第一話 喪失と邂逅
それは、ずっと昔からあった話だそうだ。
──世界が終焉を迎えるとき、神が再臨することを人類は祈っていた。
実際に世界が終焉に近づいたとき、現れたのは記述とは違う姿の女神の化身だった。けれども女神の命令がくだされる度、人々は敬虔な態度で従った。
しかし、女神の命令に背いた者が一人いた。
それは人の形をした悪魔だった。悪魔は女神の化身を殺して、人類を絶望に陥れた──
その後、終焉を乗り越えた人類は、女神の再臨を待ち、今でも祈りを捧げている……らしい。
馬鹿馬鹿しい話だと思わないか。
神なんていないよ。少なくとも俺の中ではさ。
視界が徐々に狭くなり、耳も肌も何も感じられなくなっていく。
でも、もしも本物の神様がいるのだとしたら……一つだけ、願いを叶えて欲しい。
ぼんやりとした意識の中で、俺は一つ思い浮かべる。
『この世界から、魔法を消してください』
なんて。
──……
なんだろう。とても寒い。
気がつくと、何も見えないほどの暗さと酷い痛み、寒気に包まれていた。
どうしてこんなことになっているんだろう。
俺はこの状況の原因を思い出そうとするが、頭には何も浮かんでこない。
何も浮かんでこないというのは、自分が少し前何をしていたか、とか昨日の夕ご飯が何か、とかそういうレベルじゃない。
自分の名前も、見た目も、何もかもを忘れていたんだ。
自分について何もわからない。それを知覚した途端、恐ろしいほどの不安が襲ってきた。
どうしよう、このまま生きて帰れたとしても、俺には何もかもがわからない。
居たはずの家族も、あったはずの将来の夢も……生きる意味でさえも。
きっと俺には、ここで死ぬしか楽になる道がないのかもしれない……
寒い、痛い、怖い……お願いだから、誰も助けに来ないで欲しい。親しい人だったら怖いから。
そんな暗い思考や感情だけが、頭を駆け巡る。
しかし、こんな状況では考えることしかできない。苦しみを反芻し続けるしかない状況を味わって、やがて考えることすらできなくなった体が、思考速度をだんだん遅くしていく。
それが、死の足音が刻一刻と迫っているようだった。
どんどん遅くなって、鈍くなって……完全に思考が静止しようとしている。
俺はその瞬間、漠然とこう思った。
「まだ生きていたい」と。
「……じょう……きこえる?」
気分が悪くなりそうなほどの血の匂いと、煙の匂いがする。
誰かの声だ。でも、誰だかわからない。さっきの考え事が届いたのだろうか。俺の思いに呼応するように響いてきたその音は、どこか不安を感じさせる声音でこちらに呼びかけている。
「……た。いきて……」
生きて?俺、あの状況から現世に帰って来れたの?
いやいや、そんなわけない。だって今も、寒気や痛みが……
ない、な?
耳も、肌の感覚もある。先程まであんなに苦しんでいたのが嘘のようだ。今はむしろ熱いくらいに暖かい。
不思議に思って、恐る恐る瞼を開ける。
そこには、先ほどのような真っ暗な空間……ではなく、燃え盛る部屋の中だった。そこで、腰まで長い白髪をした美少女が一人立っている。
「……え?」
「気がついた?よかったぁ……痛いところ、もうない?」
え?……は?
少女の言葉が全く頭に入って来ない。
『痛いところ、もうない?』じゃないだろ。
なんで燃えてるんだよ。それでいてなんで燃えている状況で呑気にそんなことが言えるんだ。
目の前の状況がすぐに呑み込めず、ただ困惑する。
どうしよう。どこから突っ込めばいいんだ。
まず誰なのかを聞くべきか?それともどうしてこんなことになっているのかを聞けば良いのか?はたまたここがどこだか聞こうか?
