第三話 罠
朝を迎えると、今日も生き残れたと思う気持ちよりも、まだこの恐怖を味合わなければいけないと言う気持ちの方が先に出てくる。
今日の朝もそうだ。アトレと逃げるための旅を始めて数日経つが、いまだに恐怖を克服できない。
焚き火の番をしていてくれた彼女の方を見ると、疲れていたのか眠ってしまっていた。
俺は起こさぬように静かに立ち上がり、すぐそばの川へ向かった。
この辺りにはいろんな動物がいるので、襲われないように警戒する必要がある。
アトレが結界を張ってくれているようだから多分大丈夫だけどな。
朝食のスープに使うための水を桶に掬う。そのついでに自分の顔も洗う。
最近気がついたことだけど、俺は子供みたいだ。
水面に映る自分は、ふわふわの茶髪に紺色の瞳、幼い顔立ちをしていることがわかる。
身長的に、アトレと同い年……10〜12歳といったところだろうか。
そのことを自覚した時、なんとなく感じていた違和感に納得がいった気がした。
だって、俺たちを追ってきてる奴らとか、あの村の村長とか、めちゃくちゃでかいなって思ってたもん。
俺たちと比べて足も速いし、ライオンか何かじゃないかとも思った。
でも、俺たちが子供で、みんなが大人だって言うなら辻褄が合う。
俺がずっと追手のことを怖いと思ってしまうのも、子供と大人の差があるからかもしれないな。
朝起きてぼんやりとした頭で、そんなことを考える。
桶を持ってアトレのところへ戻ると、ちょうど彼女が目を覚ました。
「ここどこ……」
「アトレ、おはよう」
旅を始めてから、彼女は毎朝こうだ。
ここどこーとかだれーとかいってくる。
貴族のお嬢様っていうのは、野宿とかしたことがないのかもな。多分ずっと屋敷とかにいたんだろう。
「ん……おはよー。はやいね、もうごはんつくるじゅんびしてるの?」
「うん。っていっても今日も失敗する気配しかしないけど。」
この間アトレと色々話し合って、俺が一通りの家事をやることに決まった。
でも、料理はことごとく失敗するし、洗濯で服は破けるし、かなり散々なことになってしまっている。
それでもいいってアトレが言ってくれるから続けられているけど、自分のできなさに悲しくなるばかりだ。
「あれ?でも今日は良い色だよ?血が混じってないし。」
「……ほんとだ。今日もしかしてとんでもなく悪いこと起こるんじゃないのか?」
できたのは普通に美味しそうなスープだった。昨日作ったのは血が入ったし、一昨日作ったのは溢したからな。これは今日の運をここで全て消費してしまったかもしれない。
「今いいことが起きたから、もう起きないってこと?多分大丈夫だよ。多分。きっと。」
「心配になるなぁ……」
そんな他愛のない会話をしながら、食事を済ませる。
あとは準備をしたら、また出発だ。
「今日中にはシューク町に着くはずだよ。」
シューク町。確か、王都方面に行く時通る町の名前だ。
ボウロさんが、まずは王宮に行って王女様にあった方がいいって言ってたから、そっちの方を目指すことになったんだっけ。
なぜ王様でなく王女様なのかはわからないが、アトレも賛成していたし、きっとそちらの方がいいという理由があるのだろう。
アトレは続けてこう話した。
「シューク町は行商人が販路に利用する大きい町だからいろんな物とか、お店とかたくさんあるんだよ。そうだ、あっちにおすすめの料理店あるんだ。ここ最近ずっと気を張ってばっかだったし、今日はそこで済ませない?」
店の料理……いいな。俺も久々に俺以外が作った料理を食べたい。
それに、宿とか店の中だったら襲われたりしないだろ。客とか店員が全員俺たちを狙ってるとかそんなこともないだろうし。
「そうだな。なあ、町の中なら少しは安全だよな?」
「うん。少しはゆっくりできるよ。」
アトレはへにゃりと気が抜けた笑顔を見せる。
……あ、久しぶりにほんとの笑顔だ。
ここ数日、彼女はずっと固い笑顔をしていた。街に近づいた今、こんなふうに笑ったということは、きっと彼女にとってもこの状況はかなりのストレスだったのだろう。
町についたら、怖い物なんて忘れて思いっきり楽しみたいな……
──……
「この道を曲がって……あれ?」
町についた俺たちは、件の料理店へ行こうとしていた。
しかし、どこを曲がっても、町中を歩いても、その店は見つからない。
人混みの中をずっと歩いているから、頭が痛くなってきた……これもう、お店なくなってるんじゃないか?
