戦記11.英雄の帰還
「クソ、遅かった!」
三馬鹿と共に大急ぎで橋を渡って北上するも、すでに戦線はずたずたもずたずたに分断され機能していなかった。
大量の人形たちが撃破を恐れず、ばらばらに押し寄せてきている。このまま街の中心にまで一気に雪崩れ込む算段か……。
「ヤベぇぞ、乱戦になればこっちが不利だ! 一匹も討ち漏らすなよ!!」
「そんなこと言われてもー!」
ツツジが魔術付与された矢を連続で放ち、あっちこっちで爆発を起こすも固まっていない群れに効果は薄かった。
左右に広がった敵を潰しに行ったスミレとサクラの二人も、中・近距離タイプの使い手だけあって見るからに苦戦を強いられている。
駄目だ。他の冒険者もいるが戦線を再び構築するには圧倒的に人手が足りない。
そしてオレたちが戦線に加わったこの短いあいだだけでも、もう相当数の人形に背後への突破を許していた。
「仕方ねぇ、追うぞ!」
三馬鹿に号令を出しながら飛び抜けて行った一体の人形の背後に追い付き、叩き伏せる。
すでにダンジョンのある中央街までは目と鼻の先。
状況はこれ以上ないほどに最悪だった。
※
調理場でようやく一仕事を終え、シホルは隅にあった椅子に腰を下ろした。
「はぁ……」
頭を働かせ過ぎた所為か、徹夜明けの眠たさはもうどこかに吹き飛んでしまっていた。ただ常に高揚した感覚があり、全身がふわふわと浮付いている。
そんな状態で思い返すは先ほどの出来事。皆の前で我慢できず、ついリリに対して声を張り上げてしまった。
ベッドの上で転げ回りたい衝動。それと共に沸々と後悔の念ばかりが込み上げてくる。
「シホル様」
そこにメイド長のコントーラバがやって来ると、彼女はそっとシホルの目の前に紅茶の入ったティーカップを置いた。
「我々も一服致しましょう」
「え、でも……」
「どれだけ忙しくても根を詰め過ぎるのはよくありません。どうか適度な休息を」
「………………」
逡巡したのちティーカップを手に取り味わう。紅茶はたっぷりの砂糖が入っていて、直ちに疲れ切った身体の隅々にまで沁み渡っていった。
「さっきは騒いですみません。しっかりしないといけないのに。私、まだ子供です……」
「家長であられるご主人様が不在の中、シホル様は本当にご尽力になられておいでです。むしろここまで持ち堪えていらっしゃることに我々は尊敬の念を禁じ得えません。きっとこの騒動が治まればリリ様もおわかりになって下さいますよ」
「ありがとう、コントーラバさん……」
温かい言葉を受け荒んでいた心の昂りが静まっていく。それと同時に、実の姉を除けばあまり誰かに褒められた経験のないシホルは、気恥ずかしさから頬が熱くなるのを感じた。
「ちょっとリリの様子、見て来ますね」
「かしこまりました」
半分照れ隠しもあって席を外すと、そのまま共同で使っている自室に向かう。しかし、そこに今も拗ねているであろう妹の姿はなかった。
「リリ……」
僅かに嫌な予感。
「あ、トランさんトロンさん」
心配になり大広間を通りかかった双子のメイドに訊くも、すぐに質問は質問で返ってきた。
「おかしいですね。お部屋にいらっしゃらないのですか?」
「おかしいですね。お部屋にいらっしゃるはずですが?」
二人は、大広間の扉を開けてリリが通路のほうに入って行ったのを先ほど目撃したばかりだと言う。
嫌な予感が深まる中、忙しいところ引き止めてしまったことを双子に謝罪。そのあと姉の自室も含め、シホルは残り三つの部屋を順番に調べていった。
「あっ!」
残る最後のゲストルームに入った瞬間、隠し通路の扉が開けっ放しになっているのを見て、そこでシホルの心音は一気に跳ね上がった。
「ど、どうしよう……」
戻って誰かに相談すべきか。
それとも、今すぐ追い駆けるべきか。
どちらにせよ迷っている暇はない。
逸る気持ちを抑え、冷静に考える。隠し通路の先には警備のモグレムがいるはず。それにお店は街の中心部にあり、家と同様に安全な場所だ。自分一人でも急げば十分に連れ戻せるだろう。
「私が、しっかりしないと――」
限られた時間で決断すると、シホルは長い隠し通路を駆け出した。
※
冒険者ギルドが本拠を構える大通り。そこに数百を超える人形の群れが入り込み、すでに街の中心部は大乱戦に発展している。
迎え撃つ冒険者たちは無秩序な相手の動きに対処できず、組織的に機能していないばかりか翻弄され負傷者を続出させていた。
「マジでヤベぇな……」
オレも人のことは言えないが、味方は明らかに夜通しの戦いで精彩を欠いてやがる。旗色は悪いってもんじゃない。おまけにここに来る途中、三馬鹿ともはぐれちまった。
「たくっ、あいつら勝手に脱落しやがって!」