俺は発する言葉を選ぼうと迷いはじめるが、迷っているほどの余裕はこの場になさそうだ。
だけど、どの質問をしようにも、俺を知っているかもしれないこの少女に、自分にここまでの記憶がないと言う事になる。
それは……少し怖い。
返答に迷い少しの間黙っていると、不思議そうな顔をした少女がこちらを伺うようにずいっと近づいてきた。
「だいじょうぶ?声は出る?」
思わず心臓が高鳴り、反射的に体が引く。
「……っ!あ、大丈夫…」
上擦った声で返答すると、少女は目尻を下げて小さく笑みを浮かべた。
自分の声に違和感を覚える。きっと、俺は自分の声がどんなものかすらも忘れてしまったのだろう。
……思っていたより記憶の大部分がなくなっているみたいだ。だったら、ここの常識も法則も俺は何もわからないかもしれない。
「ならよかった。混乱してるだろうからゆっくり話がしたいんだけど……できそうにないね。立てる?歩きながら話すよ。」
少女は俺に手を差し出す。その手を取り立ち上がると、彼女は光るヴェールのようなものを俺に被せた。
不思議なことにヴェールの存在を確認できたのはほんの数秒だった。その後はすぐに俺の体に溶けて馴染んでしまった。
「それで、少しは見つかりにくくなったはずだよ。それじゃ、わたしについてきて。」
突然のことだったから意味がわからなかったけど、見つかりにくくするための行為だったんだな。どう言う仕組みかはわからないけど。
少女は手を繋がれ、どこかへ導かれる。
その途中、彼女は俺が記憶喪失になる前の出来事を話してくれた。
「……つまり、俺は襲撃者に記憶を奪われて、こんな状態になっちゃったのか?」
「その……はずだね。わたしも記憶に影響を受けているから、詳しいところまではわからないけど……」
少女はここを襲った襲撃者からの避難誘導をしていたそうだ。
その途中、この燃え盛る屋敷で俺と出会い、一時的な協力関係を結んだらしい。
だから、少女は俺が記憶喪失だと言うことをわかっていたようだ。
その後、件の襲撃者と出くわした俺たちは、戦う途中で未知の魔法に被弾。気を失い、意識を取り戻したときには記憶が一部かけていたと。
まさか少女も似たような状況にあったとは思わなかった。深刻さの違いはあるけど、仲間がいたことに少し安心する。
魔法というものがどういうものなのかは知らないが、先ほど少女がかけてくれたヴェールのようなキラキラ〜したやつが魔法……ってことかな。
「今はとにかく、ここから抜け出さないと。だから──」
少女の言葉が突然途切れる。彼女は突然振り向き、俺の背後を見て目を見開く。
「どうしたの?」
それを不思議に思い尋ねる。その瞬間だった。
「──居たぞ!こっちだ!」
突然大声が聞こえて、全身が大きく跳ねる。
声の方向へ向くと、そこには武装した集団がこちらへ向かっていた。
……例の襲撃者だ。
襲撃者は敵意をあらわにしてこちらを睨んでおり、簡単に逃がしてくれるような雰囲気ではなさそうだ。
「逃げるよ!こっち!」
体が固まっている間に、少女は俺の腕を取って走り出す。
それについていくと、後ろにいる追手の気配がだんだん増えていくのが感じ取れる。
これ、逃げ切れるのか?絶対捕まって死んじゃうよな?
死ぬ……暗くて、寒くて、痛くて、それが永遠に続くあの地獄。
想像しただけで呼吸がおかしくなる。ああ、先ほど死にかけていた時の感覚が嫌というほどこびりついているようだ。
そこから、必死に数分走り続けた。
その僅かな間に、何回あいつらの攻撃で死にかけただろうか。
一生分の危機を味わったのではないかというほどの攻撃を避け、やがてある部屋にたどり着いた。
少女が小さく何かを唱え、扉を開ける。
そこには重厚な金属の扉と、人間のし……そっちは見ないでおこう。
何かグロテスクなものが見えた気がするのは無視して、彼女の先導する方向を見つめる。
少女は金属扉を開け……素手で触って大丈夫か?熱くない?うん、中に入る。
「階段あるから、気をつけて」
「わかった」
階段を降りた先は、地下室だった。不思議なことに、ここの空気は煙たくないし、温度も正常だ。
地下室の床には、一部分が欠けた転移魔法陣が書いてある。
……一部がかけた転移魔法陣?全体を見たことがないはずなのになんでそんなことがわかったんだ?
