戦記14.未来
旧都バートペシュポートで起きたこと。
エミカからその顛末を聞き終えたオレは、また部屋の天井を見上げていた。
ツツジから聞かされていた事前情報もあって、ミリーナ女王とあいつが一緒にいない時点である程度の覚悟はあった。心情にそこまでの驚きはない。ただ、ベッドの上にいるエミカの悲痛な表情をオレは直視できなかった。
「ごめん、パメラ……。私、何もできなかったよ。コロナさんを、置いて来ちゃった……」
「ああ。わかった。わかったから、もう謝んな」
どうすればいい。
どうしてやりゃいいんだ。
お前が気にすることじゃない。それより、よく一人でこっちまで女王を連れ帰ったな、偉いぞ。なんて褒めでもしてりゃいいのか? それとも、あいつは絶対生きてるから心配すんなと嘘でも言ってやりゃいいのか?
話を聞いてからずっと答えは出ず、オレは自分の言葉を失っていた。
クソ。
しっかりしろよ、オレ……。
さっきから胸にずきずきと響く痛み。
あいつが殺られたかもしれないことに、少なからずオレ自身もショックを受けているのか。それとも、これはエミカに共感してるからこその痛みか。
もうこの世界にいないかもしれないあいつのことを考える。
あの姉が最後の瞬間、何を想っていたのかを考える。
そして、失意に沈んでいるエミカのことを考える。
欲しいのはかけるべき言葉だ。
言葉さえあれば、言葉さえあれば――
あいつだって、お前を助けたくて助けたんだ。
それなのに、何をいつまでくよくよしてんだよ。
圧倒的な数の敵に囲まれ、とんでもない強者と対峙して尚、一番守るべき存在だけは守り通したんだろ。
お前は、自分を誇っていい。
胸を張れ。
「エミ――」
考え抜いた先で、ようやく語りかけられる程度には言葉が蕾として形を成す。しかし、それを声にして発しようとした瞬間だった。
圧倒的なまでの気配。
それが近付いてくるのを感じ、思わず緊張と萎縮でまた言葉を失う。
オレは蛇に睨まれた蛙のように、ただ座したまま無言で扉を凝視する他なかった。
「ハロー」
やがて扉が勢いよく開き、イドモ・アラクネが現れる。奴はずかずかと部屋に入ってくるなりオレの隣に立つと、ベッドの上のエミカをにやりと見下ろした。
「調子はどう?」
「か、会長、どうしてウチに……?」
「どうしても何も心配してに決まってるでしょ。ま、あっちで何があったかは知らないけど、とにかくモグラちゃんが無事で何よりだわ。よかったよかった」
「よくなんて、ないです……」
「あら、そうなの?」
突然の来訪に応えるため、エミカはその場から無理に上半身を起こそうとする。それを手伝ってやりながらオレは警戒を強めた。
まさか、本当に見舞いだけが目的なわけがない。狙いはなんだ……?
「ミリーナ女王の姿が見えないんだ。あんた何か知らないか?」
「ああ、それならさっき来たわよ。血気盛んで臆病な三人のお供を連れてね」
鎌をかけたつもりだったがイドモ・アラクネはあっさり認めると、何を話したのかまでも詳らかにした。
「笑っちゃうわよね。自分の都合のいいことばかり。もちろんノーって言ってやったわ」
「それじゃ、今ミリーナ様は……」
「ギルドの私の部屋にいるけど、しばらくはこのままこっちで匿うことになるのかしらね? ま、王都の状況次第でもあるけど」
「わかりました。なら、すぐに確認して来ます……」
「あ、おい!」
ふら付きながらベッドから起き上がろうとするエミカ。その肩をオレは慌てて押さえる。
元から起き上がるような力はそもそもなかったのだろう。エミカの身体は一切の抵抗なく再びベッドの上に戻った。
「やめておきなさいよ、モグラちゃん。この状況で女王に与する価値なんてないわ」
「で、でも……このままじゃ王都も、旧都みたいに……」
「無理に攻め込まず外周を数で取り囲んでいるのは、できれば無傷で手に入れたいと考えているからよ。敵がどういう思想を持っているのかは知らないけど、少なくとも大虐殺が目的じゃない。それならいっそのこと、このまま敵の手に渡しちゃえばいいわ」
「渡すって、まさか、会長……」
「仕える君主が自分たちを守ってくれなかったとなれば、市民たちも現実を知るでしょ。王都が陥落して国中の誰もが疑念を持ったところで全快したモグラちゃんが無法者たちをやっつければいい」
「さっきから何を言っ――」
「よく考えるのよ、モグラちゃん。そうすれば、この国のすべてをあなたの〝もの〟にすることだってできる」
「………………」
「本当の意味での救世主になりなさい。そして古い体制を変え、新しい世界を創るの。あなたが思い、信じるがままにね」