目前の人形を背後から斬り捨て、素早く転進。そのまま複数の群れに襲われていた見知らぬ冒険者を救い、助け起こす。
「悪い、助かった!」
「時間は稼いでやる。ケガ人はさっさと下がれ」
人形の殲滅よりも味方の救出に追われ、思うように動けず。もどかしい戦況が続く中、さらに人形が散発的に押し寄せ、形勢はより不利になっていく。
そんな状況で踏み止まれたのは、途中でエミカの店から飛び出して来た赤色のゴーレムたちが加勢してくれたのがすべてだった。どうやら防衛のテリトリーと判断したらしい。決して壊れないゴーレムたちの働きにより、オレも窮地に陥っていた周囲の冒険者全員を逃がすことができた。
「クソ……、これ以上どうしろってんだ!」
それでも、数における明らかな劣勢はもう覆せないレベルにまで達していた。見渡す限り人形の群れが縦横無尽に暴れ回っている。
破壊されていく街並み。
そして、さらなる追い打ちとしてだった。
「げっ!?」
やがて、大通りの東側からとんでもない新手が。
通りを埋め尽くし、整然と行進する人形の大群。
相手の主力を抑えるため東にはまだ本陣が残っていたはずだが、どうやら向こうの防衛線も突破されたらしい。
ゴーレムと残り僅かな冒険者と共に乱戦の中、人形を着実に減らしてはいたが、あれが到達した時点でこちらの敗北は無条件に確定するだろう。もうそれだけどうしようもない数の群れが近場まで迫っていた。
やっぱ、光刃斬は温存しておくべきだったな……。
「もうここは守り切れない! 一旦下がるぞ!!」
今さら意味のない後悔をしつつ周囲に退却するよう叫ぶ。
そのときだった。
上空で破裂音がしたかと思えば、不意に足元が暗くなった。
「っ!?」
――ズドオ”オンッ!!
危機を察し全力で真後ろに飛び退く。咄嗟に逃れた直後すぐに顔を上げると、飛び散る瓦礫と舞う土埃の向こうに巨大な影があった。
「こいつは……」
ただ、とんでもなく馬鹿デカい。
背丈は周囲の建物と同じか、それ以上。
普通の人形と比べるまでもない大きさだ。
それだけのサイズの人形が突如として空から現れ、今、オレの目の前に立ちはだかっている。
――ブンッ!
呆気に取られたことで、その場にいた冒険者のほとんどが即応できなかった。
地面に平行に振り払われる巨大な人形の右腕。次の瞬間、周囲にいた人形ごと多くの味方が吹き飛ばされていく。
「ちっ!」
空中に飛び難を逃れたオレの目の前に、今度は真っすぐ伸びて来た巨大な人形の左拳。
間一髪、それを正面から大剣で受けると、重い衝撃が走った。
「ぐっ!!」
ぶっ飛ばされ、ほとんど地面に叩き付けられる中、オレは受け身を取るため転がる。全身を打撲し、擦り傷だらけになりながらもなんとか戦線に踏み止まる。
反撃を試みるため、再び前方を見据える。そこまでは良かった。が、巨大人形の姿はどこにもなく。
いや、そんな馬鹿なことがあってたまるかよ。
あんな巨体が一瞬で、消えるはず――
――フッ。
「上か!」
直後、また日が遮られ影が落ちる。
気付き、即座に天を仰ぐも、人形の巨体はもう回避できないところにまで迫っていた。
そーかよ。そんなら、このまま返り討ちにしてやる。
両足で力一杯に踏ん張り、大剣を構える。
目前に迫り来る、黒い影。
すべての感覚が極限まで研ぎ澄まされていくのを感じる中、オレは自らの死をきっちり半分だけ覚悟した。
こっちが弾き飛ばすか、このまま押し潰されるか。
二つに一つ。それ以外の未来はない。未来が二通りしかなく、その一方が生で、もう一方が死なら、結果の上での確率は五分と五分。
しかし、確率なんてもんは本当に当てにならないことを次の瞬間、オレは痛感することになった。
――バギンッ!!
結局、すべては予兆もなく現れたらしい第三者によって何もかもがキャンセル。百パーセント外の未来が選択された。
「っ!?」
耳を劈く激突音。
刹那、目前の黒い影が消え去り、頭上に再び光が戻った。
そして、巻き起こる疾風。
僅かに遅れ、背後から凄まじい轟音が響く。
「なっ……!」
振り向くと、先ほどまでオレの頭上にいた巨大人形がその長大な四肢を投げ出し、東側の大群の中に突っ込んでいた。
「――ここまで侵入を許すなんて、この街の冒険者も鈍ったものね。罰として全員、鍛え直しだわ」
輝く銀髪と、真っ黒なスーツ。
どこから現れたのか、巨大人形に何をしたのかも見えなかった。
しかしイドモ・アラクネは、気付けば当たり前のようにオレの隣にいた。
「今吹き飛ばしたデカい奴、それとあの大群は私が引き受けるわ。あっちの新手は、えっと、あなた名前なんていったかしら?」
「………………」
「ま、いいわ。モグラちゃんのお気に入りちゃん、あなたに任せるから」
新手だと……?
