第二話 最悪の選択肢
食事を摂り終わった後、ふと外を見ると夜になっていた。俺が起きたのって夕方だったんだな……
この後、少女が、俺が起きるまでのことを教えてくれるらしい。
宿屋の部屋に戻り、一息つくと、彼女はおもむろに話し出した。
「あの時は急いでいて、色々なことを伝えられなくてごめんなさい。わたしの名前は……アトレ。このリベルテの土地の貴族で、領主だよ。」
この土地の……貴族?待って待って、聞いてない。
もしかしなくても俺、すごい身分の人にに看病させてた?
いや一旦落ち着け。ここは一旦……スルーしよう。
「あ、ああ。俺の名前は……」
俺も自己紹介をしようとするが、言いかけたところで言葉が詰まる。
そういえば、自分の名前わからないんだった……
「ごめん、わからないんだった。」
「そっか。とりあえず、あなたが起きるまでの話をしても良いかな?あなたも何もわからなくって不安だろうし。」
小さく頷く。それを見た少女……アトレは、軽くここまでの話をしてくれた。
「あのね、あの後追手を振り切って無事ここに隠れられたんだけど、まだわたしたちの捜索は続いているみたいなの。」
「え……どうして。」
頭の中にあの恐ろしい殺気が浮かぶ。あいつらがまだ、銃を持って俺たちを殺しにきている。想像しているだけでも、地獄のようだ。
「追ってきている理由はわからない。思い当たるところはあるけど、それだけで判断できるほどの確証はないから。」
「そう、か……」
俺たち、何も悪いことしてないよな?恨みを買われるようなことだってしてないよな?
自分がどんな人間だったか思い出せない。けれど、俺があんな執念深く人を追いかけたりするような性格ではなかったと思いたい。
「だから今は、ボウロ……今いるこの村の村長に頼んで、情報収集をしてもらっているの。」
俺が起きるまで、本当に色々なことをしてくれたんだな。
なんだか俺が寝てばっかりだったということが、居心地悪く感じる。
「俺には、何かできることはあるか?」
このままじっとしているのはダメな気がする。焦りを悟られないように、アトレに自分のやるべきことを聞いた。
彼女は難しそうな顔をして、少しの間考えて、俺にいった。
「うーん、このままゆっくり休んで欲しいんだけど……じゃあ、わたしの手伝いをしてくれない?」
「手伝い?どんな?」
「いろんな、だよ。わたしには領主の仕事以外にも色々あるから。」
色々……税金の督促状書くとかかな?
ともかく、役に立てるのならなんだって良い。
「俺にできることがあるなら、手伝わせてくれ!」
──……
「おっ…………はよー!」
「ゎ……さむいー、しぬー。」
アトレの元気な声と、癒しの温もりが詰まった布団が剥がれて目が覚める。
突然寒くなると死にかけた時を思い出すからやめてほしい。まあ、さっきまで悪夢見てたから助かったけど。
「ね、ね。良いニュースと良いニュース、どっちから聞きたい?」
どっちも同じじゃん。悪いニュースがなくてよかったけど。
「えー……良いニュース?」
「良いニュースからね!それはね〜あなたの身分証明書ができました!」
……身分証明書?
俺が首を傾げていると、アトレが嬉しそうに差し出してきた。
手に取ると、そこにはこう書かれてあった。
ギルドメンバーカード
下記のものがギルドメンバーであることを証明する。
名前 アイル
保証人 ボウロ アトレ
発行日 562年8月20日
アイル?
「なぁこれ、名前のとこ……」
「うん!あなたのなま……あっ。」
まずいと言った顔をしたアトレは、しゅんとした様子で言った。
「ごめん、勝手に名前つけちゃった……」
嘘、だろ……?人間ってこんな島みたいな名前をつけるミスするのか……?
どこで見かけたかはわからないが、アイルっていうのは島って意味だと聞いたことがある。
別に俺は島じゃないから、島と呼ばれても微妙な気分だ。
「まあ。周りには偽名で名乗れば、」
「この国、名前で嘘ついちゃダメなの……」
まじで?本当に?本気で言ってるの?