「会長が何を言ってるのか、全然わかりません……。でも、私にだって一つ、わかることぐらいあります……」
「うん、何かしら?」
「そ、そんなんじゃ……、コロナさんを助けに行けないってことです! 私は早く旧都に戻らないといけないんです! なんでこんなときにそんな変なこと言うんですかっ!?」
「落ち着きなさい。私はモグラちゃんにとって最良の選択を提示しただけよ」
「なら余計なお世話ですよ! 会長の馬鹿っ! もう放っておいてください!!」
「あら、随分と嫌われたものね。よっぽどあっちで手痛くやられたのが堪えてるのかしら。可哀想なモグラちゃん。でも、私も間が悪かったことは認めるわ。この件は落ち着いたときにまた話し合いましょ」
拒絶されたイドモ・アラクネはしつこく食い下がるような真似はしなかった。いや、むしろすべてはエミカの反応を予期した上での発言だったのではないか。
怒号を上げたあと、エミカはわんわんと泣き出した。その様子を一度も振り返ることなく、潔く部屋を出て行く微塵の隙もない背中を見て、オレは半ば確信する。
そして同時に、今のイドモ・アラクネの提示――いや、啓示が、エミカの人生にとってあまりにも大きな分岐点であったことも。
「うわぁ~んっ!」
今ので張り詰めていた糸が余すことなくすべてすっぱり切れてしまったんだろう。エミカは小さな子供みたいにそこから延々と泣きじゃくり続けた。
きっと、さっきまでのオレだったら耐えて待つことなんてできなかった。
なぜなら、慰めるのは簡単だ。
鼓舞して胸を張れと言うのも簡単だ。
でも、イドモ・アラクネが話している姿を見て、それでは足りないと理解した。
本当に相手を想っているのなら、本当に相手を助けてやりたいと思っているのなら、言うべきことは言わなきゃいけない。やるべきことはやらなきゃいけない。慰めや気休めなんてもので未来が良くなるはずはないのだから。
「どこ行くんだ?」
「う、ううっ……」
ようやく涙も枯れ果てた頃、エミカは這い出るようにしてベッドを抜け出そうとしてた。オレはなるべく棘がないよう、穏やかな口調で諭すように言う。
「寝てろよ。まだ動けるような状態じゃないだろ」
「ぐすっ……だ、大丈夫……。もうだいぶ動けるようになったし……」
「お前が今、王都の様子を見に行っても無駄だ。状況は変えられない」
「で、でも……、何もしないでなんていられない!」
「わかってる。わかってるよ。だから、誰もずっと寝てろとは言ってないだろ。最低限、体力を回復させろって言ってんだ。傷が塞がっても失った血はそう簡単に戻らないからな。シホルに言って家畜の肝でも食わせてもらえ。そのあいだ、準備はオレがしといてやる」
「へっ? じゅ、準備って……」
「ああ、お膳立てとも言うな」
もしイドモ・アラクネのように狡猾だったなら、もっと賢く効率の良い道をエミカに示せたんだろう。
それでも、今もこれからもおそらく、オレが提示できる唯一の方法はこれしかない。
「パメラ、もしかしてそれって……」
「馬鹿、決まってんだろ。こっから派手に〝反撃〟しようぜって話だ」
昨日から攻められ続けて防御一辺倒になっていた所為だろう。守りのことばかり考えて、こっちから打って出るという思考が欠落していた。
まったく、らしくないと言えばらしくない。
でかい得物をぶん回してるオレみたいな奴が、何を縮こまって慎重になっていたんだ。
「いいの……?」
「あ? 何がだよ?」
「大変だし、危険だよ……。会長も反対の立場みたいだし、私、さっき会長に馬鹿って言っちゃったし……、ギルドの力どころか街の人の助力だって……」
「バーカ、んなこと知ってるっつの。それを承知でやるって言ってんだよ。てか、あいつのことも助けに行くんだろ。ならさっさと王都を解放して次は旧都だ。それを邪魔する奴は誰であろうと問答無用でぶちのめす。それがお前の望む未来なら、一緒に潰れて擦り切れて粉々になる程度までには付きやってやるよ。正直、めちゃくちゃ疲れてるし面倒くせぇけどな。あー、マジで面倒くせー!」
「パメラ……」
「あ、おいこら、もう泣くなよ? もしそれ以上めそめそすんなら手始めにお前からぶちのめすからな!」
「んっ、りがとっ……!」
もうとっくにオレたちは共犯だ。なんたってサリエルが天使だって秘密すら共有してるくらいだしな。
このまま地獄まで一緒に付き合うのも悪くない。
だから、その先にたとえ破滅が待っていたとしても喜んで同じ道を進んでやるよ、エミカ。
それが、オレがお前に示せる唯一の――











