第四章 世界にたった一人の運命のつがい
ソフィアがゴリラの加護者となって半年が過ぎ、あっという間に新しい年が始まった。
冬季休暇も終わり、実家に戻っていた生徒たちがどこかくたびれた様子でディーレンタウンへと戻って来る。
だがのんびりしている暇はなく、少しずつぴりぴりとした空気が漂い始めた。原因は来月にある昇級試験だ。
一年間の学業や部活動、奉仕活動などの成果が問われ、不合格だった場合、もう一度一年生をやることになる。
もちろんソフィアも例にもれず、昇級試験に向けての勉強と、従騎士の訓練に追われる日々を送っていた。
――同時に、カリッサたちからも追われていた。
「ちょっと、今日こそは逃がしませんわよ!」
「いつもいつも、どこに隠れているのかしら!」
(ひいい……)
窓ガラスの向こう側に、きょろきょろとソフィアを捜すカリッサたちの姿があった。一方ソフィアは校舎の外――三階の高さの壁に添うようにしてその様子を窺っている。
学内パーティーで懲りたと思っていたのだが、どうやら冬季休暇を挟んですっかりその痛みを忘れてしまったらしい。
学期が始まってからずっと、こうしてしつこくソフィアを追い回してくるのだ。
(私も随分と手慣れてきたものだわ……)
昔のソフィアは、カリッサとその取り巻きたちが怖くて仕方がなかった。
しかし従騎士に選抜され、厳しすぎる本物の訓練を積み重ねたことで、彼女たちのやり口が非常に生易しく、子供じみたものだったと理解したのだ。
(でもゴリラの加護を得られなければ、ずっと怯えたままだったんだろうな……)
感慨にふけるソフィアだったが、びゅうと吹いた北風にぶるると体を震わせた。
いくらゴリラの加護者でも二月の外気に勝てるわけではない。ソフィアは人目につかない裏庭を目指して、壁面と屋根をひょいひょいと移動した。
着地点を見定めると、軽く助走をつけて校舎から飛び降りる。
すると落下予想点に、目を見開いたルイの姿があるではないか。
(な、え、ルイ先輩⁉ なんでここに⁉)
だがソフィアは既に勢いよく飛び出した後で、戻ることが出来ない。慌てふためくソフィアの様子を察したのか、ルイはそのまま自身の両腕を大きく広げた。
まさか受け止めるつもりなのか。
(だ、だって、三階からなのに!)
どうしよう、とソフィアが手立てを講じる間もなく、どさりという派手な音が続き、ソフィアはあいたたと顔を上げた。
驚いたことにルイはソフィアをしっかりと受け止めており、体勢を崩すでもなく横向きに抱き上げている。
「――だ、大丈夫か⁉」
「あ、す、すみません! 驚かせてしまって……!」
「まったくだ。俺の寿命の方が縮んだぞ」
真に迫るルイの口調に、ソフィアは再度すみませんと頭を下げる。だがルイはふ、と堪えきれないように笑いを漏らした。
「まあ俺としては、君が一番に会いに来てくれたのかと、ちょっとうぬぼれてしまったけどな」
「へ?」
「……本当にただのうぬぼれだったか……」
一瞬きょとんとしてしまったソフィアだったが、ルイの言葉の意味をようやく悟り、はっと眉を上げた。
ルイは騎士団との合同訓練があるとかで、年明けからずっと従騎士団にも学校にも顔を見せていなかった。
戻るのは来週と聞いていたのだが、まさかこんなに早く再会出来るとは。
「ち、違います! 私も会いたかったです!」
「……本当に?」
「はい!」
必死なソフィアの様子に機嫌を直したのか、ルイはようやく嬉しさを噛みしめるように微笑んだ。
ソフィアもまた夢ではないのだと実感し、そろそろルイの胸元に手を添える。誘われるようにルイが顔を傾けてきて、そのまま唇が触れる――と思った瞬間、校舎の裏から男子生徒たちの話し声が聞こえてきた。
(――ま、まずい!)
ソフィアの動揺を察したのか、ルイはすぐにソフィアを下ろした。そのまま二人は木の陰に身を潜めるようにして、男子生徒たちが行き過ぎるのを待つ。
再び静寂が戻ってきたところで、ソフィアがはああと息をついた。
「し、心臓に悪い……」
「なあ、やはり公表した方がいいと思うんだが」
「絶対だめです!」
ソフィアも最近気付いたのだが、ルイは意外と独占欲が強い。
本人にはそうした自覚はないらしいのだが、恋愛というものにとことん鈍感だった反動が、今ここにきて発露しているのかもしれない。
たしかに校則で禁止されているわけではないので、交際を明らかにしてもなんら問題はない。
だがソフィアはいまだ学校中の女子から嫌疑をかけられている状態であり、これ以上殺伐とした学校生活を送りたくないというのが本音だ。
きっぱりと断られ、どこかしょんぼりしているルイに、ソフィアは慌てて話しかけた。
「そういえば、合同訓練お疲れさまでした! これからはしばらく従騎士団に?」
「ああ。訓練も落ち着いたし、明日からは学校でも会えるぞ」
「本当ですか⁉」
「まあ、ちょっと気になる話もあってな。それで予定より早めに戻されたんだ」
気になる話? とソフィアは首を傾げる。
「ああ。最近反王政派の活動が激化しているらしくてな……、この学校も要注意拠点として目をつけられている」
「こ、ここがですか?」
「学内パーティーで使用された火薬。あれが反王政派の物とほぼ一致したそうだ」
「……!」
はじめはいたずらかと思われた学内パーティーの爆破予告。
だが実際に爆弾は仕掛けられており、ソフィアの機転によってなんとか大事には至らなかったものの、一歩間違えば大惨事になっていただろう。
あの時燃え残った欠片等を照合した結果、今王都で頻発している反王政派の使用している爆発物と酷似していたらしい。
「優先度はまだ低いが、近日中に騎士団の護衛配備も始まる。俺はその指揮準備もあって戻ることになった」
「そ、そうだったんですね……」
「後でアイザックとエディにも伝えておく。君も十分注意しておいてくれ」
「分かりました」
いつの間にか従騎士としての会話になった二人は、しばらくしてはっと姿勢を正した。どことなく恥ずかしくなり、ソフィアは目を逸らす。
すると同じく視線を泳がせていたルイが、しどろもどろになりながら口を開いた。
「……っと、仕事の話はこのくらいにしてだな。その、しばらく会えなかったから……今日くらいは、君とゆっくり、話をしたいんだが……」
「わ、私もです!」
被せるようにソフィアも答える。だが付き合っていることを大っぴらに出来ない以上、学校や食堂に二人だけでいるのは危険だ。
(ど、どうしよう、……あ!)
良案を思いついた、とばかりにソフィアは手を叩いた。
「それなら、私の部屋に来ますか? 何ももてなしは出来ない……です、が……」
とんでもないことを口走ってない? とソフィアは途中で気づいた。
語尾は次第に弱々しくなり、口にする言葉と真逆の思考が脳内をぐるぐると攻め立てる。
(わ、私、先輩を部屋に、呼ぶなんて……)
年終わりの日、二人でベッドに倒れ込んだ記憶がよみがえり、ソフィアはいよいよ口をつぐんだ。だがそんなソフィアの困惑に気づいていないのか、ルイは「ああ」と嬉しそうに口角を上げる。