俺が本当の名前思い出した時どうするんだよ。
失敗にしては大きすぎて、呆れて怒りの言葉も出ない。
俺ずっとこのよくわからない名前で生きていくのか。せめて山田太郎って言われた方がマシ……いやそれだったらアイルの方がいいわ。
「で、でも!王都に行った時わたしが王女様にお願いしてみるから!きっと大丈夫……なはず!それまで、あなたの考えた名前を愛称ってことにしてゴリ押……」
「いや、別にいいよ。」
目に涙を溜め、声を振るわせながら言うアトレに、ため息をついていった。
過ぎたことは仕方ない。それに、この子に命を助けてもらったからな。名前くらいなら許してもいいだろう。
あと、失敗したってわかった時のアトレの反応がちょっと面白くて言おうとしてたことが全部飛んでしまった。
「ちょうどいいから、この名前でこれからやってく。」
「……ほんと?」
恐る恐る尋ねてくるアトレに頷くと、彼女は顔を明るくして、こちらの手を握ってくる。
「ありがと!じゃあ、これからよろしくね、アイル!」
アイル。それがこれからの俺の名前……
ネーミングセンスはともかくとして、アトレに名前を呼ばれるのは悪い気分じゃなかった。
自分の名前はなかったのが、実はずっと気持ち悪かったのかもしれないな。
……そういえばもう一つの良いニュースって結局何だったんだ?
その後、俺たちは朝食を摂りに食堂へいった。
アトレの方にはパンとスープが出てきたが、俺の方はパン粥とスープだった。昨日出てきたパンはものすごく硬かったので、柔らかいパン粥で出してくれるのはとても助かる。アトレにそれを話すと、どうやら彼女が昨日、宿の人にお願いをしていてくれたらしい。
一口口に運ぶと、慣れない感覚と味が口内に広がる。
ちょうどいい塩加減って言えばいいんだろうか。馴染みがなくて違和感を覚えるが、美味しい。
食事に集中していると、扉を叩く音が聞こえる。
「りょう……」
「はーい!今行きますねー!」
音の主が喋り始める前に、アトレは立ち上がる。
彼女は駆け足で扉を開けにいく。俺もそちらの方向を見ると、開けられた扉からアトレより頭二つ分ほど高い男性がいた。デカくてちょっと怖いから、アトレに何かしたりしないだろうか……
アトレは男の肩に手を乗せ、明るい声で言った。
「静かに入ってくれる?」
「は、はい……」
彼女の言葉に、男はか細い声で答える。
あ、たぶん俺の予想と力関係が逆だな。
男はアトレに勧められて、俺の前の椅子へ座る。
彼女は俺の隣に座り直して、ポケットの中から小さい宝石のようなものを取り出した。
『リーア・スプラウト』
彼女はそう唱え、宝石に指を置く。すると、複雑な模様の魔法陣が部屋いっぱいに展開され、消えていった。
なんの魔法なんだろう、綺麗だな。
「……もう大丈夫。アイル、この人はここの村長、ボウロさんだよ。」
柔らかく微笑み、彼女はボウロへ手を向ける。
「よろしくな。」
「あ、ああ。よろしく。」
「この人はわたしがここの領主だって知ってる人なの。わたしたちが隠れているこの宿を勧めてくれたのも彼だよ。」
アトレのことを領主だって知ってる……だからボウロは若干怯えるような態度なんだな。
それから少し他愛のない話をした後、ボウロは真剣な顔つきで、俺たちに言った。
「今日は、頼まれていた調査の報告へ来た。」
調査の報告……追手たちの情報収集をするとか言っていたアレか。
さっき起きた時、アトレが言っていたよな。
何か不都合なことが知らされるんじゃないかと聞きたくない気持ちが半分、早く全てを知って対策を考えたいという気持ちが半分あった。
俺は膝の上で拳を握り、話に集中しようとする。
机の上に残っていたスープとパン粥はとっくに冷めていた。
「結論から言うと……追手の目的はわからなかった。しかし、彼らは随分と大きい組織に属しているみたいなんだ。」
目的が不明な上に、組織か……
脳の病気の人がよく言う酷い被害妄想が現実に起こったみたいだな。
俺は、意味もわからぬまま命を狙ってくる連中から逃げなくちゃいけないのか。
先程まで穏やかだった拍動が、速さを増していく。気持ち悪くて、ここにいたくないと脳が悲鳴を上げている気がする。
「そう、わからなかったのね……けれど、組織って?あの中に知っている顔はいないし、少なくともこの国の人間じゃないわよね?」
アトレがボウロに質問する。
彼女は俺と接する時と違い、なんだか大人っぽい雰囲気でボウロと話している。
よくわからないが、貴族モードの時はあんな感じなのだろうか。こんな時でも冷静でいられる彼女を羨ましいと思う。
その後、ボウロは厳しい顔でそれに答えた。
「ああ。この国の貴族もいないし、そもそも大陸ではなかなか見かけない顔立ちだ。」
あまりいない顔か……島国とかの人間だろうか?
