戦記33.埋没
城の低層域と中層域を繋ぐ尖塔内部。
螺旋階段を俊敏に駆け上がる影。
その頭上から突如として襲いかかる複数のクマ人形たち。
「またですか」
上階を目指す最中、再三の襲撃に足止めを受けながらもティシャーナは最小限の動きで無駄なく、そして一切の消耗なく敵を撃滅していた。
飛来してきた最初の一体を真っ先に手刀で切り裂くと同時、流れるように回し放った蹴りで背後から迫っていた一体も撃破。
耳障りな気の抜けた破裂音を残し、ただの綿と布切れに還る人形たち。残骸が螺旋の階下へ落ちていく。
そこで尖塔内に入り初めて足を止めたティシャーナは僅かな苛立ちを含んで呟いた。
「切りがありませんね」
あれだけ派手に正門を突破した影響だろう。敵側も確実に戦力を小出しにする方向に戦術を変えたようだ。つまりは時間稼ぎに徹する動き。
逃走のためか。
それともさらなる攻撃のためか。
どちらにしろ今一番に達成すべきことは一つ。
このしつこいクマ人形たちの根本を断つこと。
目標に変わりはない。
ティシャーナは僅かな小休止のあと再び俊敏に階段を駆け上がっていった。
「ワンパターンにも程がありますよ」
広い螺旋階段。
ぐるり一回り上ったところで再びの奇襲。
その後も小出しに延々と妨害を受け続けた結果、中層域に辿り着くまで想定以上の時間を要することになった。
「やれやれ、ようやくゴールですか――」
尖塔の頂上に達するや否や、リスク承知で出口に向かい飛び出していくティシャーナ。曇天の空の下、雨で濡れたタイルの上を勢いよく転がり顔を上げる。
直後、彼女は現状において最大の標的の姿を視認した。
「来た! 女だっ!」
「女が来たぞー!!」
「ビビるな! 敵はたった一人、殺っちまえー!!」
同時に大勢の囚人たちの野次と歓声。
尖塔の出口を取り囲み待ち伏せていた破落戸たちが一斉に押し寄せてくる中、ティシャーナは奇怪なドレスを纏った少女だけを一点に見つめていた。
――バタ、バタ、バタバタバタッ。
声を発する間もなくだった。囚人たちの先陣は近付くや否や糸が切れた操り人形のように崩れ動きを止める。
広がる死の波紋と戦慄。
起こったことは先ほどの橋上での再現だった。
またもや死の帳が囚人たちを呑み込んでいく最中、ティシャーナは遠巻きに戦況を見守るゴルディロックスへ歩みを向ける。
横たわる死者を踏み越え、迫り来る死神。それに近付くことすら許されないことを悟った残りの囚人たちが動揺を隠すことはなかった。
「みんな倒れちまったぞ!」
「何が起こったんだ!?」
「や、やべぇ……こいつは化け物だっ!!」
恐怖に駆られ今度は一斉に四方八方に走り去っていく囚人たち。
時間稼ぎにすらならないその体たらくに、待ち受けていたゴルディロックスは強い殺意を渦巻かせながら吐き捨てた。
「使えない連中なの……」
同時に片手を上げ、振り下ろす動作。それを合図に第二陣として尖塔の出口を包囲していた百体近くのクマ人形たちが動き出す。
「ひ”ぃ!」
「ぐえッ!」
「イぎゃっ!!」
逃げ延びようとする囚人たちを跳ね飛ばし、包囲を狭め、そのままティシャーナを圧殺せんとばかりに襲いかかっていく。
現状でゴルディロックスが操ることのできる残存戦力。そのほぼすべてを投入したラストアタック。
どれだけの手練れだろうと、これだけの数である。易々と対処できるあろうはずがない。
相手を死地に誘い込めたという安堵にゴルディロックスは不敵に笑う。
しかし、それも束の間の愉悦に過ぎなかった。
「――な、なのっ!?」
強固な塊となって全方位から襲いかかっていくクマ人形たち。ティシャーナはそれらを物ともせず恐ろしい勢いで蹴散らしていく。
ぽんぽんと連続で響き続ける破裂音。
周囲に散乱し舞う綿と布切れ。
まるで水に溶ける綿菓子の如く。裁断機と化したティシャーナによってクマ人形たちは瞬く間に消失の運命を辿っていく。
「そんな、ありえないの……」
結局、あれだけいた傀儡が綺麗に消え去るのを最後までゴルディロックスはただ傍観する他なかった。
「お人形遊びは終わりですか。一遍に襲いかかってくれて倒す手間が省けました」
最後の一体を素手で切り裂いたあと、ティシャーナは彼女なりの戯れを言った。その身体のどこにも傷はなく着衣にすら一つの乱れはない。そんな圧倒的な存在を前にゴルディロックスの戦意はそこで完全に消失した。
「申しわけありませんが貴女に関しては生け捕りというわけにはいきません。ここで死んで頂きます」
「ひっ」
死の宣告をしながら一歩一歩、ゴルディロックスに迫るティシャーナ。恐怖に支配され動けなくなったゴルディロックスにできることはなかった。なぜなら手足となり、盾となってくれる人形はもういない。
