第三章 8
二人がサロンに戻って来た頃、既にパーティーの片付けは始まっていた。
ソフィアはルイの姿を探したが、相変わらず女性陣に取り囲まれており、あの一角だけはいまだ華やかな宴の真っ最中のようだ。
その様子に男子生徒たちは若干の苛立ちを露わにしており、ソフィアは彼らの目をかいくぐるようにして、大皿を洗いテーブルクロスを剥ぐ。
室内の装飾を外していたところで、女性たちを押しのけてようやくルイが声をかけてきた。
「ソフィア、手伝おう」
「え⁉ ル、ルイ先輩、だ、大丈夫ですよ?」
「準備も手伝わなかったんだ。これくらいはさせてほしい」
困ったように笑うルイに、ソフィアは「それでは……」と高所の飾りを頼もうとする。
だがルイの背後からずさずさと飛んでくる女性たちの鋭い視線に気づき、ソフィアは恐々と首を振った。
「あ、あの、ここは良いので、ゆっくりしていてください……」
「し、しかし」
「スカーレル先輩、ここは良いみたいですし、もう少し向こうで話しませんこと?」
「それがいいですわ! 今度はあのお話を――」
「いや、俺は……」
あからさまに困惑するルイをよそに、女性たちはあれやこれやと言いながら、ルイを再びサロンの一角へと連れて行ってしまった。
その背中を見送っていたソフィアは、やれやれとばかりに苦笑する。
(先輩、やっぱりすごい人気だわ……)
ようやくサロンは元通りになり、ソフィアはアイザックとエディに年納めの挨拶をしてから女子寮へ戻った。
手にはパーティーのケーキをまとめたお皿が一つ。自室に戻りベッドに横たわると、ようやくふうと人心地つく。
「楽しかった……プレゼントももらってしまったし……」
机に置かれた髪飾りとマフラーを見て、ソフィアは嬉しそうに目を細める。今度の休みにお返しを買いに行こう、と考えていたソフィアは、同時に今日一日のルイのことを思い出していた。
(結局、全然話せなかったな……)
それでも最初と最後に少しだけ話すことが出来た。今の私には十分だわ、とソフィアは目を瞑る。
やがてうとうととした睡魔に引き込まれ、気づけば静かな寝息を立てていた。
――コンコン、と乾いた木の音に、ソフィアは目を覚ました。
(……私、いつのまにか眠っていたのね)
ソフィアはゆっくりと体を起こすと、ぼんやりと音のありかを捜す。どうやら扉の方からしているらしく、のろのろと足を向けた。
「すみません、遅く――」
「……すまない、起こしてしまったか?」
「ル、ルイ先輩⁉」
何気なしに開いた扉の先に、申し訳なさそうに眉を下げたルイが立っていた。暖かなまどろみが一気に吹き飛んでしまい、ソフィアはあわあわと気を動転させる。
しかし一瞬で冷静になり、廊下の左右を確かめると「早く中へ」とルイの手を取った。
(こ、こんなところを誰かに見られていたら、大変なことに!)
慌ただしく扉を閉め、とりあえず大丈夫そうだとソフィアは胸を撫でおろす。だが自室にルイがいる――という状況を改めて認識した途端、先ほどとは別の汗が滲み出してきた。
(わ、私、ルイ先輩を、部屋に……)
二人きり。しかも密室。
ソフィアは邪念を振り払うように首を振る。
一方ルイも遠慮しているのか、緊張した様子でソフィアに話しかけてきた。
「そ、その、よかったのか? 寝ていたのならまた今度でも」
「だ、大丈夫です! そ、それより、どうして先輩がここに?」
「あ、ああ、実は……」
するとルイは細身の箱を取り出した。濃紺に銀のリボンが巻かれており、ソフィアはしばしきょとんと見つめる。
「これを渡したかっただけなんだ」
「わ、私に、ですか⁉」
「ああ」
差し出されたそれを受け取り、ソフィアは丁寧に蓋を開ける。すると敷き詰められた布地の上に、細く輝く銀糸のようなネックレスが置かれていた。
首元の部分には、真っ赤なルビーが煌めいており、ソフィアはあまりの衝撃に言葉を失う。
「こ、これって……」
「本当は指輪にしようと思ったんだが、君のサイズも知らないし、先輩方から『重いから絶対にやめろ』と怒られてな。そんなに比重のある素材を選ぶ気はなかったんだが」
「そ、それは……」
重量のことではなく気持ちのことだろう、と察したものの、ソフィアは驚きと嬉しさで混乱していて指摘どころではなかった。
ありがとうございます! と満面の笑みで返したところ、ルイはまだ何かを期待するようにこちらを見ている。
(つ、着けてみた方がいいのかしら……)
恐る恐る箱から引き出し、ネックレスを首にあててみる。うなじの辺りで金具を留めると、ソフィアの鎖骨を鮮やかな紅色が彩った。
それを見たルイは、くしゃりと目じりに皺を寄せる。
「うん、よく似合ってる」
「あ、ありがとう、ございます……」
「俺の方こそ、今日はすまなかった。……もう少し、君と話が出来ると思っていたんだが……」
「い、いえ! 私のことなんて、全然気にしないでください!」
ぶんぶんと手のひらを振ってみせたソフィアだったが、ちくりとした胸の痛みを感じていた。だがそれを口に出すのははばかられて、思わず呑み込んでしまう。
しばしの静寂が流れた後、ルイが「じゃあ」と踵を返した。
「それだけだ。疲れているのに悪かったな」
「あ、いえ……」
「……よい、一年を」
年納めの言葉を残し、ルイは部屋を後にしようとする――その裾を、ソフィアはそっと掴んでいた。
ルイはぴたりと足を止め、窺うように振り返る。
「……ソフィア?」
「あ、あの……」
どうしよう。思わず引き留めてしまったが、続く言葉が思いつかない。どうして私もプレゼントを用意していなかったのかしら、とソフィアの頭の中でぐるぐると言葉が飛び交う。
でももう少しだけ一緒にいたい――とようやく声を絞り出した。
「わ、私からも、お渡ししたいものが……」
座る場所がなく、仕方なくベッドに腰かけていたルイは、ソフィアの用意したものを見て何度も目をしばたたかせた。
「ソフィア、これは……」
「パーティーで準備されていたケーキです。先輩、お話していて全然食べることが出来なかったかと思って、別のお皿に取っておいただけなんですけど……」
「……」
丁寧に盛り付けられたそれらを前に、ルイはしばし茫然としていた。ソフィアがフォークを差し出すと、少し困ったように眉を寄せている。
「しかしこれは……君が食べるために取っておいたのでは」
「い、いえ! これは全部先輩用です!」
「あ、ありがとう……」
わずかなためらいを見せていたルイだったが、ようやく一番端のケーキにフォークを入れた。ぱくりと口に運ぶと、噛みしめるように微笑む。
すぐに次のケーキへと進んだかと思うと、少しずつ確かめるように味わい始めた。
その様子に胸を撫で下ろしたソフィアは、改めて「すみません」と頭を下げる。
「私、先輩からプレゼントをいただけるなんて思っていなくて、何のお返しも準備していませんでした……次のお休みに買ってくるので、少しだけ待っていただいてもいいですか?」
「お返しならこれで十分だ。何も気を遣う必要はない」
「で、でも……」
「あー……そうだな、それなら……」
するとルイはぽんぽんと自身の隣を手で示した。ソフィアがベッドに座ると、ケーキをひと欠片フォークに載せ、すいと差し出してくる。












