第三章 不器用同士の恋
ソフィアが従騎士になってから三か月が経ち、ディーレンタウンには冬が訪れた。
庭の木々はすっかり葉を落としており、日によってはちらちらと雪が舞う時もある。
(すっかり寒くなってきたわ……)
正門を越えソフィアが息を吐くと、呼気がわずかに白くなった。もうおなじみとなった放課後の従騎士訓練に向かうため、王都目指してゆっくりと走り出す。
高い位置で結んだ赤髪を左右に揺らし、たったかと軽快に駆けながら、ソフィアはぼんやりと先日の爆発物事件に思いを巡らせていた。
――爆弾を蹴り飛ばした翌日、ソフィアは騎士団に召喚されいくつか質問を受けた。
爆弾の形状、発火装置、箱の素材などを子細に聞かれ、最終的には被害を最小限に抑えたことを評価された。
仕掛けた犯人について調査すると言われ、ほっと胸を撫で下ろしたソフィアだったが――どうしても一つだけ気になっていることがある。
(……ルイ先輩、まだ怒っているのかな……)
騎士団で聞き取りされた時、ルイは同席していなかった。
アイザックとエディに尋ねたところ、そちらは三人揃って報告をしたと言っていたので、体調不良や任務が忙しいというわけではなさそうだ。
しかしどうしたことか、あのパーティー以降、ソフィアがルイと接触する機会は一度としてなかった。
従騎士の訓練でも騎士団でも学校でも、避けていた時はあれほど遭遇していたはずなのに、彼が好きだと自覚した途端すれちがうこともない。
もちろんただの偶然だろうと思う。だがソフィアはひとつ心当たりがあった。
(やっぱり、軽率な行動だったのかも……)
単独行動。指揮の現場からの離脱。挙句爆弾を発見した後も、報告せずに一人で走り回ってしまった。
生徒たちに被害がなかったからよかったものの、取り返しのつかない大事故になっていた可能性だってある。
ソフィアは再び胃がキリキリと痛むのを感じながら、結局誰が爆弾を仕掛けたのだろうと意識を逸らした。
(明言していなかったけれど……やっぱりディーレンタウンの生徒なのかしら)
ちなみにあの事件の後、アレーネがソフィアの自室を訪れてきた。汗と涙で顔色は真っ青になっており、ソフィアの方がぎょっと目を剥いたものだ。
どうやら途中で申し訳なくなり、急ぎ倉庫室に向かったものの、豪快に破壊された扉だけを発見し、これは大変なことになっていると探し回ってくれたらしい。
(アレーネもおかしな人は見ていないと言っていたし……あの時よりも前に?)
爆弾事件のことは緘口令が敷かれていたため、ソフィアは素性がばれないように注意しながらアレーネにいくつか質問した。だが犯人の手がかりとなりそうな証言はなく、がくりと肩を落とした。
なおどうやって扉を閉めたのかと尋ねたところ、アレーネは指先から透明な糸を紡いでみせた。
彼女は『蜘蛛の加護者』らしく、何重にも重ねることで強靭な綱を作り出すことが出来るそうだ。あの時扉に巻き付いていた糸はそれだったのか、とソフィアは合点する。
(とりあえず、早いうちに犯人を捜し出さないと……)
気づけば騎士団領に到着しており、ソフィアは守衛たちに「お疲れ様です」と声をかけてから訓練場に向かった。先に来ていたアイザックとエディの姿を発見し、軽く手を振る。
「ソフィア! おつかれ!」
「おつかれさま。エディも」
「ああ」
従騎士に入団したばかりの頃は、エディはここに来るだけで疲弊していることも多かった。
だがようやく体が慣れてきたのか、多少汗をかいているものの、呼気の乱れは見られない。やがてアイザックが嬉しそうに口を開いた。
「そういえば、今度野外訓練するらしいぞ!」
「野外?」
「厳しい環境に身を置くことで、どんな過酷な状況に瀕しても耐えうる力をつける……という理由らしい。まったく、ただでさえ寒いのに冗談じゃないな……」
遠足にでも向かうかのように目をキラキラさせるアイザックとは対照的に、エディは眉尻を下げ心の底から嫌そうに愚痴をこぼしている。
そんな二人の様子を見ていたソフィアが苦笑していると、訓練開始の合図が鳴り、従騎士たちは慌てて立ち上がった。
そして二週間ほどが経過し、ディーレンタウンは冬季休暇に入った。
ほとんどの生徒たちは実家に帰省し、一年の終わりと始まりを家族とともに迎える。もちろん大量の課題はあるものの、久しぶりに地元でのんびり出来るとあって、学校内はどこか楽しそうな雰囲気に満ちていた。
だが同じ時期ソフィアたちは――なぜか標高三千メートルを超える雪山にいた。
「――さ」
「寒い‼ どうなってるんだここは!」
ソフィアが言いたかった言葉は、まるっとエディに引き継がれた。
叫びたくなるのも無理はない。空は目が痛くなるほどの快晴、足元は見渡す限り一面の銀世界だ。幸い吹雪いてはいないものの、吸い込む空気が肺の奥までひやりと磨き上げてくる。
「すごいな! これ!」
どうやらこれだけ大量の積雪を見るのは初めてだったらしく、アイザックは犬の加護者――というより、もはや犬そのものと化して嬉しそうに全力で走り回っていた。
一方エディは相当寒さが苦手らしく、皆と同じ防寒装備を着ているにもかかわらず、先ほどからガタガタと震えている。
やがて号令がかかり、ソフィアたちは揃って整列した。
今回の野外訓練はすべての従騎士で行うものらしく、今年所属したソフィアたち以外にも多くの騎士たちが並んでいる。
すると責任者なのだろうか、数人の正騎士が前方に姿を見せた。その後に現れた人を見て、ソフィアはこくりと息を吞む。
(ルイ先輩だ……)
あの事件以来、いつぶりになるだろうか。上官らの方を向いているため横顔しか拝むことは出来ないが、ソフィアはこっそりとルイの顔を見つめる。
すると突然、ルイがこちらを振り向いた。
しっかりと目が合ってしまったソフィアは驚愕し、何度かしぱしぱと瞬く。
だがルイは驚くでも微笑むでもなく、すっと視線を元の方向に戻してしまった。
その反応にソフィアは少しだけ愕然とする。
(ま、前は、笑ってくれたのに……やっぱりまだ、怒っているんだわ……)
ソフィアの絶望をよそに、野外実習についての説明は進められた。二十キロの装備を担いだまま、頂上にあるロッジまで登頂。一泊したのちに翌朝下山という行程だ。
用意された荷物は食料の他、重火器や救急用具などもあり、両肩にずしりとした重みが食い込んでくる。
ソフィアでも少し重たいと感じる量なので、訓練している従騎士らにとってはかなりの負担となっているだろう。
一列になり山道を上り始める。
ソフィアたちは列の中でも前方に配置され、先頭と最後尾に経験者が付く形だ。最初は歩きやすかった道が次第にごつごつとした岩に代わり――気づけば針葉樹林と雪原だけに様変わりするまで、時間はほとんどかからなかった。
空はいつの間にか薄暗い曇天に覆われており、吹きすさぶ風に氷の粒が混ざり始めた。
口元と目は覆いをしてあるものの、わずかに外気に触れる肌がびりびりと痛む。
(これ……迷ったら、どこにいるか分からないかも……)
視界に広がるのは黒い岩肌と水分の多い雪。登山道はおろか目印らしきものもない。列から外れれば一巻の終わりだろう。
不安に駆られながら、ソフィアはちらと隣を見た。