「お覚悟を」
「あ、やっ……」
だが、まさにゴルディロックスが絶望の淵に立たされたその刹那。
背後から一つの影が――
「――やめろっ!」
声を上げ剣を構える金髪の囚人。
アロン・ローズファリドはゴルディロックスを庇い前に出ると、ティシャーナの眼前に立ち塞がった。
「この子にもう戦う意志はない! 見てわからないのか!?」
「……どきなさい。邪魔をすれば、貴方も死ぬことになりますよ」
無視して即座に彼の命を摘み取ることもできた。
否、普通であればそうしていただろう。しかし囚人らしからぬアロンの穢れのない目の輝きが、ティシャーナに当たり前のように会話を選択させた。
「殺せば……、それですべてが解決するのか?」
「少なくとも一時的にしろ脅威は排除できるでしょう」
一言二言、短い言葉を交わすのみでティシャーナは確信に至った。どれだけ脅し威圧しようとこの者が引くことはない、と。
そもそも引くような者であれば他の囚人と同様、疾うに逃げ出していなければおかしい。自らの正義を揺るぎなく、そしてどんな場所と状況であろうと貫く男。
(ならば、この者は――)
同時にティシャーナはアロンに対し、持つべき者だけが持つ特有の気高さを感じ取っていた。
連想して思い浮かぶ顏は地下道を抜けた先で出会ったスカーレット。そして自らの二人の妹と、エミカだった。
「………………………………」
長い逡巡。
旧都で攻撃を開始して初めての心の迷い。
そして、その機を狙い撃ちしたかのように絶好のタイミングでだった。
城に中層域に乱立する塔の一角。一切の前触れなく真上から隕石の如く飛来してきたそれはティシャーナを強襲した。
――ズドオォンッ!!
轟音と共に床面が広範囲に砕け陥没し、四方八方に亀裂を生じさせ周囲には激震が走る。辛うじて攻撃を避けたティシャーナは身を翻し距離を取り背後へ。バックステップ。その跳躍の刹那、飛来してきたラッダは守勢に回った相手の隙を見逃さず渾身の正拳を放つ。
「破ッ――!!」
自身の肉体を鋼に変異させ硬質化させる〝破壊神〟。鉄塊の一撃をティシャーナは今度は避けることなく受けた。ダメージも動揺も皆無。隙を突いた強襲も王国最強の守護者には通らず。
もし更なる追撃があればカウンターで勝負は一瞬で決していただろう。
「そこの囚人よ」
しかしラッダは追い打ちをかけることなく冷静に後退を選択すると、ティシャーナを見据えたままアロンに向かって指示した。
「直ちにゴルディロックスを連れて逃げよ」
「逃げろって……あんたは?」
「無論、死地にて足掻くまで。仲間を頼む」
「…………」
迷いはあったもののラッダの覚悟を悟ったアロンの判断は早かった。その場でゴルディロックスの小さな手を取り当惑する彼女の言葉を意に介さず全力で駆け出していく。
ティシャーナが逃すまいと意識をそちらに向けた瞬間、ラッダはまた攻勢に切り替え突貫を敢行。鉄塊となった大男の死にもの狂いの体当たりは僅かばかりも状況を膠着させるに至る。
「貴殿の相手は拙僧が務めさせて頂く……」
「正気でしょうか。貴方一人では無謀と言わざるを得ません」
告げた矢先、ティシャーナはゼロ距離で拳を打ち込み鋼鉄の巨躯を押し返す。
恐ろしいまでの手数。
絶え間ない連打。
防戦一方となったラッダは遂には膝からがくりと崩れ落ちた。
パラパラとボロボロと周囲に散らばる鉄色の皮膚片。その中心に沈む敵に向け、ティシャーナは止めを刺さんと腕を振り上げる。
「言い残すことがあるならばお早めに。私はあの者たちを追わねばなりませんので」
「な、ならば……、恥を承知で一つ。一人であれば無謀。だが二人であれば、これ、如何に……」
「…………」
最後の言葉とは思えないラッダの問い掛けに困惑したものの、直後、背後から発せられる凄まじい殺気にティシャーナはその真意を理解した。
「ゴラ、女”ァッ……!」
振り返ると、先ほど自分が上って来た尖塔の出口に血塗れのレオリドスが立っていた。
目を疑うほどにあり得ない光景である。到底、意識を保っていられるような状態ですらなかったはず。
「まさか、その傷で追って来るとは……」
そのしぶとさと執念に呆れる中、前方でもすくりと起き上がる気配が。
「では、もう一度お相手願おう」
「フ”ッ殺スッッ!!」
「…………」
二対一。そして挟み撃ちの形となったところで、ティシャーナはさすがに我慢できないとばかりに大きく息を吐いた。
わかった。
もういい。
とことん抗うというのであれば好きにすればいい。
だが、それでも。
それでもだ。
「……残念ながら、結果は変わりませんよ」
あえて残していた一握りの、人としての感情。
それすら押し殺しティシャーナは自らの使命に埋没した。











