第四章 2
「いいのか? それならゆっくり話せるな」
「え⁉ あ、はい。私は大丈夫ですが、先輩はいいん、ですか……?」
「もちろん。本来なら俺の部屋に招きたいんだが、いかんせん数日留守にしていて、これから掃除が必要なところだからな……」
「あ、あはは……」
(うう、私ばかり、何か期待していたようで恥ずかしい……)
平然とした様子で答えるルイを見て、ソフィアは一人羞恥に苛まれた。やがてルイは腕時計を確認したかと思うと、悪いと片手を上げる。
「校長室に行く予定があったんだ。また後でな」
「は、はい!」
ルイは爽やかに手を振り返し、校舎の方へと戻っていく。その後ろ姿を眺めながら、ソフィアは改めて「本当に私、ルイ先輩と付き合っているんだ……」と唇を噛みしめた。
本当は夢ではないのかと頬を叩いて確かめたいほどだ。ゴリラがするならドラミングだろうか。
しばしうっとりとしていたソフィアは、すぐにはっと目を見開く。
「へ、部屋の掃除をしないと!」
慌てふためきながら、ソフィアは急いで寮へと戻ろうとする。すると撒いたはずのカリッサたちが、いつの間にか裏庭に回り込んでいた。
ソフィアの姿を見つけ出すと、野生動物のように目を輝かせる。
「いましたわ!」
「ソフィア・リーラー! 今度こそ逃がしませんわよ!」
(――ひいいいい! 忘れてた!)
どどどと舞い上がる土煙を背景に、ソフィアは再び鬼ごっこを開始した。
結局午後の授業が始まるまで、ソフィアはカリッサたちと必死の攻防を繰り返した。 その夜、ようやく部屋を整えたソフィアはふうと額を拭う。
(間に合ってよかった……調理室も貸してもらえたし)
ちらとテーブルの上を見る。そこには焼きあがったばかりのマフィンが並んでおり、ソフィアははにかむように微笑んだ。
何ももてなし出来ないとは言ったものの、少しでもルイが喜んでくれればと思い準備したものだ。
窓の外を見る。
外はすっかり暗くなっており、皆自室に戻っているのか寮内も至って静かだ。はたしてルイはいつ来るのだろうか、とスカートの折り目を正しながら彼の到着を待つ。
やがてゴンゴン、と強く扉を叩く音がし、ソフィアは慌てて立ち上がった。客人を迎え入れるため鍵を開きドアノブを回す。
だが正面に立っていたのはルイではなく――黒い布で顔の半分を覆った大柄な男だった。
「――な、」
ソフィアは反射的に後ずさるが、男は勢いよく部屋に乗り込んできて、そのままソフィアの首を掴み上げた。
同時にびりとした痺れるような痛みが襲ってきて、ソフィアは目を見開く。
(何⁉ 誰⁉)
一瞬気絶しそうになるが、ソフィアはすぐに体勢を立て直すと、男の腕を両手で掴み上げた。
みしみしと音を立てる激痛に耐えられなくなったのか、男はたまらず手を放す。その隙をついて、ソフィアはぐるんと男の体を床へと叩きつけた。
「――ぐはッ!」
「はっ、あ……」
必死に肩を上下させながら、ソフィアは今しがた投げ飛ばした男を確認した――どう見てもディーレンタウンの生徒ではない。
(何が起きているの? もしかして――)
だが突然後頭部に落ちてきた衝撃に、ソフィアはばたりと床に膝をついた。ずきずきとした痛みを堪えながら、すぐに背後を振り返る。
そこには背の高い痩せた男が立っており、ソフィアの頭は血の気が引くにつれ「ああ」と冷静になった。
(もう一人、いたのね……よく考えれば当たり前か……)
再度金属の何かが振り下ろされる。ぐわんと体中の骨に響くような激痛に、ソフィアは必死に紡いでいた意識をかくりと手放した。
次に目覚めた時、ソフィアは立派な椅子の上に括り付けられていた。
(ここ、校長室……?)
