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第三章 9



「これを食べてくれたら、それだけで十分だ」

(こ、これって、あーんというやつなのでは……)


 普通は女性からするものでは⁉ という疑問も浮かんだが、ルイの優しげな眼差しを前にして、ソフィアが抵抗出来るはずがなかった。

 誰かに見られているわけじゃないから大丈夫、と心の中で唱えながら、フォークにそっと唇を寄せる。

 苺の酸味と生クリームの甘さが、口いっぱいに広がった。


「……おいしい」

「――良かった。店で見つけて、君が好きかと思って」


 よく見るとそれは、ルイが買って来たホールケーキの一部だった。まさか私の好みを考えて買ってきてくれていたとは、と嬉しいやら恥ずかしいやらでソフィアは顔が熱くなる。

 ルイもまたソフィアの反応に満足したのか、ケーキを堪能する以上に喜びを噛みしめているようだった。

 やがて何かを追想するかのように、ルイがぽつりとつぶやく。


「……君は、俺が甘いものを好きだと知っても、驚かないんだな」

「え?」

「いやその、……昔、甘いものが好きだと言ったら『冗談だろう』と笑われたことがあってな。きちんと伝えたつもりだったんだが、どうしても信じてもらえなくて」

「な……なるほど」


 たしかに普段のルイを知る人であれば、ケーキが大好物なんて思いもしないだろう。ソフィアとて王都での一件がなければ、なかなか信じられなかったに違いない。

 ソフィアの混迷を受けて、ルイはどこか神妙な顔つきで頷いた。


「基本的にケーキは女性が好む食べ物だから、俺が率先して取るわけにはいかないし、かといって最後まで残っていることも少なくてな……」

「せ、先輩……」

「だから君が……ケーキ屋に行こうと提案してくれた時、本当に驚いたんだ。男の俺が一緒で嫌ではないのかと」

「だ、誰が何を好きでもいいじゃないですか! ケーキ好きな男性だっていますよ!」

「……はは、本当に。……本当にそうだよな」


 最後の言葉はどこか寂し気で――そっと瞼を伏せるルイを、ソフィアは不安げに見つめていた。


(何か、嫌な思いをしたことがあるのかも……)


 ソフィアだって――流行りのドレスを着て、きちんとお化粧をして、女性らしく髪を結って。そうしないことは悪である。おかしいと言われることを実感している。

 ルイも同じように男性として、騎士として――その人が望む理想の形にあてはめられたことがあるのだろうか。


(好きなものが否定されるのは……誰だって悲しいはずだわ)


 ルイの過去に何があったのかは分からない。

 だがソフィアは――自身の両手を握りしめながら告げた。


「こ、今度からは、私が取ってきます!」

「ソフィア?」

「今日みたいに……騎士団のパーティーとか、学校でも……おいしそうなケーキがあったら、私が先に確保します。そしてルイ先輩にこっそりあげます! だから今後は、遠慮なんてしなくて大丈夫です!」


 大真面目なソフィアの宣言を受けたルイは、しばしぽかんと口を開けていた。やがて空になった皿を机に置くと、くっくと笑いながら口元に手の甲を添える。


「あ、ありがとう……気持ちだけで十分だ」

「あ、いえ……すみません、つい熱くなってしまって……」

「いや、嬉しいよ。――本当に君は優しいな」


 独り言のようなルイの囁きを残し、部屋の中はしんと静まり返った。どきん、どきんという心臓の音がうるさくて、ルイに聞こえてはいないかとソフィアは赤面する。

 するとルイの喉元からこくりと息を吞む音が落ち、次いで「――抱きしめても、いいだろうか」と尋ねられた。


 ソフィアが小さくうなずくと、ルイの手がソフィアの肩に回される。

 彼の胸元に顔を押し付けるような体勢になってしまい、今まで以上にソフィアはドキドキが止まらなかった。

 ルイもまた緊張しているようで、どくん、どくんというしっかりとした心音が服越しに響いてくる。


(わ、私、……ルイ先輩の腕の中にいる……)


 手の位置が邪魔ではないか、汗をかいていないか、とソフィアはあれこれ懸念する。だがルイはもう一方の手もソフィアの体に回すと、少しだけ互いの距離を詰めた。


「……君と話せないまま、年を越すのかと思った」

「皆さん先輩と、話したがっていましたからね」

「今まであまり気にしたことがなかったんだが、……今日は君が傍にいると思うと、気が気じゃなかった」

「先輩がモテるのは知っていますから、全然大丈夫ですよ」


 するとルイがソフィアを見下ろし、少し不満そうに口にした。


「その、こういうことを言うのは男としてどうかと思うんだが……」

「な、なんですか?」

「君はその……俺が他の女性と話していても、……い、嫌じゃないのか?」


 へ? と目を見開くソフィアに向けて、ルイはやや早口に言葉を続ける。


「今日とか、君は……俺に対して怒ってもいい立場だったはずだ。それなのに一度も俺の方を気にしていなかったというか、……見ていなかったというか」

「な、何回かは見てましたよ?」

「か、回数の問題じゃない! ……そうではなくてだな、その、……ああ、何を口走っているんだ、俺は……」


 徐々に語彙力を失っていくルイを見て、ソフィアはようやく得心がいった。途端に恥ずかしさが込み上げてきて、ルイの胸元に置いていた手を、かぎ爪のようにそろそろと軽く立てる。


「だ、だって……言えないじゃないですか」

「――ソフィア?」

「ほ、他の人と、話してほしくない、なんて……」


 びく、とルイの腕に妙な力が込められた。やがてぎゅうとソフィアを抱き直したかと思うと、こらえきれないとばかりに笑う。


「――言ってくれて、良かったんだが」

「そ、そんなことしたら、他の先輩たちになんて言われるか……!」

「何なら公表するか?」


 その言葉に、ソフィアはぶんぶんと首を振った。


「だ、ダメです‼ そんなことしたら、私の席が教室からなくなります!」

「? よく分からんが、その時は俺が話をつけに行こう」

「それじゃ余計悪化するんですって! だからその、こ、こういうのは、秘密にしておいてください!」

「こういうの?」


 からかうように、ルイはソフィアを抱き上げたかと思うと、今度は自身の足の間に下ろした。後ろから抱きすくめられる体勢になり、ソフィアは反論に四苦八苦する。


「そ、そうです!」

「俺は反対だな」

「なんでですか⁉」

「君を狙っている奴らに牽制できないからだ」

「牽制?」


 するとルイは一瞬言葉に詰まり、やや口ごもるようにして続けた。


「パーティーの間、男子生徒から随分話しかけられていたと思うが」

「男子……って、誰かいましたっけ」

「……俺は、ちゃんと見ていた」


 むう、と不満げな吐息が頭の後ろに落ちてきて、ソフィアは苦笑した。



 

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