第三章 5
爆弾の処理に奔走していた時、たしかに一度リスはいなくなった。しかし気づくとソフィアのもとに戻って来ており、あの子を助けたいという一心があったからこそ、爆弾を蹴り上げることを思いついたのだ。
「ありがたいことに、君はそこから機転を利かせて、学校も生徒も守ってくれた。俺もなんとか人間に戻って、君たちと合流した、んだが……」
「……?」
「その、……君のあの言葉を思い出して、……まともに目を見れなくなっていたんだ」
ソフィアはきょとんと瞬いていたが、やがて体の内側からじわじわと恥ずかしさが湧き上がってくるのを感じた。
もしかしてあの時素っ気なかったのも、学校で会えなかったのも、目が合っても逸らされたのも、全部。全部。
「直接言われたわけでもないのに、驕った話だと分かっているんだが……君を見るとどうしても、あの花火の夜を思い出してしまって……。極力学校でも騎士団でも顔を合わさないようにしていたんだが、それが逆に変な誤解を与えてしまったらしい」
やがてルイはまっすぐにソフィアを見つめた。
怜悧な目元には初めて見るような熱がこもっており、ソフィアはこくりと喉を鳴らす。心臓が早鐘のように拍打つ。
どうしよう。誰か。助けて。
「改めて言おう、ソフィア・リーラー。俺は、君のことが好きだ」
「……っ」
「本来であれば、こうして男の俺から告げるべき事柄だったことは重々承知している。先に君の気持ちを盗み聞くような真似をして本当に申し訳ない。だが――」
「そ、それはもう良いですから……!」
「君に言われて自覚するのも、情けないことなんだが……俺は本当にこうした、恋愛ごとに疎くてな……。だが君が崖から落ちた時、自分のあまりの取り乱しようにはっきりと自覚させられた」
ルイの手がソフィアの髪に伸びる。
燃えるような赤毛に彼の大きな手が差し込まれ、そのまま頬にあてがわれた。翡翠のように美しいルイの瞳が、射貫くようにソフィアを捉える。
「俺はきっと、ずっと前から君に惹かれていた。ただこれが、そうした感情だと気づけなくて、……いつか、一緒にいられなくなる日のことを思っては、ただ不安に思っていた。その気持ちが何なのか、ずっと分からなかった。でも君が名前を付けてくれた――『好き』なんだと」
「ルイ、先輩……」
「好きだから、傍にいたい。好きだから、俺以外の誰かと過ごしていると、胸が騒ぐ。好きだから、どんな雑踏の中からでも君の姿に気づけるのだと。……言われるまで気づけないなんて、本当にだめな男だ」
ルイから触れられている箇所が熱い。室温が上がっているのだろうか、とぼんやり意識を向けるが、どうやらソフィア自身がのぼせかけているのだと分かった。
(夢? これは夢なのかしら? 私やっぱり雪山で倒れているんじゃ……)
だが頬をなぞるルイの手は本物で、ソフィアはどんな顔をすればいいか分からず、たまらず顔を伏せた。ずれた手が耳に触れ、ソフィアは思わずびくりと肩を震わせる。
すると怯えていると勘違いしたのか、ルイが慌てて手を放した。
「す、すまない。嫌だったか」
「い、いえ」
だがもう戻ることは出来ないと、ルイは覚悟を決めたように言葉を連ねた。
「もう一度言う。ソフィア。俺は君のことが好きだ。君はその――こんな俺を、まだ、……『好き』でいてくれているだろうか?」
ルイの真摯な眼差しを受け、ソフィアは困惑したように瞳を潤ませた。
「その――その聞き方は、ずるい、です……」
「す、すまない。そう……そうだよな。俺はまた、気の利かない、ことを……」
「好きに、決まってるじゃないですか……」
その返事を聞いて、ルイはしばらく硬直していた。
だが何度か瞬くと、ようやくソフィアの目を見る。
ソフィアもまた恥ずかしいのを必死にこらえながら、ルイの瞳に視線をぶつけた。こうなればもう、どうなっても構うものかと脳内でゴリラの神様が親指を立てる。
「そうです! 私はルイ先輩のことが好きです!」
