229.監獄の中
悪天候の中、船は波を上下に縫うように進む。
「お姉ちゃんたち、あれが三日月島だよ!」
やがて黒く波打つ水平線の先に大きな影が見えてきた。
「島の近辺は潮流が変わるぞい! 針路を維持しろっ!!」
指示を受け、どだばたと船内を駆け回る船乗りさんたち。一気に慌ただしくなる中、船長であるお爺ちゃんは最後の確認のため、先端のほうで航行を見守っていた私たちに向かって呼びかけた。
「娘っ子たちよ、本当にこのまま寄せていいんだなっ!?」
「ああ、構わない! 可能な限り島まで頼む!」
激しい雨風の中、パメラが大声で答える。
ほんとなら島を半周して北側にある港から入るのが正しいルートらしい。
けれど、これから秘密裏に侵入しようっていう私たちがそんな正規の入口を使うわけにもいかず。唯一の方法として選べたのは、通常では絶対にあり得ない道筋だった。
「よっし、十分だ! 船を止めてくれ!!」
島の南側、一面に聳える崖。
押し寄せる海流が断崖にぶつかっては飛沫を上げて激しく降り注ぐ。
少しでも荒波に呑まれたら船ごと崖に衝突しかねない。そんな緊迫した状況でも、パメラは一切の躊躇なく船の上に身を乗り出してた。
「落ちたら死んじゃうよ……。お姉ちゃんたち、本当に行くの?」
「ああ、行くぜ。オレもこいつもとっくに覚悟は決めてるからな。ま、見てろ。こんな距離ひとっ飛びだ!」
港で助けた男の子が不安そうに見つめる中だった。足を踏み出すと、その小さな身体は荒れ狂う海の上を勢いよく舞った。
「いでよ、我が大剣――!」
暗雲が立ちこめる空の下、瞬く白い閃光。助走もなしに楽々と崖まで飛んだパメラはそのまま光の大剣を岸壁に深々と突き立てた。
「来い、エミカ!」
「うん!」
渦巻く海と吹きつける雨風の中、戸惑ってる暇なんてなかった。合図とともに船の先端を蹴って私も後を追う。
飛んでみれば怖さを感じる間もなかった。あっという間に片手で抱き支えられると同時に、私は岸壁に向かって殴るように爪をぶつけた。
――ボコッ!
「うべっ」
ちょっと勢いがあり過ぎたせいで刳り貫いた場所にかっこ悪く倒れる結果になったけど、とりあえずは及第点。私たちは第一の関門である島への上陸を果たした。
「みんなっ、ありがとー!」
崖に開けた穴から海を見ると、揺れる船上で上陸に協力してくれた船乗りさんたちが大きく手を振ってくれてた。
雨風や崖にぶつかる波飛沫の音に負けじと届く歓声。
その声にも応えたあとで海に背を向けると、私は頭の光石で崖穴の奥を照らした。
「こっからが本番だな」
「ん、だね。みんなを待たすわけにもいかないし急ごう」
船長のお爺ちゃんは私たちが戻ってくるまで沖で待機してるって約束してくれたけど、こっからさらに天候が悪化しないとも限らないし、待ってくれるにしても限度や限界はあると思う。
私はスコープを下ろすと、さっそく視界の端に映る島の全体図を見ながら崖の中を掘り進めた。
「陸と違って高低差もあるだろうし、焦らず急いで慎重にっと……」
あらかじめ聞いてたとおり島は三日月の形をしてて、欠けた側(北側)の湾と接する真ん中に六角形の巨大な建物があった。
念のため後ろを歩くパメラにも確認してみたけど、大きさ的にもそこが囚人が収容されてる場所で間違いないってことで、私たちはすぐに直接そこへ向かうことを決めた。
モグラショートカットで距離を短縮して島の地中を進む。
少しして問題なく建物に肉薄。
だけど、あともう一掘りで監獄の真下に入るってところでだった。突如として目の前がぽっこり開けて光石の明かりが周囲の空間を照らした。
「げっ、地上に出ちゃった!?」
「落ち着けエミカ。巨大な監獄だからな、地下室があっても別に不思議じゃない」
便利なこの爪のおかげで相変わらず地下空間は自分だけのものだっていう驕りがあったのかも。パメラに言われてはっと気づく。
今さらだけど急いで身を屈めて確認してみたけど、幸い辺りに人の気配はなかった。
「どうやら倉庫みたいだな」
崖から真っすぐに掘ってきた穴から地下室に踏みこむと、天井まである長くて大きな木棚が通路を挟んで幾つも並んでた。棚はそのほとんどが空だったけど、一部だけ白い粉がついた麻袋が積まれてる場所もあった。
「……小麦? ってことは食料庫かな」
じめっとした鼻にくる臭いを感じながら棚と棚のあいだを進む。地下倉庫は大体ウチの大広間ぐらいの広さで、暗い中でもすぐに出口を発見できた。