胡乱な意識を懸命につなぎ合わせながら、ソフィアは懸命に記憶を辿る。
薄暗い室内。黒く艶光りする執務机に深紅の天鵞絨。壁にはずらりと歴代校長の写真が飾られており、ソフィアは縛り付けられている椅子のひじ掛けに視線を落とした。
(校長先生は……? というか、寮だけではなく校舎にも?)
ソフィアの両手首には金属の枷がはめられており、体と足は細いロープで厳重に縛りあげられていた。一人の、しかも女性の人質に対する扱いとしてはいささか念入り過ぎる。
やがてソフィアの意識が戻ったことに気づいたのか、一人の男がにやつきながら覗き込んで来た。
「お、目が覚めたか」
「……あなたたちは?」
「まあじき分かるさ。あんただけは、ボスが特別丁寧に扱えとさ」
「……」
どういうこと、とソフィアは眉を寄せる。だが目の前の男に見覚えはない。
(よく分からないけど……とりあえず)
あの、とソフィアが声をかけると、男は「うん?」と目を細めて近づいてきた。
間合いに入ったその瞬間――ソフィアは唇を噛んでふんと腕に力を込める。途端にぶちぶちと音を立てながら、体を拘束していた縄が千切れた。
その勢いのまま男の顎下を殴りつける。
「――ッ!」
男は声もなく昏倒した。
やがて、ゆであがったパスタのような脆さで絨毯に広がるロープの上に、がらんごろんと金属の輪っかが転がる。もちろんソフィアが力任せに外したものだ。
短くなったロープの一端を拾い上げると、ソフィアは髪を高い位置で結びあげた。
「ゴリラで良かった……」
言った後で少し悲しくなりながらも、ソフィアはすぐに状況の整理に入る。
(私を襲って来たのは二人……最初の男は手から電流を発していた……あれはきっと何かの加護者だわ。もう一人は目立った能力は見られなかった……。一体どうやってここに侵入したのかしら)
多くの貴族の子女を預かるディーレンタウンは、当然セキュリティに関しても高い水準を有している。
正門の出入りには許可が必要だし、定期的に警邏もされているはずだ。外部から不審者が入るには、相当難しい関門をいくつも乗り越えなければならない。
(学内パーティーの時は外部からの招待客もいたから、多少警備の隙はあった。でも今回はちゃんと機能していたはずなのに)
ソフィアの脳裏に、ルイが言っていた言葉が甦る。
激化しているという反王政派の活動。
たしかにディーレンタウンに通う生徒たちの中には、親が政府の高官であるという者も少なくない。
人質か交渉の材料か――と考えたところで、ソフィアははたと思い出した。
(他の生徒たちは? どこか別の場所に捕まっているのかも)
まだ反王政派の犯行であると決まったわけではない。とりあえずルイたちと合流してから、しかるべき対処を考えようと、ソフィアは校長室の扉に駆け寄った。
案の定というかしっかり外から鍵がかけられており、揺さぶるくらいではびくともしない――だがソフィアの筋力を前にしては紙くず同然だった。
「校長先生ごめんなさい!」
扉は無残なほど豪快に開け放たれ、右左に分かたれるようにして倒れた。さすがのソフィアも加減を間違えたと「あちゃー」と顔を顰めたが、気を取り直して廊下を走る。
明かりはついておらず、窓から差し込む月光だけが頼りだ。
(満月の位置は変化なし……あんまり時間は経っていないみたい)
早くしなければと足に力を込め、ソフィアはぎゅんと加速する。しかしその直後、廊下の角から二人組の男が姿を現した。
勢いよく走ってくるソフィアに気づいた男たちは、手慣れた兵士のように腕を構えて対峙してくる。
「おい! お前、何を――こ、こっちに来るな!」
「ああ、ちょっ、止まれな……!」
だが一度上げた速度というのはなかなか落ちるものではなく、ソフィアはキキ、と両踵を伸ばしてみたが一向に勢いが弱まらない。
まずいと思った男たちがぎゃああと悲鳴をあげるのと同時に、すさまじい音を立てながらソフィアは彼らと衝突した。












