伝説を新たに(裏)
王太子のベルナンドが嫁取りに前向きではない。継母とはいえ、王妃ヴィオラは困っていた。
我が子のセナを優先せよとの仰せだが、やはり順番は大切なのだ。なんといっても王妃自身が妹に追い抜かれ、弟に追い抜かれ、肩身が狭かったのだ。
しかし、後添えではあったが、今は王妃。しかも男児ももうけた。
そう考えれば、順番は抜かしてしまっても良いのだろうか。
さらにヴィオラは、とても真面目な人だった。そう、その真面目さゆえに取り残され、その真面目さゆえに、ベルナンドの母として相応しいとバルジャミンに見初められたのだ。
「でも、やはりあの肩身の狭さを味わわせるわけには……」
そんなことを考えながら、窓の外から聞こえる侍女の声に耳を傾けてしまった。
まだ十代の若い侍女たちの声は、姦しく窓を突き抜けてきた。
「見つめあう二人。熱い視線。どうしてあんなに絵になるのでしょう」
「えぇ、禁じられた恋、はぁ、道ならぬ恋への……それ故のあのため息」
「やはり、報われないことを嘆いていらっしゃるのですね」
「だから、あえての花の中での、時を惜しんでの……密会。尊いですわぁ」
きゃあと言う歓声とため息すら届いてきたのは、気になったヴィオラが窓を開けてしまったから。まぁ、恋に恋する時期は、誰にでもあるものだ。たとえ、地位のある家柄の娘たちであっても。たとえ、行儀見習いでここに勤めていようとも。
ヴィオラにあまり心当たりはないが、妹がそうだった。
まぁ、平和だということでもありますわね。
そんな風に思いながら、彼女たちの声に聞き耳を立ててしまうのも、やはり人の性なのかもしれない。
「いったい誰のことを言っているのかしら……」
それでも、真面目なヴィオラは、王城内でそんな禁じられるような恋路を育まれては、規律が乱れてしまうわとさえ思い、調査させた。
そして、調べさせて上がってきた内容にとても胃が痛み、苦しんでいた。
「あぁ、だから、そばに置いていたのですね……。普通なら遠くへやるはずの者ですもの。どうして気付かなかったのかしら……」
分かりましたわ……。跡継ぎのことも考えれば、セナの縁談を先に進めなければなりませんわ。
いいえ、もちろん、セナ優先は伝えますが、このことはバルジャミン様には内密にしておきますわ。ベルナンド様の幸せは道ならぬ恋の上だったのですもの。たとえ、どんな幸せでも陰から応援させていただきますわ。
彼らの過去と関係性を知っているヴィオラは、やはりその辛さに腹痛を覚えてその腹を抑えた。
そして、渦中の中庭にあったベルナンドとオズワルト。
❀
「ほんとうに、ほんとうに、オズはそれでいいんだね」
「何度も言っていますが、そんな愚かな感情は抱こうとは思いません」
ベルナンドがフィアにプロポーズをするという話だった。バルジャミン陛下も既知のことを、どうしてオズワルトに口出しできるというのだろう。しかも、幼いころからベルナンドはフィアを気に入っていた。確かに、幼いころは護衛として少しやきもちを焼いたこともあった。ベルナンド様の傍に仕えるのは、俺なんだぞ、というような、そんな見当違いなやきもちである。
それも、ベルナンドにではない。あの時のライバルはフィアだったのだから。
そんな相手に特別な好意を抱こうとは思ったこともない。
「でも、オズだって可愛いって思ってるだろう?」
「可愛いとは思っていますが、可愛いの次元が違います」
その見当違いを今、ベルナンドがしているのだ。
オズワルトにとってのフィアは、妹か本当にポチレベル。今回、初めて意識して、ないな、と確信したレベル。
しかし、ベルナンドは、オズワルトに対して決して消えない大きな負い目はあるのだ。実際に彼が姉に手を下したことは、なかったことにはならない。彼にしてもオズワルトにしても仕方がなかったと割り切れるものではないし、もし、兵が押し入ってきた時にヒルダが逃げていれば、自分がどんな行動をしていたかも想像できない。
なんの関係もなかったフィアのように無視はできなかっただろう。
だから、同罪だとも思っている。結果は変わらなかった。
だから、いい加減あの変なこだわりからも解放させて欲しい。約束もしていないあの約束は反故だとまで何度も言っているのに。
それが真剣だから性質が悪いのだ。確かに竜の巫女はそんな性質の存在なのかもしれないけれど。
だから、その言葉を言わせないように、腹に収めようとしているのに、ことあるごとにこんな風に蒸し返すことだけ、腹が立つし、何かがぐりっと抉られていく。
いい加減忘れさせてほしいという本音を怒鳴りつけたくなる。
しかし、これはもっと違う。今回ばかりは腹を立てるを通り越し、オズワルトは大きなため息をついていた。
「気にせずにどうぞ」
「うん……」
❀
相手が嘘をついていないかを見極めるために、必死に彼を見つめるベルナンド。
そんな彼にため息をつく機嫌の悪いオズワルト。
なんとなく照れて黙ってしまうベルナンド。
色眼鏡で見れば、もしやとも取れる会話。
そこに、ベルナンドが妻を娶るという話が上がってくる。
