第六話 アトレと教会
店の外に出ると日が傾き始めたにもかかわらず、大通りを行き交う人々の数は、減るどころかむしろ増えていた。
「やっぱり人、たくさんいるなー……なあ、少し見ていかないか?」
何か、掘り出し物とかあるかもしれない。ドラゴンが巻き付いたかっこいい剣とか。血を吸う魔剣とか。
アトレは少し考えた末、了承してくれた。
上着のフードを頭に深く被って、彼女は言う。
「いいよ。でも、逸れないように手繋いでてね。」
──……
「もう夕方だって言うのに、どうしてこんなに人が多いんだろうな……」
「お祭りは夜が本番だからねー……」
その後いろいろな店を見て回ったが、いつまでも人の数が減らない。
いや、少ないほうがいいってわけじゃないけど、ずっと竹下通り歩いてるみたいでちょっと疲れるんだよな……
どこかに休憩場所はないか探していると、ふと教会前の噴水が目に入った。
何人かが談笑しているのが見える。あそこならちょうどいいだろう。
「さっき買ったお菓子、あそこで食べないか?」
「え?どこどこ?一応どこでも大丈夫だけど。」
アトレはキョロキョロ見渡すが、間が悪く人が通ってしまい、見えにくくなってしまった。
「こっちだよ、ほら、いこ。」
アトレを引っ張って、噴水の方まで向かう。
この一日で随分人混みのなかを歩く能力が上がった気がするなー……疲れることには変わりないけどさ。
人の間から、噴水の方を見る。
そういえば、あそこで談笑してる人たち、全員黒髪だなぁ。日本人を思い出す。
人の隙間を抜けて、噴水へとたどり着いた。
どこに座ろうか。奥の方が人は少ないかな。
俺が奥の方へ歩こうとすると、先ほど俺が見ていた黒髪の人たちが、こちらを見た。
「……アトレ?」
え。なんで、アトレの名前。
心臓がどくんと嫌な音を立てる。
それと同時に、アトレの手が俺から離された。
振り返ると、黒髪の人たちのうち……煌びやかなドレスを纏った女性が、アトレの被るフードを勝手にめくっていた。
「ちょっ、何して……!」
急いで彼女の元へ駆けつける。念の為、護身用に身につけていたナイフに手をかけた。
黒髪の女性は一瞬腹立たしそうな顔でこちらを睨んだ後、すぐにわざとらしい笑顔で言った。
「いえ、知り合いに似ていたもので……でも、違ったわ。この子"は"わたくしの愛しい民ね。」
その女は謝りもせず、そのまま去っていった。
取り残された黒髪たちは、慌てて彼女を追っていく。
……めっちゃ嫌な女!突然人の、しかもアトレのフード取るとか!これもう訴えたら勝てるだろ。
「アトレ、大丈夫か!変なやつだったな。」
アトレの様子を伺おうとすると、彼女はぐっとフードを深く被って、顔を隠してしまう。
「……ごめっ、ちょっと、教会の人とはいろいろあって。それでかもしれない。」
彼女は暗い声色でそう語る。
さっきのやつ、嫌なんだな。確かに宗教ってちょっと怖い部分もあるからな。知らずに連れてきてしまった。
とりあえず、ここから離れた方がいいよな。教会の人間がこなさそうなところ……どこだろう。
俺は頭の中で今日行った場所を振り返る。
そうだ。町外れの丘の上なんかどうだろう。
俺はアトレを連れ出して、丘のところまで行く。
丘の上に着く頃には、とっくに日は沈んでいた。
──……
「はーっ、ここなら落ち着いてお菓子食べれそうだな。ていってももう夕ご飯の時間帯だけど……」
「そう、だね。」
少し強引に連れ出してしまったかな。
まだ暗い気分なアトレを見て、そう考えてしまう。
しかし、しばらく一緒にお菓子を食べていると、彼女はぽつりぽつりと呟くように喋り出した。
「……わたし、忌子なんだ。」
……忌子?
別に今まで忌まれるようなことしてないと思うけど。強いて言うなら地獄にいるシーブリット男爵からじゃないか?
というかそもそも忌子の基準って何だ?