そう思って、アトレに尋ねる。
「閉店しちゃったんじゃないのか?」
「ううん、そんなことないはず。あそこの店の人は若い夫婦でこれからもっとお金が必要になるだろうし、人もたくさんきてた。辞める理由なんてないし、お店が見つからないのもおかしい。うーーーん……」
怪我とかだったら……いやそれでも店の建物が見つからないってことはないのか。
単に迷子になったっていうだけなら、現地の人に聞くのが一番だろう。
立ち止まって考え込むアトレをよそに、俺は通りがかった女の人に道を尋ねてみた。しかし……
「そんな店、聞いたことないねぇ。そもそも、"この村"には料理店もないし。」
……村?ここが?
そんなわけないだろ。だって、実際歩いてみてこんなに広かっ……
そこまで考えて、ふと頭にアトレの言葉がよぎった。
『シューク町は行商人が販路に利用する大きい町だから──』
そうだ、大きい町だ。
俺は、一つおかしな点があるところに気がつく。
そもそも、そんな広い町だったら俺の体力が尽きてるだろ!ここまでくるのにだってアトレの魔法が必須だったんだぞ!
どうしてだ。この場所はおかしい。だって、大きい町のはずなのに、店もほとんど見つからない。
足元の石畳を見つめて、ふと気づく。
俺が石畳だと思い込んでいたものは、ただの土の地面だった。
……は?どういうことだよ。
パッと顔を上げると、そこには先ほどまで認知していた町の姿とは、全く違う景色が広がっていた。
さっきまで見ていたハーフティンバー様式のおしゃれな家達は、実際は木造で今にも崩れそうなほど腐食した小さな家で。
大通りに行き交う人々は、実際は数えるほどしかいなかった。
たった今道を尋ねた女の人の服だって……流行に乗ったおしゃれなワンピースじゃなくて、生地の薄い継ぎはぎでできたものだった。
なんなんだよ、これ?
突然見ている世界が変わってしまって、訳がわからない。
とりあえず、アトレに報告しないと……
「そ、そうなんですね。ありがとうございました。」
女の人にお礼を言って、俺は駆け足でアトレの元へ戻る。
先ほどまで完全に気が緩んだ顔で考え事をしていた彼女も、焦った顔をしてこちらに歩いてきた。
「アトレ!ここ、シューク町じゃない!」
「アイルも気づいた?……なんだか嫌な魔法の匂いがするし、わたしたち、何かされたみたい。」
魔法……俺たちは術にかけられて、この場所をシューク町だと誤認していた?
真っ先に組織のことが思い浮かんだ。確か、ボウロさんが言っていた情報の中に、"記憶を操作する追手"のことがあった気がする。
そうだとしたら、俺たちはすでに組織に見つかっているのか?
