終焉の時
最後の防衛線が破られた。雪崩のごとく押し入ってくる敵兵。空も大地も。赤いティリカの波がヒェスネビの黒い波にのまれていく。
オズワルトは、馬上の騎士の太刀を剣で押し戻し、その勢いでその顎の下に剣を突き上げた。
その者の断末魔を聞く余裕すらない。隣では、逆の結果が起きているのだ。突き下ろされた剣。敵は雪崩れ込んでくる。
次は己か。
しかし、ただ、剣を振るうのみだ。それだけが生きるための活路なのだから。
約束、したのだ。
死ぬのは彼の後。
長生きはしてやろう。しかし、その後に続く約束は違える。
震えるほどに苦しんで、オズワルトの目も見られないようなそんな弱い仇が言う約束など、守ってやるものか。
『君が死ぬのは僕の後だ。この戦が終わったら、君の仇の僕を討ってくれ』
違う。その名を呼ぶのだ。
「ベル」と。かつて、親友を呼んだ時のように。もう一度、三人で笑うために。
叶えたいのは、ただそれだけ。
ヒルダがフィアに託した花のメッセージは『大切なあなた』だ。
ヒルダはあのリリカの花が好きで、よくその花言葉をオズワルトに教えていた。だから、あの時フィアの髪をあの花で飾ったのだ。ヒルダは、分かっていたのだ。自分が今どういう位置にいるのかということを。
だから、花言葉なんかに託した。
「小さくても、みんなが集まって一つになるこの花。この国の花。花言葉もいいのよ。『大切なあなた』。でも、あなたたちって感じもするのよね……やっぱり、特別な人に贈るなら、マルバラが無難かなぁ。『愛をこめて』だし。まぁ、オズには分からないでしょうけどね、この細やかな乙女心なんて」
――妹だったら、分かってくれたのに、残念だわ
城に戻ってからのヒルダは、そんな風にオズワルトをよくからかっていた。
――分からなくて良いのよ
そんな意味を込めて。あの時まで分からなかった……。
そんなことを知らないフィアが、ベルナンドとオズワルトに『リリカの花』を渡してきた。
それは、この国にあるヒルダの『大切なあなたたち』なのだ。
もう二度と、こんな戦のために壊されてたまるものか。
オズワルトの胸ポケットには、フィアがくれたリリカの花とベルナンドの手紙がしまわれている。
バルジャミンは、陣を護るために立ち上がり、いつでも迎え撃てるように、構えた。ベルナンドを思う。
そして、後を頼むと、前方を睨み付けていた。
偽りの竜が、ティリカの翼竜を弄ぶようにして、いたぶっていた。追撃されて墜落する。弓矢部隊が応戦するが、まったく効いていない。
弓矢など簡単に払われてしまう。それが偽物であれ、あれは竜なのだ。
バルジャミンの青い瞳がその空の向こうへと移った。
その先にあるのは白き太陽。ティリカが崇める陽光の竜そのものである。そして、その光から一つの点が放たれて、大きくなっていく。まるで希望の光が膨らむように。
――竜だ。
「落ちないでよ。急降下するわ」
「フィアこそ」
ソフィアの背に乗るふたりは、その突き上げてくるような風の圧に押し潰されないよう、身を低くし、互いを支えあっていた。ベルナンドの手には弓がある。そして、狙う。
圧勝を期待してその陣の中央に坐する者へ。その胸へ。鼓動を止める。一瞬も逃してはならない。
誰もがその白き影を完全に認識したわけではなかった。ただ、何かが変わるのではないかという希望と絶望がまじりあった瞬間であったことは確かだ。
逃げない。
フィアは思う。
終わらせるんだ。
ベルナンドも思う。
まっすぐに、射程に入ったその時に、その弓が一光の矢となり、戦場を切り裂いた。ベルナンドの矢は、狙いを決して外さない。
「皇王陛下っ」
白い光が護衛のすぐ後ろへと突き刺さっていた。
王が討たれたのだ。それでもわずかな乱れしか見られなかったのは、彼らが優秀だったからだろう。そして、その乱れた一瞬の中心に飛び降り立ったのは、白き乙女。そして、ティリカの太子。
彼らが無事に大地に降りたことを確かめた陽光の竜が、再び羽ばたき上空へ。
その上空で、咆哮が響く。怒りだ。空と大地、すべてを揺るがす激しい怒りが、広がっていくのだ。
その轟きと猛攻に翻弄された偽竜たちのせいで、上空の隊列が乱れ始めていた。その乱れに乗じたティリカの翼竜軍の追撃が、さらにヒェスネビにダメージを与えていく。
小さな偽竜が一騎、また一騎と大地に叩きつけられ、灰塵をあげて、沈んでいく。
そして、陽光の竜が、中心にいた一段と大きな竜の首に噛み付き、その肉を食いちぎった。
偽りの陽光が消えていく。
雨のようにその血飛沫が落ちていく様子が見えた。絶え絶えに吐き出された炎までも、陽光の光に呑み込まれ、跡形もなく、消えていく。
胸に矢が刺さり、息も絶え絶えのヒェスネビ皇王が見た最期の光景は、敗北だった。
一瞬の隙が現れたヒェスネビ軍の見たものは、白き乙女の風を切る手。白金の髪が風にふわりと上昇し、その茶色い瞳に緑が宿る。
何かが起こる。その前に、号令が響いた。一斉に放たれた弓矢が、強力な風にあっけなく弾かれ、広がる白い光に目を潰された。それでも剣を構えた者たちが踏み込んだ足は、広がったマグマが呑み込んだ。すべてを呑み込むかのような、赤い大地が踏み込む大地全てに、そして、頭上にまで伸びて、彼らを呑み込みにかかったのだ。
赤く溶けた大地が彼らに襲い掛かる。
熱に喉が焼かれていく。ひりつく手足は、爛れるのを待たずに溶けた大地に呑まれていく。絶望に、息が止まる。彼らには逃げるという考えすら与えなかった。
しかし、違った。彼らの足を掴んでいるのは氷の枷だ。足元にあるのは、滑らかに磨かれた、まるで鏡面のような氷上で、喉はその白い冷気にやられ、手足は凍傷に赤じゅんでいるだけ。
ここの指揮を任されていた者が、尻もちをついたまま、「熱い」と呻き、喉を掻く部下の様子に口を開き、どの言葉を放てばいいのかも分からずに、息を吞んでいた。
一瞬だった。竜が現れ彼らが落ちてきて。
形勢がこんなにも急に変わるだなんて。見つめた先にあるのは、太陽の光のような髪をした少女だ。
その白き乙女が空を見上げる。
「偽りの竜の騒ぎに憤っていた魔女たちが、ヒェスネビを完全に占拠しているころね」
そして、彼の目の前には青年が立っていた。弓を引く水色の瞳が、彼に冷たくおろされる。
「王も死んだ。もう終わりだ。降伏の狼煙を上げろ」
終焉の狼煙に二国の解放を意味する様々な声と涙が、それぞれの国に響いていた。