おそらく花の咲く中庭でお茶を飲みながら、綺麗なお菓子をつまみながらのそのシチュエーションが悪いのだ。しかも、この頃になると、オズワルトの休暇ごとに。
オズワルトにとっては全く迷惑な話だ。
しかし、可愛らしいつくりの顔のベルナンドと男らしいつくりの顔のオズワルトは、それ故に、互いに変な虫も噂もつくこともなかったそうだ。
そして、ベルナンドとオズワルトの仲が全く変わらないまま飛び火した、体裁のために誂えられたその花嫁フィアには、同情の眼差しこそあれ、誰もがいびることなく、優しくその結婚式を見守ってくれたという。
彼女はその英雄の横に立つ、もう一人のティリカの平和への立役者。それなのに、名前まで偽りである。
白き乙女としての『ソフィア』が民の前に立つために準備をし終わり、控室を出た廊下でオズワルトとベルナンドがフィアの姿に手を振っていたので、フィアもその手を振り返そうとすると、フィアの召し物を整えていた侍女が、こっそりこう告げた。
「どうかお気を落とさないでくださいまし。とてもお綺麗ですから。本当にお労しい。平和の立役者のおひとりに、こんな仕打ちを……私はフィア様の味方ですので!」
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「何がお労しいのかしら? どうして気を落とさないでくださいなの? ねぇポチ。どういう意味だと思う? 仕打ちって……結婚ってそんなに地獄みたいなものなの?」
もちろん噂の根本を作ってしまったのは、図らずも真面目なヴィオラのひとりごと。それを聞いた侍女の一人。
「フィア様は何にもご存じないのですね……。だけど、陛下から直々になんて脅しのようなものだわ。断ることなどできなかったのでしょう……本当にお労しい」
ヴィオラはそう独り言ちながら、やはり腹部を抑える。
噂なんてそんなもの。
民を眼下に、フィアはベルナンドの横で、淑女らしく笑顔を振りまく。
そして、慣れた作り笑顔のベルナンドを見上げて首を捻った。
こういう行事はちょっと苦手だけど、ずっと笑顔も疲れるけれど、別に不幸せには思わないんだけど……と。
だけど、次は勝利と結婚を祝うパレードがあるのだ。これからのことはよく分からないけど、ベルナンドの花嫁として、平和の象徴の役目は果たさないと。
そう思い直して、馬車に乗る前にその半永久に崩れそうにない作り笑いの仕方だけは教えてもらおうと思った。
❀
そして、そんな城内にある勘違いにまったく関知していない発端のバルジャミンは、『伝説の再来』と大きく謳われている息子夫婦の結婚パレードを見下ろしながら、フィアとベルナンドのそれぞれを広間に呼んだ時を思い出していた。
その功績を大きく褒め称えたはずのフィアは、どうしてベルナンドを連れて行ったのかという問いと、息子のことをどう思っているのかという問いに対して、罰が下るものだと、勘違いしてしまったようだった。
彼女はその問いには答えずに、ずっと申し訳ありませんでした、と頭を下げ続け、震えてしまったのだ。その様子は誰かを庇っているようにも見えた。その相手がソフィアなのか、ベルナンドなのか、それは分からない。ただ、ベルナンドのことをどう思っているのかを尋ねたかっただけなのに。威厳というものは時にとても邪魔である。
しかし、ほんとうに、不思議な子だ。あれだけの功績をあげながら、ベルナンドを危険に晒してしまったと、後悔しているのだから。自分の力じゃないと言い張るのだから。
あのソフィアに愛された子。ベルナンドを連れて行けとは、きっと彼女の差し金だったのだろう。泣き虫のフィアをこれ以上傷つけないための。さらには、ティリカの伝説を改めるための。
だから、彼女は「白き乙女として凱旋パレードに出るのなら『ソフィア』として。私に何かができたということではないのです」と言ったのだ。
ほんとうに、ただ尋ね方が悪かっただけなのだろうか……。
だから、ベルナンドには「フィアを娶るつもりはないか?」と率直に尋ねたのだ。
こちらは、おろおろするばかり。ベルナンドがフィアを気に入っていることは知っていたつもりだったのだが……。
しかし、そろそろオズワルトを解放すべきだ、とも思っていたバルジャミンは、お互いが特に嫌がってはいないことを確かめられて、まず安堵した。
彼らの生きる指標を変えねばならなかった、というのはきっと今更な親心だ。
ベルナンドはよく頑張った。そして、オズワルトもよく耐えた。しかし、バルジャミンが与えてしまったものは、きっと永遠に解けない。だったら、王としてあり続ける方が良いのだろう。
ソフィアの「それに……」に続いた言葉だ。
それに、白き乙女と竜の巫女が別であったということが大事なのよ。
竜の巫女だけで竜を操ることなんてできないと、知らしめてやらなくちゃ。
あんな半端者に操られる竜がどれほど哀れなものか。
竜の血を継ぐ『竜の御子』
竜に愛された娘『白き乙女』
想い合う二人だから成し遂げた奇跡。
「これでいいのだろう?」
だから、バルジャミンはソフィアの望みを叶えることにしたのだ。














