第115章「その翼、君を守るために」
夜の海風が吹き抜け、遠くで波が寄せては返す音が響いていた。ダークネスジャイアントのいる戦場から少し離れた西部の名所カーラ橋のほど近く。石畳の広場に並ぶ古びたベンチのひとつに、ケイは横たわっていた。その理由はつい先ほどまで、彼はダークネスジャイアントの圧倒的な一撃に呑み込まれ、死の淵をさまよっていたからだ。
「……はぁ……」
かすれた息が漏れる。胸を締め付けるような痛みの奥から、温かな力が体を支えていた。ロゼッタの治癒だ。ハイヒーラーである彼女の力が、確かに命を繋ぎ止めてくれていた。
やがて、重たく閉ざされていた瞼がゆっくりと開かれる。滲む視界に最初に映ったのは、二人の少女だった。金色の髪を高く束ねたシルファが、号泣しながら震える唇を噛みしめこちらを覗き込んでいる。隣には、赤い短髪をしたフィオナ。強気な彼女でさえ、その瞳には顔を赤くし大粒の涙が浮かんでいた。
『ケイ……っ!』
二人の声が重なる。その響きが、冷たい夜気よりも深く、胸に沁みていった。次第に意識が鮮明になり始め、ケイは言葉を口にする。
「シルファ……本当に来てくれたんだな……」
「うわぁぁぁん!ケ……ケイ……よかった……よかったです!!こちらにロイとジョーカーと一緒に駆けつけて、ケイをみたときは本当に心配したんですから!!」
「は……はっ……どうやら運よく俺は生きてるみたいだ……フィオナも目を覚ましたんだな、本……当によかった……」
「よ、よかったじゃないわよ!!バカぁっ!!!!私が目を覚ましたら今度はあんたがアクアを庇って倒れたなんて……その話を聞いた時、私がどんな気持ちだったかわかる?!……なんで……なんであんたはいつもいつも自分の命より他人の命を優先するのよ!?もっと自分を大切にしなさいよっ!!」
「……悪かった……」
その後ケイはシルファとフィオナ以外にもう1人この場にいた女騎士の方を向き声をかける。それは自身を救ったロゼッタだった。
「……ロゼッタ……本当に……ありがと。お前は俺の命の恩人だ……お前が俺の部隊に入ってくれたこと、誇りに思うよ。」
「……ケイ様!」
ロゼッタはケイにそう言われよほど嬉しかったのだろう。普段クールな彼女の心に響いたのか眼鏡の外し、涙をハンカチで拭いていた。それからケイは今の状況を尋ねる。
「シルファ……今の状況を教えてくれないか?」
「は、はい!今戦える全騎士がダークネスジャイアントと交戦中です!!ロイとジョーカーも先ほど先に戦っている皆さんを追っていきました!もう合流して一緒に戦っているはずです!!」
「……そうか…………」
『?!?!』
ケイは身を起こすと、全身に鋭い痛みが走った。それでも彼はベンチから立ち上がる。その行動を見て3人は目を見開く。まさかと思ったのかロゼッタはかなり動揺した様子で尋ねる。
「ケ、ケイ様っ?!まさか戦われるのですか!?」
「ああ!もうエネルギアも十分回復したし!」
「い、いけません!!確かに私の最善を尽くして治療しましたがまだ完全には完治してません!!」
ロゼッタが焦った声で肩を押さえる。治療でかろうじて繋ぎ止めた命だ、再び立たせるなどヒーラーとして認められない。それからシルファとフィオナもロゼッタの後にケイを説得しようとする。
「ケ、ケイ!!ダ、ダメです!!ロゼッタさんの言うことをきいて下さい!」
「そ、そうよ!!あんたさっき死にかけたのよ?!?!今度こそ死んじゃうわ!!」
「ロゼッタ……シルファ……フィオナ……心配してくれてありがと。でも……戦うよ。なぜって……多分あの巨人は俺にしか倒せないから。」
『!?!?』
ケイのあの巨人は自分にしか倒せないという不思議な言葉に3人は驚いた様子で疑問に思う。そしてシルファは再び涙を浮かべ、ケイの目を真っ直ぐ見つめながら想いを爆発させる。ケイが再び戦場に戻らないように必死の表情だった。
「な、なぜですか?!なぜケイにしか倒せないのですか?!お、お願いです……行かないで下さい……他の騎士様に任せて下さい……そ、そうです!ロ、ロイとジョーカーもいますし……きっと!!」
「……シルファ……」
「は、はい……」
「『英雄は夕陽に輝く君のために』って日記……前に一緒に図書館で読んだの覚えてるか?」
そう言うケイの表情は儚げで、どこか切ないほど優しい。それでいて、誰もが抗えぬ確固たる決意を宿していた。3人全員がケイがこの状況で言っていることの意味を理解できなかった。
「……えっ……?な、何を……?」
「……使わないつもりだった……隠してきた……だが、もう隠してはいられない……」
シルファがそう疑問を言葉にする一方、ケイは一瞬だけ目を閉じ、静かに決意の瞳を開く。そしてエネルギアを集中させ呟くのだった。大切な人を守るための呪文を……
「……その羽ばたき、精霊の歌声のごとし……永遠の夕陽の輝きをもって、すべてを無に帰せよ……その命、その魂、その骸なきがらさえも……」
--その瞬間、彼の背にまばゆい光が迸った。黒髪は黄金の長く美しい髪へと変わり、その髪は風にほどけ、闇夜さえ霞ませるほどに輝いている。背には大きな二枚の金色の翼が羽ばたき、広がった光の羽は近くの海面を照らし、夜の波に緋色の煌めきを落とした。彼の全身を包むオーラは燃える夕陽のように赤く、しかしどこか温かで、見る者の心を不思議と震わせる。藍色の瞳は深い海のように澄み渡り、その顔には神秘を宿すかのような紋様が淡く輝いていた。――『太陽の翼』。
シルファはケイのあまりの美しく幻想的な姿を見て思わず息を呑んだ。幼い頃から聞かされてきた伝説の物語が脳裏をよぎる。かつて、絶望の中で現れた英雄。光を背負い、闇を退けた存在。
「……あなただったのですね……」
ぽろぽろと涙をこぼしながら、シルファは呟いた。
「夕陽の英雄は……」
ケイは振り返り、シルファと驚きのあまり言葉を失っていたフィオナとロゼッタを見つめた。その瞳には迷いはなかった……