アトレは頷き、考えるような素振りを見せる。
「なるほどね……」
「だけど、もう一つ変なことがあったんだ。」
ボウロのその言葉に、俺たちはパチパチと瞬きをしておうむ返しをした。
「「変なこと?」」
「ああ、それは……追手が関わった人間は、全員追手のことをうまくおぼえてられていないということだ。」
覚えていられない。記憶の操作だろうか。
記憶の操作と言うと忘れもしない、俺の記憶を奪われたことが頭に浮かぶ。
あいつらは色々な人の記憶を奪っているっていうのか……?
続けて、ボウロは話す。
「実際に関わった調査員から聞いた話によると……煙のように消えて、見た目も輪郭が歪んで見えたそうだ。覚えているのはただ一つ、『10歳前後の二人の男女を見かけなかったか』と言うことだけ。」
「えっ?ちょ、ちょっとまって?それって全部見た目の情報だよね?だとしたら、変身の魔法とか、そう言う類のものじゃないの?」
ボウロの話に、アトレが戸惑いながら追及する。
確かに、聞こえてきた質問のことは覚えているんだよな。見た目だけ覚えてるって言うんなら、キツネみたいに変身したと言っても不思議ではない。
だけど、ボウロはそれが変身魔法ではないと確信しているように言った。
「変身魔法は、連続性のありすぐ変わらない生命──猫とか、鳥などに変身ができる……あなたがそう言っていただろう?実際、オレはあなたが煙に変身しているところを見たことがない。」
「え、何それ面白そう。」
動物に変身できるってロマンがありすぎじゃないか。俺も覚えたいんだけど。後で余裕あったらアトレに見せてもらおうかな……
「それもそう、だね……ごほん。けれど、わたし以上の実力を持つ魔導士だっているかもしれないわ。煙のように消える人間については、こちらでも調査してみる。」
「ああ。何か進展があったら、こちらにも連絡を……」
「村長!領主様!大変です!」
突然大きな声が聞こえて、体が跳ねる。
扉の方向を見ると、小さな女の子が肩を上下させながらそこに立っていた。
「シャラン、どうしたのかしら?」
どうやらこの子はシャランというらしい。シャランは焦りながら説明し始める。
「えーっと!お母さんが止めてるんだけど、領主様たちを追いかけてる人がいるの!」
「「──っ!」」
も、もうここをかぎつけてきたのか……
あまりの行動の速さに、一周回って感心すら出てくる。
「わかった、シャランは早く家に戻ってくれ。身の安全を確保するように。」
「うん!」
シャランは駆け足で去っていく。音が聞こえなくなったあたりで、アトレがこう発言した。
「……アイル、ここから逃げて。あなたの安全はわたしが確保するから。」
「え……?」
何を言っているんだ。アトレがここに残ったら、無事で済むかわからないのに。
アトレは続けて、早口で言った。
「大丈夫。護衛はつけるし、王城につけば保護してもらえる。だから……」
なんだか、様子がおかしい。焦っているような、なんというか。俺の勘違いかもしれないが、手も震えているような気がする。
もしかしたら、彼女も怖いのかもしれない。
そう思うと、勝手に口が開いていた。
「そしたらアトレが危険だろ。一緒に逃げよう?」
俺にここの事情はわからない。アトレの言う通り俺だけ逃げた方がいいのかもしれないし、もしくは一緒に逃げた方がいいのかもしれない。
でも、アトレをひとりぼっちで置いていきたくない。
命の恩人だからだろうか、俺は彼女に少し執着してしまっているようだ。