「忌子ってなに?誰に忌まれてるんだ?」
「うーん……ちょっと長くなるけど、いい?」
俺は縦に首を振る。
それを見たアトレは、少しずつ話し始める……
それは、この世界に深く根付いている神話の話だった。
「世界の終焉に降り立った女神様は、勇気ある五人に、終焉を乗り越える力を与えたの。
一人目には、人々を癒す力を。
二人目には、世界を守るための力を。
三人目には、世界を潤して豊かにする力を。
四人目には、世界を仇なす魔を祓う力を。
そして五人目には……神の代わりとして、人々を導く力を。
女神様は、五人と共に世界を救おうとした。
でも、その前に白い髪の悪魔が女神様を殺しちゃったの。」
白い……髪の毛。
アトレは、自身の髪をギュッと引っ張る。その後、少し間を置いて話し始めた。
「五人は何とか終焉を乗り越えて、世界に一時的な安寧をもたらした。その後、長い長い時間が経って、今のこの国があるの……ねえ、わたしね、神様を殺した悪魔の生まれ変わりなんだって。」
悪魔の、生まれ変わり……
そんなの、おかしいじゃないか。見た目だけでそんな、勝手に……
確かに人の名前を勝手につけたり、ピーマンを毒と言い張るようなやつではあるけど、ここまでずっと支えてくれてるいいやつなんだぞ。
アトレに、お前は悪魔なわけがない。
そう言おうとする。だけど俺が言ったところで、彼女の評価は変わるのだろうか?
長い沈黙が生まれる。何か言わなくちゃ、言わなくちゃと思っているうちに、不意に何かが破裂したような音が聞こえた。
それと同時に、空に色とりどりの光が上がり始める。
俺とアトレは同時に体を跳ねさせ、音の方向を見る。
「……花火、だ。」
「……びっくりした。」
花火って、ここでもやってるんだな。
何かテロでも起こったかと思ったけど、安心した。
安堵の息を吐く。すると、同時にアトレも息をついた。
何となく二人で見合わせて、短く笑い声を上げる。
それから二人で、ぼーっと花火が上がるのを見る。
先程まで気まずいと感じていた沈黙は、いつのまにか心地よいものに変わっていた。
「ねえ、実はね。あなたに隠してることがあったんだ。」
不意に、アトレが小さな声でこぼす。
彼女はさっきの話の始め方とは打って変わって、ふにゃりとわらって話し始めた。
「わたしね、この国の王族なの。継承権は放棄してるけどね。」
「……うん。」
何となく、彼女に隠し事があるのはわかっていた。けど、これほどのものとは思わなかった。
普段だったらここで驚くのだろうが、今日は何故だか彼女の話をただ聞いていたい気分で、何か質問する気にもならなかった。
「わたしはこの国……ひいては、この世界を守るために、王女様の護衛騎士として働いていたの。それで、活動しているうちに、夢境に出会った。あなたも、男爵の件で見たことがあるはずだよ」
「……夢境。」
それって、あの東京があった不思議な空間のことだよな。
どこか異様な空気で、男爵やビスさんたちを殺してしまった、あの場所。
「夢境はね、魔素濃度が極限まで高まるとできてしまう場所なの。普通の人間にはそこまで魔素の耐性がついていないから、入ったらすぐ死んでしまうわ。
魔素の濃度はね、日を追うごとにほんの少しずつ……上がっていっているの。人間が住める領域は、あと100年もすれば消えてしまうと言われているわ。」
……100年?
100年で人間、絶滅するかもしれないのか?
それって、魔素が毒みたいじゃないか。この世界に最初から魔素はあったんだろ?じゃあ、どうして魔素が世界を苦しめるようなことになってしまったんだ?
俺は疑問符を頭の中に大量に発生させながら、アトレの次の言葉を待つ。
「人間が住めない範囲には、常に強い魔物が蔓延ってる。だから、わたしにはみんなを守る義務があるって思って、必死に頑張り続けてた。でも、そしたらね……いつのまにか、神話に語られる神様からの力も、使えるようになっちゃってた……ねえ、アイル。空の魔法陣はみえる?」
……空の魔法陣、か。模様や文字まではっきり見えるな。
「封印魔法の魔法陣だよな。」
アトレはこくりと頷く。
「正解。実はね、あれが模様とかまではっきり見えるのは、世界で多分、わたしとあなただけなの。」
「……え?」
俺と、お前だけ?
