戦記7.アリスバレーの一番長い夜
キングモール邸。
地下三階。
人形たちの進攻により、アリスバレー東部を中心に生まれた大量の避難民。
夕暮れを迎える頃、その受け入れをキングモール家次女であるシホルが正式に表明したことで、平時はモグレム格納庫として半ば持て余し気味のその場所は今、肩を寄せ合う多くの人々の姿で溢れていた。
「えっと……温かいお飲み物もございます。いかがですか」
家の専属メイドであるピオラは軽食を乗せたワゴンを押して格納庫内に入る。緊張しいの彼女が声を震わせて呼びかけると、たちまち避難民が集まってきた。
「あ、あの! どうかお一人様お一つずつまででお願いします!」
無数の手が伸び、あっという間に運んでいた飲食は底を付いた。品切れを平謝りしながら空になったワゴンを格納庫の入口に戻す。調理場の人員も作業が完全に追い付いていないようで、そこからしばし手持ち無沙汰の時間が続いた。
「私も上に手伝いに行ったほうがいいかな……」
相棒のイオリが討伐要員に抜擢されたため家を担当する戦闘メイド五人のうち一人が欠けている状況だが、今は普段店のほうで働いているメイドたちも加わり総出の対応だ。
しかし、数百人規模の避難民が相手ではまったくといって手が足りない。本当にただ与えられた役割だけをこなしているだけでいいのか。
「んー……、んっ?」
そんな逡巡の最中だった。
座り込んで休んでいる避難民たち。そのあいだを縫うようにきょろきょろと歩く小さな子供の姿をピオラは見つけた。
「あれ? リリ様がどうして避難所に……?」
この家の三女であり自らが仕える主人の末妹。
はしゃがず騒がず静かにしている様子を見るに、決して遊びや興味本位でうろついているわけではなさそうだ。
「リリ様、どうなさいましたか?」
もしかしたら街の東側で暮らすご友人の安否を気遣い捜していらっしゃるのかもしれない。その答えに至ったところで、居ても立っても居られなくなったピオラはリリの背中に声をかけた。
「おねーちゃんが、どこにもいない……」
振り返り肩を落としているその様子ですぐに察した。
主人であるエミカが不在になり数日。そんな最中にこのような混乱が生じ不安に陥ってしまったのだろう。そしてこれだけの人が居ればもしかすればと、自身の姉の姿を捜していたに違いなかった。
「大変残念ですが……、ご主人様はまだお戻りになってません。ですが、どうかご心配なさらず。きっと、もうすぐ帰って来られますから」
根拠のない気休めでしかなかったが、家のメイドでしかないピオラに他にできることはなかった。
「うん……」
とぼとぼと、また別の方向に向かってしょげた様子で歩いていくリリ。ピオラは衝動的にその背中に再び声をかけようとする。
「ピオラ、持ち場を離れて何ぼーっとしているの」
だが、言葉を思い悩んでいると自分の背後から先に声が飛んできた。
「お食事とお飲み物の追加分、持って来たから急いで運んで」
「もう、上は居ればイオリの手だって借りたい有り様なんだからね!」
「あ、ごめんなさい……」
いつの間にか背後にいたのは同僚のマリンとモニカだった。二人にお小言を言われたピオラはぺこりと頭を下げる。
そうしているあいだにもリリの小さな姿は避難民の中に隠れてしまった。
※
足元から頭の天辺まで響く震動。
闇の中、背後に迫るは人形の大群。
北東部より全力での撤退を開始してしばらく経つが、オレたちは一向に奴らの追走を振り払えずにいた。
「急ぐでありますよ!」
「もっと気合入れて走れしー!」
「そんなこと言われてもぉ! わぁ~ん、置いてかないでぇー!!」
いや、それどころかすでにもうツツジの奴が身体一つ二つと遅れはじめている。長距離でチクチク削るスタイルが基本なだけあって脚力と体力には自信がないらしい。てか、さっきから泣き言がひでぇ。
どこかで散って逃げるのも手だが、西側は街を二分する川が。そして、東側は逃げても死地。
結局、南下する以外に道はなく、オレたちは先ほどから家屋のない草地を進む他なかった。
