第124章「アイリスとアクアの大ゲンカ」
夜の酒場は、ランプの光と低い弦楽の調べに包まれていた。
ケイはカウンターで一人、琥珀色の酒を揺らしている。
(……俺が王に……シルファと結婚して、この国を……)
想像するだけで胸の奥が重くなる。英雄と呼ばれながら、心はまだ迷子のままだった。そんな時だった。
「……えっ!?ケ、ケイ?!どうしてここに」
振り返ると、アイリスが立っていた。勝ち気な表情を崩し、少し緊張した様子で目を見開いていた。
「アイリス?!い、いやシャドウナイト襲撃事件を解決してしばらく休暇だろ?それで1人で飲みに来たんだ!ア、アイリスは?!」
「ふぇっ?!ちょ、ちょっと……ねっ……あはは……とりあえず隣いいよね?」
「あ、ああ……」
彼女は隣に腰を下ろし、注文したグラスを軽く掲げた。
「乾杯しよっか!」
「そ、そうだな!乾杯!」
軽くグラスが触れ合い、澄んだ音が響いた。
二人の間に、しばし静かな時間が流れる。
アイリスがぽつりと口を開いた。
「……あのとき、ケイがシルファにキスされて……アクアにまで……正直、少し怖かった。ケイが、遠くへ行っちゃうんじゃないかって」
ケイは苦笑し、視線を伏せた。
「遠くに行くことはないだろ。俺もアクアのことはびっくりしたな……うん。まさかだった」
「……ふぅん……でもよかったね。あんな綺麗な子に好かれて……キスまでされて」
「な、なんだよ……」
少し照れたケイを見て、アイリスは顔を赤らめヤキモチを焼く。
「シルファにフィオナ、私に次はアクアですか……モテモテだよね。ケイは。」
「ず、ずいぶん刺のある言い方だな……」
それからアイリスは自身の頭をケイの肩にもたれ、そっとケイの腕に自分の手を重ねる。
「でも……一番は絶対私だよね。私たちは月の運命でつながってるんだから……誰にもを渡さないんだから!!」
ケイはごくりと唾を飲み思わず彼女を見つめた。アイリスの声は不思議と力強いながらも優しく、まるで彼を解きほぐすようだった。
「……アイリス」
「私はね……あなたが側にいなかったらもう生きていけない……それくらい好きなの」
そう言って、彼女は照れくさそうに笑った。
ケイの胸の奥が少し温かくなる。
――しかし、その雰囲気を切り裂く声が響いた。
「……ケイ?」
振り返ると、酒場の入口にアクアが立っていた。青い髪が揺れ、彼女の表情は凍りついている。
ケイとアイリスが触れ合っているのを見て、彼女の瞳が震えた。
「な、何してるの……二人で」
「アクア!?な、なんでここに?!?!」
アイリスはそう言い警戒する。ケイは制する間もなく、アクアが駆け寄ってきた。
「私のファーストキスあげたよね!!!……な、なんでアイリスといるのよ!!」
声は今にも泣き出しそうで声を荒げ、酒場の空気が一瞬ざわつく。ケイはアクアに答える。
「ア、アイリスが来たのはたまたまだ!本当に俺もびっくりしてるところだ!」
ケイの一言にアクアは考える。それからケイとアイリスの両方を見つめ言葉を口にする。
「……あなたは嘘はつかないものね……信じてあげる。それよりアイリス。ケイから離れなさい!!早く!!」
「っ……!!ぜ、絶対嫌!!ケイは私の大切な人なんだから!!」
「はぁっ?!いくら親友だからってそれは許さないんだから!!人の男を奪うとかありえないでしょ!!」
「ひ、人の男って……ケイはアクアのものじゃないわよ!!!!」
二人はケンカを始める。ケンカするほど仲がいいとは誰が言ったのだろう。二人は本気で怒り合いながらケイの腕を左右から引っ張り合う。
「ケイは私と一緒になるんだから!!アクアには死んでも渡さないから!!」
「ふざけないでよ!!アイリス!!私のことなめてるわよね?!何私のケイにいやらしく触ってるの?死になさいよ!!」
ケイは頭を抱え、酒をあおった。
(……い、今間違ってもシルファと結婚しますとはいえねぇ……言ったら殺される気がする)
カウンターの奥で見ていた店主が、呆れ顔でぼそりとつぶやいた。
「……英雄様も大変だねぇ。勘定は三人まとめて頼むよ」
「……あ、ああ……」
ケイはシルファとフィオナが今いなくて本当によかったと心の底から思うのだった。