じゃあ、他の人間はあれが封印魔法の魔法陣だってことを知らずに生活してるのか?
「わたしは貴族の中で唯一あれが見えて、使える人間だった。つまり、忌子なのに神様に一番近い人間になっちゃったの。
それから、わたしは教会と対立する派閥から聖女と持ち上げられて、王にさせられそうになった。そして、教会からは命を狙われるようにもなった。」
……アトレは、組織から追われる前からずっと命を狙われていたんだな。
それにしても、神様に一番近い人間か。中身はピーマン嫌いな平凡な少女なのに。
花火が空に咲くたび、彼女の横顔が光に照らされる。
一発、二発、数えるごとに、明るみになる彼女の顔は、暗くなっていた。
何故だか俺は、その顔から目を逸らせられなかった。
きっと、彼女は見ないでほしいと願っているはずなのに。
それでも、気になってしまう。知りたいと感じてしまう。
彼女の抱える秘密も、好き嫌いも、どんな時に笑うのかも、全部全部。
「ねえ、わたしね、時々思うんだ。」
その声は、花火の咲く音でかき消されてしまいそうなか細さだった。
「たくさん恨まれて、アイルにすら心配かけちゃって、こんなわたしなんか、」
もしかしたら、この瞬間の彼女の声は世界で一番小さな音だったかもしれない。
「─────────」
だけど、俺にだけははっきりと聞こえた。
アトレという平凡な少女が発露させた、感情の一部分が。
彼女の頬に、一粒、また一粒と雫が伝っていく。
扇状的でどこか美しいその姿は、俺の鼓動と前頭前野をかき乱していった。
おかしい。壊れてしまったみたいに、彼女しか見られない。
おかしい。鼓動が苦しいほどに速くなっているのに、どうしてか原因の彼女にもっと触れたいと感じている。
おかしい、おかしい。
でも、このおかしさが何故か正しいと感じてしまう。
俺は上手く考えられない脳みそで、必死に言葉を紡ぎ出す。
ただひたすらに彼女に伝えたくて、たまらなかったから。
「……なあ、一つだけ我儘、言ってもいい?」
俯いていたアトレは、こちらを向く。
その仕草から、俺を見つめている目まで、どこまでも魅力的で、綺麗に映った。
「まだ、俺はアトレと一緒にいたい。いさせてくれ。」
最初、燃え盛る屋敷で追いかけられた時も。
人混みで死にかけた時も。
こんなに緊張して、ドキドキしたりはしなかった。
一生に一度しかないと言うような、そんな緊張感だ。
アトレはフードを外して、目を丸くする。
驚かせてしまったのか、彼女が今までかけていた魔法が解けてしまった。
俺と同じ茶髪も、紺色の瞳も光が舞うように消えて、本物の彼女の色が現れる。
例えどれだけ憎まれようと、讃えられようと、美しさを失わないその姿。
俺にとって何よりも特別で、平凡な少女の姿。
彼女は数秒そのまま固まっていた。しかし、徐々に瞳を潤ませて、泣きそうになりながらも笑っていった。
「……ふふ、一緒に旅をして、ここまで来れたのが他の何でもないあなたでよかった。」
その言葉を聞いた途端、俺も思わず涙が溢れそうになる。
変な気持ちだ。泣きそうなのに、嬉しくて、幸せで、満たされているような感覚がある。
アトレは続けて言う。
「ねえ、わたしね。あなたに同じような目にあって欲しくなかったの。王にさせられるような目に遭うことも、殺されそうになることも、あって欲しくない。
あなたはわたしと一緒で、きっと神様に近い存在になっちゃう。だから……わたしからも、一つ我儘を言わせて。」
彼女は俺の涙を指で拭い、頬を撫でる。
「あなたを苦しめる全てから、あなたを守らせて。」
その時、彼女を他人だと感じていたことなんて、全部忘れてしまった。
自惚れかもしれないけど、彼女の不審な行動が、俺のためだったんじゃないかと思えてしまって。
……アトレになら、俺の持っている日本の記憶について話してもいいかもしれない。
ふと、そう思う。
しかし、その日は記憶について打ち明けることができなかった。
巻き込みたくない。
俺の中で、他人から特別な人になってしまったから。
俺も、彼女を守りたくなってしまったみたいだ。
まだ付き合ってないです。