「待ってろ」
両開きの扉にそっと耳をつけて気配を確認したあと、パメラはノブに手を伸ばしてちょっとだけ扉を開けた。そのまま僅かな隙間から慎重に外の様子を探る。
その小さな背後越しに私もこっそり窺ってみると、扉の向こうは光石の明かりが届かないほど奥まで通路が伸びてた。
「ここの構造がわからない以上ここからは万全で行くぞ。エミカ、革袋の中のもんとりあえず全部出してくれ」
指示を受けて家から持ってきたアイテムをてきぱき床に並べていく。
パメラは私が並べたそばから手早く気配消失と透明化の紙スクロールを拾うと、まずはその二つを重ねがけするよう言った。
「街で言ってた最低限の準備と対策ってやつだね」
「ああ。ちなみに盗賊職と魔術師がいるパーティーならどこもやってる合わせ技だ。相手が一般人なら目と鼻の先まで近づくか、直接触れられでもしない限りまず気づかれることはないだろう。ま、それでも過信は禁物だけどな」
「私も前に試したことあるよ。ダンジョンのモンスターにも気づかれなかった。あ、でもさ、これってパメラも重ねがけするわけでしょ。二人して気配ゼロの透明になっちゃったらお互いどこにいるかわかんなくなっちゃうんじゃ……?」
もしかしてこっからは仲良く子供みたいに手を繋いで監獄を走り回るのかな。まだ見た目としてパメラはともかく、私のほうはなんかものすごくはしゃいでるみたいに思われちゃいそう。ま、誰にも見られないんなら別にいいんだけど。
なんて予想をして私が考えてると、そこでパメラは新たにもう二つスクロールを拾い上げて追加の指示をしてくれた。
「その辺の不都合はこの凝視の技能で解消できる。ついでにその目立つ頭の明かりも夜目がありゃ不要だ。ってことでエミカ、お前は四つほど重ねがけしとけ」
言われるがまま渡されたスクロールを全部使って補助効果をこれでもかと上乗せ。
信じられないぐらい視力も上がって夜目も利く状態になったので、魔眼のスコープも頭上へスライド。そこからは光石の明かりに頼らず肉眼で進むことになった。
「よし、オレが先行する。物音を立てずについて来いよ」
「了解っ」
食料庫を出て、パメラと一緒に細くて長い廊下を進む。地下の構造は思ったよりも単純で、まっすぐ伸びた廊下の行き止まりがもう階段だった。
また慎重に気配を探りつつ一段一段、上へ上へ。
やがて上って一階に出ると、さらに上階に続く折り返しの階段と曲がった先に続く通路とでルートは二手にわかれてた。
「どっちに行く?」
「……とりあえず、今は上だな。この通路の先は相当数の気配を感じる」
パメラの判断でそのまま折り返しの階段を行くことに。
続けて上り、二階、三階へ。
途中、いきなり階下から数人の騒ぐ声が聞こえてびっくりしたけど、間一髪のところですれ違いにならずに済んだ。
「うわ、いかにもな人たちだね」
「あいつらなんで牢屋の外をうろついてやがる……」
階段からこっそり下の階を覗くと、囚人と思しきものすごくガラの悪そうな人たちが歩いていく姿が見えた。
どうも一階に向かってるみたい。
なんだろう? パメラは一階にたくさんの人が集まってるって言ってたし、もしかしてお昼の時間?
だったらこの建物の一階部分は囚人たちが使う食堂なのかも。
「ここが最上階か」
六階まで辿り着くと、ついに上への階段も消えて前に続く通路だけになった。いよいよ危険度の高い内部へと足を踏み入れていく。中腰で身を屈めて折り曲がった廊下を左折した先、やがて私たちは監獄内を見渡せる広い場所に出た。
「うわ、なんかすごいとこ……」
開けた巨大な六角形の空間。
真ん中の大部分は吹き抜けになってて、周囲の一周ぐるり全部が牢獄だった。視界一杯に広がり規則正しく並んだ鉄格子。でも、今はどの牢も開け放たれてて空っぽだった。
捜すべきコロナさんたちはもちろん、いるべき囚人の姿すらどこにもない。
「やっぱ、お昼ごはん?」
「……いや。エミカ、こっちだ」
吹き抜けの周囲に設けられた転落防止用の手摺り。いつの間にかパメラはその傍でうつ伏せになってた。
急いで隣に行き、私もそっと階下を覗きこむ。
「えっ!?」
見下ろした先だった。
さっきパメラが行くのを回避した一階の空間。
そこに集まる大勢の囚人たち。
そして――
「くそ、よりにもよってなんで奴らが……」
暗澹とした黒尽くめの男女。数百人の囚人たちが向ける視線の先には、私たちが〝敵〟と呼ぶべき五人の姿があった。