何か嫌な予感がしたのと同時に、少女と繋いでいる手の力が強まる。
「え、そんな……これじゃ転移できない。」
少女の方向から震えた声で、微かにそう聞こえてくる。
彼女は転移魔法陣を起動させてここから逃げるつもりだったようだ。
「欠けているこれを、そのまま起動はできないのか?」
俺は頭に浮かんだことをそのままぶつける。
「起動は……できるけど、ここまで欠けていると難しいかも。せめて、せめてもう少し損傷が少なかったら……」
少女は相当焦っていて、落ち着かない様子を見せる。
どうすればここから抜け出せるだろうか。
今から地下室を出て外に出る……としても、敵の数で俺たちが惨敗する予感しかしない。
この魔法陣を使えるようにできれば……
例えば、穴の空いた服を繕うように。千切れた写真をテープで修理するみたいに。
完全に元通りにはならないけど、元々の機能は果たせるように治せれば。
「なあ、修理するっていうのはどうだ?」
「……修理?」
俺は頷いて、自分の考えを話し始める。
「何故かはわからないけど、この魔法陣がどんなふうに欠けているのか……わかる気がするんだ。だから、そこだけ線を引き直して、起動できる状態になれば……って、思うんだけど。」
正直言って魔法というものがどんな仕組みで動いているのかがわからないので、自信はない。
俺の言葉を聞いて少しの間考える素振りを見せた少女は、何かを決心したような顔をしてこちらをみた。
「やってみよう。どうなるかはわからないけど、このまま何もしなかった時の結果は明白だものね。」
「……ああ!って言っても俺、魔法の使い方とかわからないけど。」
そもそも、魔法を使うための杖がないし……
『──!』
うん?今何か、頭の中で音が響いたような。
音の出所を探せと言っているようにそれはずっと鳴り響いていて、俺も引き寄せられるように頭の中で発信源を探す。
やがて俺の意識は、音が一番大きく響くところに辿り着く。これは、この感覚は……
「あれ?でも、杖は出せたじゃない?」
「え?」
いつの間にか瞑っていた目蓋を開けると、俺の手には黒い杖が握られていた。
握り心地にどこか懐かしさを感じる。もしかしたら、俺が記憶を失う前から使っていたものなのかもしれない。
「それなら話は早いね。わたしが最初補助してみせるから、やってみようか。」
懐かしいと感じる杖を不思議に思いながら見つめる。その間に少女は俺の後ろに回り込んできた。
そして突然俺の手に自分の手を重ねる。
突然触れられたことに驚き、反射的に離れてしまいそうになる。
しかし、それと同時に空気に光の粉が舞い始める。俺はその場から動けなくなり、驚愕で体が固まった。
「いい?空気中にある魔素……この光ってるのをかき集めて、糸にするの。その糸をかけている部分に引っ付けるんだよ。」
光の粉……魔素をかき集める。
自然と方法は頭に浮かんでくる。魔素が光り始めた途端から、俺は魔素と同調したような感覚を覚えていた。
自分の体を動かすように魔素も動かせる……自分の体が大きくなった、いやめちゃくちゃデブになったような気分だ。
光る魔素をひたすらかき集めて、糸を捩るように一本にまとめていく。
「そろそろいいと思うよ。」
少女が肩を叩いて知らせてくれる。
俺は魔素で作った一本の線を、魔法陣の欠けた部分にはめた。
……やばい、このペースだとあと五分くらいかかりそうだけど、生きていられるか?
「わぁ!すごい良い感じ、これだったら……」
「扉が破れたぞ!」
上の方で大きい金属音が響いた後、そんな声が聞こえてくる。
俺は魔法陣を修復するのをみて顔を輝かせた少女も、その声で表情を真剣なものに変えた。
「来ちゃったみたいだね。このままあなたに修復を頼んで良い?その間、わたしはこことあなたを守るから。」
少女は光る壁……防壁?のようなものを展開して、そう言った。
「で、できる限りやってみる」
地下室は魔法陣があるだけなので、広さはそこまでない。だから、さっき襲ってきた奴らがここに押し寄せたら……
──う、暗いこと考えない!やるべきことに集中しないと。
嫌な方向へ向かってしまう思考をどうにか正し、目の前の魔法陣に集中する。
パン!
何かが弾けるような音が聞こえる。
「チッ……銃でも弾かれるのか。化け物かよ。」
怖い、俺が失敗したらあの少女は死んでしまうかもしれない。
死にたくない、死んでほしくない。お願いだ、成功してくれ!