呆気に取られる中、さらにわけのわからないことを言われ戸惑う。
しかし直後、背後のほうで再び破裂音が響いた。大通りの西側、エミカの店があるほうだ。土埃が舞い上がったその場所に、二体目の巨大人形が出現していた。
「それじゃ、お願いね」
こっちが何か言う前にイドモ・アラクネはすたすたと歩いて行ってしまう。あいつは一度もこちらの顏を見ようともしなかった。
「………………」
オレ程度、眼中にすらないってのか。
言葉にできない敗北感が胸中に去来する。
それでも、今は些末なプライドにこだわっていられるような状況じゃなかった。
自分を律し、悔しさと腹立たしさを脚力に換えて駆け出す。
二体目の巨大人形の背中はすぐに見えてきた。チャンスだ。向こうはまだこちらの存在に気付いてすらいない。いいぞ。半分は腹癒せだが、このままお返しに今度はオレのほうから不意打ちを食らわしてやる。
「――リリっ!」
しかし、土埃が治まり周囲の視界が晴れつつある中だった。聞き覚えのある声と共に信じられない光景を、オレは巨大人形の股の向こう側に見ることになる。
それは、妹を守る姉。
リリを抱きかかえたまま、地面に両膝を付くシホル。
なんで二人がここにいるんだ!?
頭が理解するよりも前に、身体は動く。
が、まだ遥か遠く。
大剣は、到底、及ぶ距離にない。
嘘だろ。
駄目だ。
間に合わない。
無情な巨大人形が、その両腕を振り下ろそうとする。
瞬間、オレはオレの絶叫を聞いた。
※
「エミ姉のゴーレムが、どこにもいない……」
キングモール家の隠し通路を通り、本店のバックヤードまで辿り着いてしまったシホルは警備のモグレムの不在に動揺を隠せないでいた。
本来であれば店に入る手前でリリを捕まえられていたはず。だが、妹もモグレムも店の地下にすら見当たらない。
「そんな!?」
そのまま青果売場である一階に上がると、臨時休業で閉じられているはずの正面入口がなぜか開いているのが見えた。思わず駆け出さずにはいられず、急いで扉に向かう。
その瞬間、爆音が轟くと共に店内が大きく揺れ動いた。
陳列された野菜や果物が目の前をゴロゴロと転がっていく。
何かはわからない。
が、店の外で何か巨大な物が墜ちた。
嫌な予感が確信に変わり全身から血の気が引いていく中、それでもシホルは扉に向かい危険な屋外へと飛び出していく。
「わー、おっきなくまさーん!!」
店外を出た直後、少し離れた道の先で呑気にはしゃぐリリの姿が。
そして、その目の前には本当に巨大なぬいぐるみが聳えるようにして立っていた。
「リリっ!」
無我夢中で傍に駆け寄り脇を抱えるも恐怖から両腕に力が入らず、シホルはそのまま妹を抱きかかえたままへたりと両膝を付いた。
巨大な人形に見下ろされ、ただ固まる。
「しーちゃん……?」
リリの不思議そうな声。
人形の向こう側からはパメラが声を荒らげながら急接近していたが、シホルにそれを知覚する余裕はなかった。
振り上げられる人形の巨大な両の腕。
とんでもない威圧感と、禍々しい殺気。
咄嗟に覆い被さりリリを守るのがシホルにできる精一杯だった。
近付いてくる二つの大きな丸い拳。
視界が閉ざされていく。
この先に訪れるであろう衝撃にシホルは恐怖から顔を伏せる。
それと同時だった。
――ボコッ。
視線の先にあった地面が消えたかと思えば穴が開き、見慣れた紅蓮の髪が覗く。
そこからすべてはさらに一瞬の出来事だった。
シホルが声を上げる間もなく穴から飛び出した人影は、目前に迫っていた巨大な拳に向かって自らの小さな爪をぶつけた。
まるで巨大な金属の塊同士が激突したような重い音。
直後、勝敗は決し、巨大人形は両腕を破裂させながら空高く吹き飛んでいく。
腕を振り切り爪を高々と上げたまま、ぴくりとも動かない赤髪の少女。
「エミ姉っ!!」
大量の綿花が雪のように降り注ぐ中、その後ろ姿を見てようやくシホルは自分の姉が帰って来たことを知った。
ようやく本章のプロローグの時間軸に追いつきました。











