別離(ベルナンド)
ヒェスネビとティリカは隣り合う国だった。大きくもめることもなく、大きく仲良くなることもなく、けん制しあい、擦り寄るような。
隣国としては当たり前のような関係だった。
その均衡が崩れたのは、おそらくヒェスネビに竜が襲い掛かったからだ。
陽鉱石を採り過ぎたのだ。陽鉱石は竜の食べ物でもある。だから、襲い掛かられた。さらには、食べ物がなくなったヒェスネビに住んでいた竜たちが各国の陽鉱石を求めて、各国に被害を与え始めたことを、竜の国ティリカが仕向けていると、自国に触れ回った。
もちろんティリカもその事実は知っていた。だが、ヒェスネビ内で噂されるような事柄に、わざわざ牙を剥く必要もなく、放置していたこれも悪かったのだろう。
さらに、間が悪いことに、そんな時にベルナンドの母の死についてを知られたのだ。
情報源はヒルダだ。
ヒルダの母はティリカ出身だったが、父はヒェスネビの者だった。だから、オズワルトもヒルダも出身はヒェスネビだった。ヒルダの母とはすでに離縁していたために、幼かったオズワルトと父親の交流はなかった。
しかし、五歳までしか関わってこなかったオズワルトにとっての父と、十一歳まで父として存在した者の意味合いはまったく違ったのだろう。ヒルダはその父と手紙のやり取りをしていたのだ。
その父と再婚相手にはヒルダとオズワルトの妹が生まれていたそうだ。そして、その再婚相手とも上手くいかずに、逃げられている。
貧しい暮らしの彼らに、王宮勤めのヒルダが仕送りを始めたことで、ベルナンドの母のことが知られた。
おそらく、初めはほんとうにただの世間話だったのだろう。
まさか、ヒェスネビ皇王に利用されるだなんて思ってもみなかったのだろう。
押収された手紙の内容は、日を重ねるごとにティリカの社会情勢を尋ねるものになっていた。
だけど、ヒルダは手紙を送ることをやめなかった。金になるからだ。
言い訳のようにそこまで考えたベルナンドは、胸を掴まれたような感覚に陥った。
違う……優しかったからだ。
だから、貧しいヒェスネビにある幼い妹を棄てられなかったのだ、きっと。
ベルナンドもバルジャミンも彼女のことは、ちゃんと知っていた。
だから、十三歳になったオズワルトが、ベルナンドの傍に遊び相手も兼ねて置かれたのだから。
だから、ティリカにとっては裏切りでしかなかった。
ヒェスネビは竜の巫女の実在を知った。竜を操れると知ったのだ。そして、探し回った結果が、誘拐サーカスだった。
あのキメラの腹の中から出てきたのは、年齢問わずの男女十八名。酩酊状態の者のうち、一週間のうちに家族の元へと返せた者は、たった五名。その五名は二日以内のサーカスに赴いた者たちだった。
その後、フィアも含めた魔法使いたちが残りの酩酊者も正気に戻そうと、努力を続けた。しかし、一年経った今も酩酊が解けず、家族の元へ返せない者が七名もいる。
彼らは結界のない場所で、竜の好む魔力を秘めた竜を呼び出すかもしれない予備軍なのだ。
酩酊を解いた数は、フィアが一番多かった。
フィアは必ず言っていたそうだ。
「いい? あなたの髪の色は黒色。そして、瞳の色は栗色よ。名前はアミン。ちゃんと思い出して」
他の魔法使いからすれば、なんの暗示でもなく、どんな魔法でもない単なる言葉だったそうだ。だから、関係ないと報告はされていた。
だから、ベルナンドもそれを追求しなかった。
フィアは十五歳で城を下がらせる。あの役目を負う条件の一つとして、竜を見つけるためにフィアを使うと決めたバルジャミンに突き付けたものでもある。
父を信じるだけではいけなかった。ヒルダは護れなかった。だけどフィアまで失いたくなかったのだ。
これ以上、関わらせたくなかった。理由はそれだけだ。
フィアは、役に立ってしまうのだ。
あの髪色然り。魔力然り。聖戦なんかじゃない。単なる国同士のぶつかり合いだ。
サーカス団にいた八十名のうち六十名近くが処刑されている。飯炊き女やほんの小さな子ども、まだ何も知らされていない入団して間なしの者は、放免とされたとは聞かされているが、あのサーカス団だけでも少なくない人数が死んでいる。
さらには、ヒェスネビを手引きしたと思われた相応の立場の大臣たちも、ほとんどが同じ運命を辿った。
わずかでも自分の意志であのまやかしに関わっていれば、許されはしなかった。そういう厳しい取り調べと刑罰が決められていた。もちろん、その家は取り潰され、残された家族の中には、謀反を起こさぬように牢獄にある者までいる。
二度と、こんな事が起きないように。さらには、戦に備えての人員制裁。
それまでの竜の被害も鑑みれば、王としては許せるものではなかったのだろう。
そう、被害を受けた民の数は、今回の事件の数千倍なのだから。
バルジャミンは竜の国の王。寛大なだけではない。
処刑された者も、酩酊が解けた者も解けない者も、数字だけがベルナンドの元に上がってきていた。しかし、バルジャミンはその一人ひとりの名前を覚えていたかもしれない。
前線に立つ。その思いはもしかしたら、そこからだったのかもしれない。
だから、ベルナンドに課せられた罪の枷は、バルジャミンに比べれば……。だから……。
ベルナンドは、文箱の中にフィアの最後の手紙を収め、鍵を閉める。
封は切らない。知りたくなかった。
どうして、ヒルダは手紙なんて残しておいたのだろう。焼いてしまえば良かったのに。残らずに、誰の目にも触れないように……。
ヒルダくらいの立場なら、手紙さえなければ、……。いや、投獄は免れなかっただろう……。だけど。あの状態で庇えたかどうかも分からない。何が正解だったのか、今も分からない。
ただ、父は何度も嘆願するベルナンドに「『機会』はやろう」とだけ言ったのだ。そして、控えていた魔法使いの一人が、弓矢をベルナンドに渡した。
ヒルダは本当を何も知らなかったかもしれない。だけど、オズワルトの説得には応じなかった。ティリカは、内情を知る彼女をヒェスネビにはやりたくなかった。
そう、事実はこれだけなのだ。
知り過ぎることが、今ここにいることが、それだけで命に係わる。