「きっと、あの時襲ってきた組織の仕業だ……すぐに逃げないと。」
アトレがそうつぶやく。
……だめだ。組織に見つかっているんだとしたら、そんな簡単に行動はできない。
それに、今は情報が足りなさすぎる。
「待て、でもこれから逃げても、どこで魔法をかけられたかわからないんだぞ?最悪、俺たちがボウロさんのところから立ったときには、既に……」
「っ!」
彼女を諌めるように言ったつもりだったが、怖がらせてしまっただろうか。目を見開いてこちらをみた彼女は、少し手を合わせ震わせていた。
どこでかけられたか、いつから見つかっていたのか。そんなのはわからない。だから……色々な可能性を検討して行動しないと、アトレも俺も死んでしまうかもしれない。
あー、今日くらいは落ち着いて過ごせると思っていたのに、どうして……
俺の言葉を聞いたアトレは、一度深呼吸して落ち着こうとする。
「そうだね、ありがとう。とりあえず、泊まる宿を探さない?こんな状況だけど、話し合うためにも二人きりでいられる空間が欲しいの。」
「うん、そのほうがいいよな。」
ずっと野宿をしていると、動物への警戒や火の番のために睡眠時間を削る必要がある。
俺たちもそれをしていたから、結構睡眠不足だ。
ここまで魔法にかけられたことに気づけなかったのも、それが一因としてあると思う。
俺も冷静でいられるように、落ち着ける空間が欲しい。
アトレの言葉に同意する。それから俺たちは宿を探して、見つかった一件の宿に泊まることになった。
「というか、この村一つしか宿なかったな。探すって言ってもすぐ見つかったし。」
「旅人や商人の行き来が少ないところだったら一つで十分だからね。」
部屋に入りベッドへ座る。
アトレの言うことには確かに納得がいく。
ここ狭いし人少ないからな。と言うか、どうしてこんな状態なのに他の村に行くとかしないんだ?
この村についての不審な点を頭の中で挙げていると、不意にアトレが地図を持って隣に座ってきた。
「とりあえずさっき歩き回ってわかったことがあるんだ。」
「なんだ?」
俺が問うと、彼女は地図を広げて膝に乗せる。そして、ある一点……シューク町とは正反対の位置にあるところを指差した。
「まず、この場所はシーブリット領ガーヴァ村っていうの。わたしはここの貴族と因縁があってね……もしかしたら、それでここに誘導されたのかもしれない。」
「でも、俺たちにかけられていた魔法は、ボウロさんが言っていたものと特徴が似てるだろ?組織の奴らじゃなかったら、誰ができるって言うんだ?」
アトレは頷いて、俺の言葉を肯定する。そしてその後続けていった。
「そうだね。だけど、組織がわたしたちをここに……ガーヴァ村に誘導してきたことには、理由があると思うの。その理由が、わたしとシーブリット男爵の因縁なんじゃないかって推測してる。」
なるほど。その理由っていうのは先ほど言った因縁のことか?ここの貴族と因縁があるからアトレと俺をこの村に誘導した……つまり敵地に放り込んだと。
「その因縁ってなんだ?お菓子勝手に食べちゃったとかか?」
「そんな個人間のトラブルで済んだならよかったんだけど……アイルも、この村の様子には気づいた?なんだか寂れた雰囲気だったでしょ?」
実際この村は寂れているのかな?
俺は、ボウロさんのところの村を思い出す。
あの村には数日しかいられなかったわけだが、それでも街並みを眺める余裕くらいはあった。
あそこの宿は、布製品が少し古びているような印象はあったが、きちんと手入れはされていた。
ここの宿は……なんだか余裕がないような感じだ。部屋の掃除は行き届いてないし、本当に何も気にしない人しか泊まれなさそう。
それから、あそこの家の様子……あの村も、ここと同じような木造の家が立っていた。けど、ここはニスがほとんど剥がれているのに対し、あちらは少しの剥がれもない。
確かに、ボウロさんの村を基準として考えればこの村は寂れているな。
「そうだな、ボウロさんのところと比べると……寂れてると思う。」
俺がそういうと、なぜか彼女は悲しそうな顔をした。
同意して欲しいんじゃなかったのか?
「……だよね。実は、ボウロさんのところの……リゼ村って言うんだけど、あそこはね、ガーヴァ村から逃げてきた人たちが作った村なの。」
「逃げて……きた?」
ガーヴァ村、最初はガバ村という名前にする予定だったんですが、
「ガバ村って反対にするとバカみたいだな……」
とふと思ってしまったため変えました。