今の俺にとって、彼女は全てだ。だから、彼女が怯えないようにできるのなら……最悪かもしれない選択肢だって取りたい。
「でも、わたしには領主の仕事だってあるし……」
俺の言葉に否定的になるアトレに、それまで黙っていたボウロが口を開いた。
「いや、二人が狙われている今、あまり一箇所に留まることもできないだろう。それに……あなたがいなくたって、もうこの村は簡単に壊れたりしない。」
「……ほんとに?」
ボウロは大きく頷く。その仕草を見て、アトレはなぜか少し悲しそうな顔をした。
「心配だったら、次の村に手紙を送る。それで無事かはわかるだろう?」
「うん。そうだね……」
「だから、すぐにでも二人で逃げろ。あいつらが、完全に中に入ってくる前に。」
──……
木漏れ日が差し込む森の中を、警戒しながら歩く。穏やかな森の中はとても美しいはずなのに、今の俺たちにはどこから敵が飛び出してくるのかわからない地獄に見えた。
アトレはずっと落ち着かない様子だ。きっと、自分が最初に言ったことが通らなかったのが不安だったのだろう。
なにか彼女にも具体的な作戦があったのかもしれない。俺はなぜそこまでしてあの村に残ろうとしたのか問う。
「なあ、アトレ……どうして自分はあの村に残って、俺を一人で逃げさせようとしたんだ?」
「……特に理由はないよ。ただ、ちょっと焦っちゃってたって、だけ。」
「でも、なんで村に残りたかったんだ?しかも、アトレ一人で……」
俺の問いに答える彼女の声色は暗かった。俺がもう一度問うと、アトレはおもむろに立ち止まった。
「あなたと出会った日ね……あの火事で、お父様は死んだの。」
家族が、死んだ。
あの時、そんなことがあったのか……
「お母様も以前亡くなったし、義妹も王城に避難させた。生きる意味だった家族は、バラバラになったの。」
それは……不安にもなるな。
なんて言っていいかわからない。だけど、彼女に聞こえるように相槌だけはちゃんとする。
「悲しかったの。誰も居なくなったのが。今も、今も怖いの。出会った人がいなくなってしまうのが。」
「あなたにとってわたしは他人だけど、わたしにとって、あなたは最後の命綱だった……だから、村に残って、囮になってでもあなたを守りたかった。そんな、下らない理由だよ。それに……ううん、なんでもない。」
俺が、彼女の命綱……
だから、俺を生かすために逃したかったのか。
だけど、アトレの言葉には一つ不満なところがある。俺にとっても、彼女は他人なんかじゃないと言うことだ。
「そうだな、下らないよ……自分だけ、そんな……」
俺がそういうと、アトレは振り向いて俺の方を見た。その顔には、不安と悲しみが入り混じっていて金色の瞳は、瞬くたびに雫を落としていく。
「俺だって、今はお前が命綱だよ。だから、そんな簡単に自分だけいなくなるなんて言うの、嫌だ。」
「アイル……」
言い終わる頃には、俺も視界がぼやけて、声が震えて、目が熱くなっていた。
敵がいつくるかもわからない。自分がいつ死ぬかもわからない。いつ……彼女が死んでしまうのかも、わからない。
緊張で張り詰めた糸がいつ切れそうかわからなくて、怖くて怖くてたまらない。
だから、だから……せめてこの命綱にしがみつけるように、アトレには俺にしがみついて欲しい。
「逃げよう。アトレも、俺も、助かるように。」
ここから、俺たちの逃げるための旅は始まった。
ちなみにボウロさんはハゲです。