「ソ、ソフィア?」
「私だって、ずっと分かんなかったのに……恋愛とか、私には一生無縁で、誰かを好きになるなんて思ってもなくて、これが好きかどうかも分からなくて……」
「わ、分かった。分かったから、少し落ち着いて――」
「でも! 好きって気づいたら、好きになってたんですよ! それどころか今までもずっと好きなんだって思ったら、自分でもどうしたらいいか分からなくなって! なのに先輩の態度が素っ気なくって、私、嫌われてるんだと思って……」
「す、すまない。本当に、悪かった……」
ぽろり、とソフィアの目からついに涙がこぼれた。
「すっごく、苦しくて、もやもやして……こんな気持ちになるなら、好きだなんて、気づかなければよかったって、後悔して……でも、やっぱり好きで……」
「……」
泣きじゃくるソフィアを、ルイはそのまま優しく抱きしめた。
抵抗する間もなく、ソフィアはしっかりとしたルイの胸板に顔を押し付けられる。まだ少し冷たい制服。
だが布一枚隔てた奥からはどく、どくという大きな心音と、胸を締め付けられるような優しい彼の匂いがする。
ごめん、と掠れたささやきが、ソフィアの耳元に落ちた。
「もっと早く、伝えるべきだった。君のことが好きだと」
「……」
「俺の勘違いだったら。何かの間違いだったら。……君に振られたら、どうしようと思うと怖くて、……どうしても言い出せなかった。……ごめん」
「も、もう、いいです……」
ぎゅうと抱き寄せられる感触に慣れず、ソフィアはおずおずと顔を上げた。すぐ目の前にルイの相貌があり、ソフィアはどこを向けばいいのかと顔を赤らめる。
するとルイがふっと笑い、改めてソフィアの頬に片手を添えた。
「許してくれるのか?」
「は、はい」
「――良かった」
深緑の目が細められ、ソフィアはようやくこれが現実であると理解した。やがて心地よい沈黙が流れ、ルイが慈しむようにソフィアの頬を撫でる。
そのままするりと顎に指が落ちてきて、ソフィアはぎくりと身を強張らせた。
(も、もしかして、これって……)
ソフィアの予想をなぞるように、ルイの顔がわずかに傾けられた。少しずつ近づいてくる唇を前に、ソフィアは声にならない悲鳴を上げる。
(め、目は、つぶるべき⁉ なの⁉)
なけなしの知識を総動員したソフィアは、ぎゅっと力を込めて瞑目する。
視界が閉ざされた分他の感覚が鋭敏になり、ルイの呼気や体温まで近づいて来るのが分かった。震えるソフィアの口に、ルイの顔が重なり合う――
「――ソフィアー! 無事かー⁉」
突然アイザックの叫び声が響いたかと思うと、ばあんと勢いよく扉が開かれた。
と同時に、どんという鈍い音が室内を震わせる。
「ア、アアア、アイザック⁉ どうしてここに⁉」
「犬の神様の力を借りて、匂いで追ってきた! 大丈夫⁉ 怪我は⁉」
「だ、大丈夫! ありがとう‼」
ソフィアの心臓はかつてないほど激しい心拍数を記録しており、はあはあと一旦自身を落ち着かせた。
まさかこのタイミングで現れるとは――と思ったところで、はたと現状に気づく。
(そういえば、ルイ先輩、は……)
恐る恐る振り返る。
するとすぐ傍にあったはずのルイの姿はなく、代わりに――小屋の壁に叩きつけられたかのように、ルイだったものが張り付いていた。
幸い意識はあるようだが、苦しそうなうめき声をあげている。
(わ、私、咄嗟に先輩を押しのけて――)
あの変な音はこれだったのか、とソフィアは慌ててルイの元に駆け寄った。同じくアイザックも近づいて来て、何があったのかと驚愕している。
「ル、ルイ先輩⁉ 大丈夫ですか⁉」
「せ、先輩、ごめんなさい! ごめんなさいー!」
「あ、ああ……問題ない」
ソフィアは半泣きになりながら、必死にルイの体を撫でさする。やっぱりこんな力嫌だ、と脳内で親指を立てたままのゴリラに向けて、一人慨嘆をこぼすのだった。