必死に魔法陣を修復する。するとやがて、魔法陣は光を放ち始めた。
「発動、した……?」
「っ!急げ!あれを使っても良い!」
襲撃者は焦り始める。そうまでしてどうして俺たちを狙うのか。怖いほどの執念が、目に焼き付くほど印象強い。
「やった、いくよ!」
少女がこちらに駆け寄り、魔法陣の範囲に入った。
魔法陣の光が強まり、すぐに発動するということを知らせてくる。
あと一秒もしないうちに逃げれる。その時だった。
ガラスが割れたような音がして、奴らはこちらへ銃を向けてくる。
これだけ……これだけしてもまだ諦めないのか。
いっそ怒りすら湧いてきて、俺は手を伸ばしていった。
「こっちくんじゃねえ!」
「うん?へ?ちょっと?わああああああああ!?」
言い終わると同時に、目の前にいた人間は消えて、景色が暗い森の中へと変わる。
その直後、俺たちは空を舞った。
いや、比喩とかじゃなくて。手を伸ばした時、とんでもなく強い風が吹いて、その力で俺たちは飛んでしまったんだ。
視界が星空と、空に浮かぶ魔法陣でいっぱいになる。
なんであんなところに魔法陣があるんだろ。でも、綺麗……
「もー!追い払うためとはいえ、風魔法をあんなに強く出しちゃ……」
ああ、俺、魔法使ったんだな……
一気に空高くまで飛んで体に負荷がかかったのか、意識がだんだん薄れてくる。
あの時、追い払おうとした時、俺は思い出した。
この魔法なら追い払えるって。
よかった、少しは覚えていることがある、って、…
「え?ちょ、ちょっと?なんで目閉じ……ね、寝ないで!こんなところで!おねが……」
声がどんどん聞こえなくなっていく。それについて何かを考える間もなく、俺の意識は落ちていった。
──……
あれ、俺何してたんだっけ。
心地よい暖かさの中で、俺はまどろんでいる。
確か、綺麗な女の子と出会って、助けてもらって……
そうだ、あの子はどうなったんだろう。
うまく考えられない脳で思い出せるのは──あの時の煙の匂い、あの少女の声、そして……殺意をこちらに向けて、執念深く攻撃をしてくる、襲撃者の、
「っ!!はぁ、はぁ……」
そこで目が覚める。
脳というのは厄介なもので、一度でも経験した辛い気持ちを、何度も反芻してしまうらしい。
……手が小刻みに震えて、呼吸が乱れる。
今でも目を閉じると襲撃者の姿が、声が聞こえてくるような気がする。
とても、とても怖い……自分が死ぬのも、近くであの少女が死ぬのも。
そういえば、ここはどこだろう。ベッドの上に寝かせられているということは、なんとなく肌触りでわかるけど……少なくともあの状況からは助かったってことで良いんだよな?
周りを見渡すと、塗装が少しはげたフローリングに、薄汚れた壁。なんかやだな、早く出たい。この布団もどんな衛生状態だかわからない。
この部屋に忌避感を感じていると、ドアが開く音が聞こえる。
ドアの方向を見ると、そこから少女が見える。
……!よかった、生きてる!
少女と目が合うと、彼女は目を見開いてこちらへ駆け寄ってくる。
「……おはよう?」
それからなんの言葉も発さず、手首やら頭やらを触ってきた。やがて、その動きが止まると突然崩れ落ちる。
「っ、はぁあ、よかったぁ……!おはよう、あんまり起きないから死んじゃったかと思った。」
深い息をついて目に涙を浮かべながら、安堵したように笑顔を見せる。
心配してくれていたことに、どこかくすぐったさを感じるな。
「そ、そんなに眠っていたのか?」
「うん、一日と……半分くらいは。」
「結構寝たな!」
その間、ずっとこの子は看病していてくれたのかな?
俺はこの子の名前すら覚えていないっていうのに。随分親切だ。
「お腹は空いてる?ご飯、食べに行こっ。」
少女が手を差し出していう。
俺はその手を取り立ち上がろうと力を入れた。
「へぶ!?」
力を入れよう……としたが、その前に体勢が崩れて床にへたり込んでしまう。
「え!?け、怪我ない?だいじょうぶ?」
「だ、だいじょ……力入んない……」
心配そうな顔をした少女が、何かに気がついたように苦い顔をする。
「あー……そういえば言い忘れてたんだけどね、わたし、今までずっとあなたに体を強化する魔法をかけてたんだよね。」
「体を強化する魔法?」
「うん、で、今のあなたは魔法をかけてない素のようたいなの。」
まて、じゃあ俺の体力って今これだけしかないってことか?
それじゃ一体、どうやって生きていけっていうんだよ!!
ちなみにこの後食事をしにいったんだけど、その途中の階段で見事に転けて、俺は少女に抱っこされながら食堂へ行くことになったのだった。
王道の最強なろう(の予定)です。とりあえず第四話まで更新したのでそこまで読んでいただければ……!
週1くらいで更新する予定です!よろしくお願いします!




