戦記9.トリプルクロー
アリスバレー西の端。
モグラーネ村。
「そおっと……」
早朝ノノンが家を出ると、輝かしいほどの晴天が広がっていた。空を覆っていた昨夜の分厚い雲はどこかに流れて行ったらしい。
深く息を吸い、冷たく新鮮な空気を肺に取り込む。
村を見渡してもどこにも不穏な気配は感じない。いつも繰り返している、いつも通りの平和な朝だった。
「天気もいいし、平気だよね……。うん、きっと平気!」
街に害獣が現れたことはもちろんノノンも知っていた。安全が確認されるまで限られた者以外は家に籠るようにと、すでに昨日の時点で彼女の祖父であるテテス村長が村全体にお達しを出している。
それでも、害獣と聞いては居ても立っても居られなかった。育てている家畜たちが心配だ。彼らは村の家族であると同時に村の財産でもあるのだから。
もしそのすべてが害獣に襲われ食べられでもすれば、モグラーネ村は相当な痛手を負うことになる。これまで築いた卸し先との取引も失い、すべてまた一から始めないといけなくなってしまう。だからどうしても朝のうちに様子だけは見に行っておきたかった。
「よかった! みんな無事だ!」
結果から言えばノノンの心配は杞憂に終わった。昨晩のうちに村の誰かが餌も与えていたようで、牛も羊も鳥も家畜小屋で元気に鳴いている。
そもそも害獣が発生した北東の地下道は、村とはまるっきり反対側。昨日の今日で西の端まで流れて来るとは考え辛い。村はまだ安全だ。
「そうだ、農場の方も――」
こっそり外に出たついでだ、サトウキビや野菜を育てているモグラ農場の様子も見に行こう。安易に思い立ち家畜小屋を出て歩き出す。
――ペタ、ペタペタ。
一切の警戒なく進むノノンがその不穏な気配に気付いたのは歩き出してしばらくしてからだった。村の外れにある放牧用の草地に入ったところで反射的に振り返る。すると、すぐ後ろにぬいぐるみがいた。
「えっ」
大人の背丈以上ある大きなぬいぐるみ。
自分は持っていないが、教会の女の子が持っていた物を触らせてもらったことくらいはある。それでも、こんな大きなぬいぐるみは初めて見た。
「あっ……」
そして、それはラーネ村の森にも棲息していた熊の形をしていた。
そう、熊。クマだ。
警戒心や恐怖心より先に、祖父であるテテス村長の昨夜の言葉が脳裏を過った。
『害獣は、クマのような見た目をしてるらしい』
逃げなきゃ!
停止していた思考を一気に加速させる。
しかし、身体は思うように付いて来なかった。
一歩二歩とさらに近付き、ほとんど覆い被さるような形で立ちはだかる人形。その両腕が振り上げられたところでようやくノノンは踵を返して走り出すことができた。
直後、背後に響く爆音と震動。
衝撃にバランスを崩し、足が縺れる。
しまった!?
そう思ったときには地面は目の前にあり、ノノンは激しく転倒した。
恐る恐る肩越しに後ろを見る。地面に両腕を振り下ろした人形と目が合った。
早く立たなきゃ!!
そう思うも膝を打った痛みからすぐに立てそうになかった。
なんとか上半身だけを起こし、身体を返してから後ずさりするようにその場を離れる。
しかし、そんな体勢で人形から逃れられるはずもなかった。
――トコ、トコトコ。
「やっ……」
あっという間にまたノノンに巨大な影が覆い被さった。直後、その太い腕が再度ゆっくりと振り上げられていく。
恐怖から助けを求めることもできず、もう目を瞑り小さく縮こまる他なかった。
永遠にも思える長い静寂。
それを挟んだ次の瞬間、衝撃に怯え硬直したノノンの耳に届いたのは何かを切り裂くような奇妙な音だった。
――スパンッ!
驚いて目を開けると、白くて丸い背中が宙にあった。その爪にはなぜかモグラーネ村の特産である〝長ネギ〟が握られている。
それがよく村の仕事を手伝ってくれているモグレムであることを、ノノンは一目見てすぐに理解した。
「ゴーレムさん!!」
――スパ、スパパンッ!!
