


「ご、ごめんなさい! 無事ですか⁉」

「ソ、ソフィア、……?」


 中に閉じ込められていたのは十数人の生徒――その中には、カリッサとその取り巻きたちの姿があった。皆手と足を縛られており、ソフィアはすぐに彼女たちの前にしゃがみ込む。


「こ、これはどういうことですの?」

「あなた、一体どうして……」

「ごめん、説明は後。とりあえず縄を切るから手と足を出して」


 困惑するカリッサの手を取ると、ソフィアは飴細工を崩すようなたやすさでロープをひきちぎった。目を疑うようなその光景を前に、カリッサとその取り巻きたちは言葉を失っている。


「ソフィア、あなた一体……」

「ええと、その、色々ありまして……」


 目を泳がせながら、ソフィアは隣の生徒たちの縄も解きにかかった。するとどこかで聞いた「ソフィアさん」という声に思わず顔を上げる。

 そこにいたのは以前ソフィアを倉庫に閉じ込めたアレーネだった。


「アレーネ、大丈夫?」

「は、はい……ありがとうございます……」


 全員を解放したことで、教室内に少しだけ安堵の空気が流れた。だがソフィアはわずかに眉を寄せる。


(まだ敵の全景が見えてない以上、むやみに逃げ出すのは得策じゃないわ……学校側に異常があれば、王都にも連絡は行くと思うし……今はとにかく人命を守らないと……でもどうやって……)


 そこでソフィアは何かを思い出したかのように、大きく目を見開いた。顔を青くしているアレーネの手を取り、強く握りしめる。


「アレーネ、お願いがあるの」

「は、はい! な、何でしょうか……」

「私がこの部屋の扉を戻す。そうしたら内側から糸を使って、開かないように糸で完璧に固定してほしいの」

「し、閉めてしまう、ということですか……?」


 これだけの人数が一度に逃げ出せば、多少の陽動にはなるかもしれない。しかし万一犯人らが激昂し、人命を無視した手段を講じないとも限らない。

 となれば、下手に逃げ出すよりも手足が自由な状態で籠城した方が安全である、とソフィアは判断した。

 だがその説明をするより前に、覇気を取り戻した上級生の男子生徒たちが、ソフィアの指示に対して文句をつけ始める。


「おい、俺らにまた閉じこめられとけっていうのかよ!」

「今逃げ出しても、犯人たちと遭遇する可能性が高いんです。騎士団が到着し、校舎内の安全が確保できるまでここから動かずに――」

「なんでお前にそんなこと指図されなきゃいけねーんだよ!」

「それは……」


 ソフィアはぐ、と唇を噛む。たしかに彼らから見れば、後輩でしかも女のソフィアから命令されることは、非常に気に入らないことだろう。

 どう説得するべきかとソフィアは思考を巡らせる――しかしほどなくして、強気な女性たちの声が背後から上がった。


「何よ、自分たちだってみすみす捕まって来たくせに」

「そうですわ。ソフィアが助けて下さらなければ、ずっとあのままでしたわ!」

「な、なんだお前たちは!」


 そろそろと振り返る。すると普段あれだけソフィアを目の敵にしていたはずの取り巻きたちが、なぜかソフィアを擁護するようにやんやと騒いでいた。

 最初は男子生徒たちも反論していたが、ああいえばこう言うという舌戦に次第に苦慮し始める。


(あああ、もう何かよく分からないけど、時間が惜しい――)


 仕方なくソフィアは制服のポケットから、一つの飾りを手に取った。

 指先で位置を正し、不服そうな男子生徒たちに見せつける。


「――私は第百五十六期従騎士団所属、ソフィア・リーラーです。ここは私の指示に従ってください」

「従騎士、団だと……⁉」


 それは入団当初に配られた従騎士の紋章だった。

 常に身に着けていろと言われたものの人に見られるわけにはいかず、ずっとポケットの奥で寝かせていた。まさかこんな場で役に立つとは。

 従騎士の名乗りはどうやら男子生徒には効果覿面だったらしく、先ほどまでごねていた面々が一斉に押し黙った。

 おまけに援護してくれていたはずの取り巻きたちも絶句しており、ソフィアと紋章とを何度も見比べている。

 その表情を前に、ソフィアはそっと心の中で涙を拭った。


(さよなら私の穏やかな学校生活……)


 だがおかげで双方ともソフィアに意見することはなくなり、すぐに籠城の準備が進められた。

 アレーネの生み出すしなやかな蜘蛛の糸が扉を覆い、頑強な盾を作り上げていく。その光景を眺めながら、ソフィアは次の行動を考え始めていた。


(このまま人質を解放し続けて、異常に気づいた騎士団が助けに来るのを待つ……でも遅れて翌朝なんてことになれば、状況は絶望的だわ。それよりも敵の勢力を削りながら、……人数によっては主犯格を制圧するということも……)


 一番に優先したいのはルイやアイザック、エディとの合流だ。しかしソフィアがひとり別室で、しかも厳重に縛られていたことを考えると、従騎士である彼らもまた、特に注意すべき人物として扱われていることだろう。

 とここで、ソフィアはかすかな違和感を覚えた。


(たしかにルイ先輩たちを警戒するのは分かる……でもどうして私まで?)


 先ほどの反応を見てしかるべく、ソフィアは自身が従騎士であることを、公には明かしていない。

 ルイやアイザックたちにも緘口令を敷いていたので、ディーレンタウンの生徒の中で知る者はいないだろう。

 ならばどうして、他の生徒と違う扱いをされていたのか。


(犯人は――私のことを知っている?)


 やがてアレーネの作業が終わり、教室内は仮初の安全が保たれた。とりあえず今は他の人質を助け出すのが先だと考えたソフィアは、教室の一角に椅子を積み上げたかと思うと、よっと天井裏に頭を差し入れる。


「ソフィア? 何をしていますの」

「廊下を移動すると敵に気づかれる恐れがあるから、屋根裏から校舎内を移動しようか……と……」


 しかしソフィアはすぐに言葉を失った。

 校舎の屋根裏には全く光がなく、どこがどこに繋がっているのかとんと見当がつかない。おまけに埃まみれで、蜘蛛の巣もあちこち散見していた。

 だが背に腹は代えられない、とソフィアが体を屋根裏に滑り込ませようとした瞬間、下から二つの声が挙がる。


「わたくしを連れて行きなさい!」

「わたしを連れて行ってください!」

「カリッサ……とアレーネ?」


 するとカリッサが恥ずかしそうに口にする。


「わたくしは……その……」

「カリッサ?」

「……ああ、もう! 絶対誰にも言いたくなかったというのに! ……わたくしは、その……『モグラの神』の加護者ですわ。暗いところであれば、普段以上の視力を発揮できます。屋根裏を移動するのであれば必要な力なのでは?」

「えっそ、そうなの⁉ でもすごい汚れているし……」

「あ、あなたに借りを作ったままでは、私の気がすみませんの!」


 隣にいたアレーネもおずおずと口を開く。


「わ、わたしは、別の教室の扉を封鎖するのに、お手伝いが出来ればと……」

「無理はしないと約束しますわ。他にも人質がいるのなら、少しでも早く動けた方がいいのではなくて?」


 その言葉にソフィアは体の奥がじわりと温かくなるのを感じた。

 そうだ。悩むよりも、今は大切なものを――命を救わなければ。


「――ごめん。二人とも、お願いしていい?」



 

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