戦記25.三兄弟の決断
重罪人たちが収監されている大監獄。
そこへ続く入口。
監獄島、中央詰所――
看守棟と囚人棟を繋ぐ唯一の経路にして、本来であれば厳重な監視の目が光る場所である。だが殆どの獄卒が引き揚げた今、監獄の入口を見張る者は皆無。隣接する大通路に設置された二重の巨大鉄格子も後任が両棟を自由に行き来できるよう開け放たれている。
「たくっ、何が緊急時の備蓄だ」
そんな無防備と化した中央詰所内で模範囚として監獄の運営を丸投げされたアロン・ローズファリドは、机の上に書類の束を広げていた。
書面には監獄内における食料に関する事項が長々と綴られている。文書すべてに目を通すとアロンは肩を落とし深く息を吐いた。
「あれっぽっちじゃ雀の涙じゃねぇか……」
すでに看守たちが島を去り十日が経とうとしている。これまでなんとか暴動に至らず、監獄内の管理を弟たちと共に上手くコントロールしてきた彼だったが、のっぴきならない問題が迫りつつあった。
「まじぃな、食料が底を突くまであと数日ってところか」
未だに看守たちが島に戻ってくる気配はなく、看守棟側の入口である船場の職員に尋ねても「わからない」との返答ばかり。
このままでは島の港で魚釣りでもしなければ餓死者が出る。今日にでも比較的素行の良い受刑者から人員を募らなければ。
「……ん? こんな時間に誰だ」
苦境にアロンが頭を掻いているとだった。不意に中央詰所の外の通路から幾つかの足音が響いてきた。
一日の終わりに船場の職員が報告書を受け取りにやってくるが、まだ日没には早過ぎる。
もしや看守たちが島に戻って来たのではないか。その可能性を思い付き急いで詰所から出ると、真っすぐ伸びた大通路の奥に列を成して歩く五つの影が見えた。
「なっ!」
すぐにその先頭が十日ほど前にも姿を見せた領主――メアリ・ド・バートペシュであることに気付いたアロンは嫌な予感を覚えながらも急いで彼女らを出迎えた。
「これは領主様……、予め来訪を伝えて頂ければこちらから出向きましたものを」
「連絡も無しにごめんなさい。急ぎの用がありまして」
無邪気な笑みを絶やさずにやってきた領主は、若い男と顔を隠した女、そして前回も随伴していた子供二人、計四人のお供を連れ立っていた。
従者たちは全員黒尽くめで、例外なく只ならぬ雰囲気を漂わせている。一同と対面した直後にはアロンの額からはもう自然と冷や汗が滲み出ていた。
「………………」
大貴族という出自柄、子供の頃より様々な人間を見る機会があったからこそわかる。
収監されている囚人たちの中にも少なからずいる人種。この者らは間違いなく〝闇〟に属する側の人間だ。
一瞬で確信し、アロンは警戒心から思わず固まる他なかった。
「貴方にやってほしいことがあります」
緊張から無言でいるとメアリが前置きも無しに命じた。
「囚人全員を檻から出し、どこか一つの場所に集めてほしいのです」
「ぜ、全員を……? 今からですか?」
「ええ、急で申し訳ないけどお願いできますか。事情は受刑者全員が集まり次第その場でお伝えしますので」
無理難題を押し付けながらも決して笑顔を絶やさない領主。しかし、声には有無を言わせない圧力が籠っていた。
「それは、なんとも急な話で……」
狼狽して言葉を詰まらせているとだった。
アロンはメアリの背後にいる若い男とふと目が合った。最初はその目付きの悪さから睨まれているようにも感じたが、すぐに思い直す。
(これは同情の目か)
憂う視線。
何か思うところがあったのだろうか。甚だ謎ではあったが、男の妙な気遣いに多少なり冷静さを取り戻せたアロンは頭を回転させメアリに向き直った。
「収監されている囚人は二百を超えます。目的にもよりますが、全員を集めるとなると外の運動場が最適かと。そこでよろしいですか」