ノノンの歓声を背中に受け、ネギを振り回し人形を圧倒していくモグレム。そのまま追撃を続ければ勝敗は早々に決することだろう。
しかし、ネギを手にしたモグレムはある程度人形を押し返したところでバックステップを踏み、倒れているノノンの傍に戻った。
「どうして、あとちょっとで――」
そう言いかけたノノンだったが、前方だけでなく全方位を警戒しているモグレムの様子を見て、彼が引かざるを得なかった理由を察した。
「そ、そんな、いつの間にこんな……」
自分たちを取り囲む人形の群れ。
その数、十体以上。
わらわらと寄り集まると、それらは一斉にいろんな方向から襲いかかって来た。それをネギを懸命に振り回し捌くモグレム。飛びかかって来た人形をネギの斬撃で吹き飛ばし、ノノンを身を呈して守り続ける。
しかし圧倒的に数で勝る相手に、モグレムと言えど立ち回りはすぐに限界を迎えた。
孤軍奮闘する中、人形を振り払った直後のこと。その裏の死角を突いて新たな一体が突進。モグレムは衝撃をもろに食らい、凄まじい勢いで転がるように背後へと吹き飛ばされていく。
「ゴーレムさんっ!?」
じんじんと痛む膝を庇いながらなんとか立ち上がり、助けに向かうノノン。
それでも、その一歩目を踏み出そうとしたところでだった。立ちはだかる人形の腹に押し返された。
「うぐっ……」
再び覆い被さる巨大な影。ノノンはまた尻餅をつくと再度の窮地に追い込まれた。
だめだ、すぐには立ち上がれない……。
今度こそ絶望の淵に立たされたことで、ノノンの胸の内は恐怖ではなく、諦めと後悔の気持ちで満ちた。
家の外に出たらだめだって言われてたのに、また約束やぶっちゃった……。
今回は目を瞑らず、ただ目の前の人形が腕を振り上げるのを静かに見守る。
おじいちゃん、ごめんなさい――
――ヒュ、ザシュ!!
「え?」
――ポンッ!
すべてを諦めたノノンが心の中で懺悔した瞬間、再びその窮地を救ったのはモグレムだった。
だが、それはネギを持った個体とはまた別の個体。
〝POST〟と書かれた青帽子と、茶革の肩掛け鞄。奇妙な格好をしたそれはペーパーナイフを投擲すると、その一撃を以ってノノンの前に立ちはだかっていた人形を排除した。
さらに直後、周囲の人形にも無数の火球が連続で直撃。
瞬く間に群れの半数が燃え盛り、ポンポンと音を立てては消え去った。
「あなたたちも、エミカお姉ちゃんのゴーレムさん……?」
手に光るロッドを掲げ、黒いマントを羽織ったモグレム。
先ほどの青帽子のモグレムと共に、二体のモグレムが近付いて来るさらにその背後には、黒いローブを身に纏ったたくさんの大人たちがいた。
「こっちだ、急げ!」
「小さな女の子が襲われてるぞ!」
たちまち魔術での一斉攻撃が始まり、数の上でも劣勢になった人形たちは為す術なく一瞬で灰と化した。
戦闘が終わりネギを持ったモグレムがいの一番にノノンを助け起こしていると、そこに先ほどの郵便配達員と魔術師の恰好をしたモグレムがやってきた。
しばし無動作で、ただ見つめ合う三体。
果たして、真の同胞と呼ぶべき存在なのか。
「ありがとう、ゴーレムさんたち!」
しかし、やがて三体はその場で爪を重ねると、そのまま互いを称えるように天高く腕を掲げ合った。
【職業を獲得し、進化したモグレム一覧】
①ネギソード・モグレム
モグラーネ村で働くモグレム。お礼にもらった長ネギを気に入り武器として使う。普通に爪で殴ったほうが強い。
②メッセンジャー・モグレム
ラーネ村で眠っていたモグレム。村の男衆の帰還を手伝い感謝されたことで少し調子に乗ってる。帽子と鞄は拾い物。
③マジックキャスター・モグレム
ホマイゴスで回収されず取り残されていたモグレム。魔力切れを起こしていたところを何者かに拾われ改造される。