「んー。正直、屋外はちょっと。看守棟側にまた戻らないといけないわけですし、大人数となると移動にも相当かかってしまうのではないかしら」
「ならばこの際、囚人棟の一階フロアではどうでしょう。あそこであれば各層の牢から囚人を降ろすだけなのでそれほど時間もかからないと思いますが」
巨大な六角形を成す囚人棟は中央部分が吹き抜けで、外周部分が縦六階層に隔たれた収監エリアとなっている。中心に立ち周囲を見渡せば全ての牢を監視できる構造のため、受刑者全員を集合させるにも十分な広さである。
監獄内を熟知するアロンが改めて提案すると、満足な回答だったらしくメアリはその場でおもむろに頷いた。
「私たちも準備が整うまでそこで待たせてもらうことにします」
「……はい。では、こちらへ」
囚人棟の中に一行を案内すると、アロンは牢の鍵を取りに行くと理由を付けメアリたちの傍から離れた。
そのまま急ぎ弟たちのいる四層の房へと向かう。
「――領主様が囚人を? 目的はなんでしょうね」
「そんなの決まってるよ。あの人をどうにかするつもりなんだ!」
「彼女が言っていたように命を奪いに来たと? それにしては名指しはしていないようですが」
「でも、わざわざまた監獄に来たってことはそれ以外に考えられないよ!」
次男と三男であるベンジャミンとクレムに事情を説明し意見を求めるも、ゆっくり話し合っている時間はなかった。
「領主様が囚人全員としか言ってねぇ手前、ただの早とちりかもしれん。だが、このまま命令に従えば弱ってる女を一人、見殺しにしちまう可能性もある。それはローズファリド家の男して決して許されることじゃねぇ。ならば、やるべきことは一つだと俺は思う」
議論する時間を惜しんでアロンは早々に自らの決断を二人に伝えた。
「あの女を監獄島から逃がす。お前ら手を貸してくれるか?」
「さすが兄さん! もちろんやるよ!」
「やれやれ、そう言うと思いましたよ……。ま、最悪の事態を避けるにはそれしかないですし、やると言う他ありませんが」
弟二人は温度差は違えどすぐに各々の意見を一致させると更に話を進めた。
「幸いなことに監獄内の主導権は今、俺たちにあるからな。船場の連中には領主様からの緊急の命令だとでも言えば通るだろう」
「もしそれで駄目だったら隙を見て船を奪うしかありませんね。ま、船員の警備なんてザルですし、なんとでもなると思いますが」
「それより僕はあの人が一緒に逃げてくれるかが心配だよ」
領主が連れてきた満身創痍の女。もう彼女が目覚めて一週間以上経つが、アロンたちは未だに名前も聞けずにいた。看病をしているクレムの話では、あれから食事も碌に取らず何を語りかけても殆ど押し黙ったままだという。
目覚めた日の、まるでこの世の終わりを目にしたかのような顔。
酷く印象的なものとして、それはアロンたちの心にも深く刻まれていた。
「嫌がられても二人がかりで連れて行け。絶対だぞ、いいな?」
「二人がかり、ですか」
「え、兄さんは……? まさか一緒に来ないつもりなの?」
「俺まで逃げたら領主様にすぐにバレるだろ。俺は命令を実行しつつできる限り時間を稼ぐ。そのあいだ二人でしっかりエスコート頼んだぜ」
「そっちは一人で大丈夫ですか?」
「心配すんな。たまには素直に兄貴を信じろよ」
「兄さん……」
気合を入れるように力強く弟たちの肩を叩くと、それ以上は別れすら言わずアロンは颯爽と牢を飛び出して行った。
「やれやれ、行動力のある兄を持つと苦労しますね」
「僕たちもゆっくりしてる時間はないよ。急ごう!」
使えそうな物を纏め脱獄の準備を済ませると、やがて残された弟たちも牢を後にし看守棟内にある特別房へと向かった。