「わははっ! 追い付けるもんなら追い付いてみろっす、このボロ人形共ー!!」
「………………」
ちなみに駄メイドは一番先頭で未だに元気に挑発を繰り返している。正直こっちまでいらっとするからぶん殴って止めさせたいところだが、背後の大群が方向転換して西側に向かって川を渉られでもしたらその時点で相当ヤバい。
現状オレたちがなんとか惹き付け、最低でも事態を打開する準備が整うまでの時間を稼がねぇとだ。
しかし、南下できる範囲にも限界がある。このまま街の中央側に逃げ続ければ、やがては家屋が建ち並ぶ住宅地域に差しかかってくるだろう。その前に早めに手は打って置かねぇとだった。
「スミレにツツジにサクラ、それとイオリ! オレがしばらく時間を稼ぐ! お前らは先に行って討伐隊の本隊にこいつらの存在を伝えろっ!!」
「了解っす!」
「パメラ――!!」
全員の返事を待たず転進して殿を引き受けると、オレは両足を踏ん張って光の大剣を水平に構える。
僅かな動作で準備を整えているあいだにもだった。闇夜で一塊となった人形の群れはあっという間に猛スピードで目前へと近付いてきた。
「ぶっつけ本番だが……、ま、やるしかねぇか」
オレの奥の手というか唯一の必殺技――光刃斬。
この場で放てば一網打尽にできる可能性はある。
しかし戦況がどう転がって行くかわからない今、大剣内部の魔力をここですっからかんにするわけにはいかない。魔力補充にはダンジョンに潜り大量のモンスターを狩る必要があるからな。たとえ必要になったとしてもこんな緊急時にそんな悠長なことはしてらんねぇ。
だから、ここは〝分割〟だ。
最低でもあともう二発は撃てる程度には威力を調整して放つ。
「有難く食らいやがれ、綿クマ共っ――!」
――バシューン!!
――ズババババババッ!!
ギリギリもギリギリまで引き寄せたところで大剣を薙ぐ。
その瞬間、大地に眩い光が奔り、高い夜空を煌々と照らしていく。そして、前方には次々に閃光に呑まれていく人形たちの姿が。
「ちっ、全力じゃなきゃこんなもんか」
再び辺りが闇に包まれ、黒い塊は蠢きを見せる。
それなりには削ったか。
いや、駄目だな。所詮一部に過ぎない。果たして時間稼ぎにもなったかどうか。
「たくっ、やってらんねぇな!」
ほとんど息を吐く間もなく人形たちはわらわらと密集し再集結すると、まるで何もなかったようにまた黒い大波となって迫ってきた。
※
「むっ、あの光は――!」
パメラが光刃斬を放ったとき、マストン率いる〝肉体言語〟一行はちょうど川を挟んだ西側にいた。
渡渉して北方一帯で暴れ回っていた人形を虱潰しにし、まさに騎馬に乗って帰還する途中のこと。その巨大な閃光からハイエンド級の実力者が放ったであろう大技を目撃した。
「あの光の柱、如何に思いますか」
「うむ……」
各所で迅速に対応した冒険者たちの活躍により被害の拡大は抑えられ、すでに大勢は決したと言っても過言ではないだろう。
それにも関わらず、川の東側ではあれだけの一撃を放たなければならない事態が起きているということになる。
「皆の者、心せよ。どうやら我々の真の戦いはこれからのようだ」
肉体言語のリーダーであるマストンは、その豊富な経験と優れた直感からすぐに正解を導いた。彼は直ちに偵察を送ると共に討伐隊の本隊に新たな防衛線の構築を要請。パメラの稼いだ時間を無駄にすることなくこれ以上ない判断を下した。
「――なんでしょう、あの光……」
また一方、南東の地下道から溢れた人形の掃討に当たっていた〝蒼の光剣〟一行もその閃光を目撃していた。
「さぁな、ただあっちで良くねーことが起きてんのは確かだろ。どうするよ、グリフ」
「北側から害獣共が迫っているならばここを通すわけにはいかない。我々の後ろには避難所になっている教会だってあるのだからな。急いでメンバーを再集結させるぞ」
リーダーのグリフが号令を出すと、蒼の光剣の面々はそのまま討伐隊の本隊と合流した。
やがて、そこにパメラが先に向かわせた四人も合流。とんでもない規模の群れが新たに現れたという事実を知った彼らは戦力をさらに集中させると、北東方向から南下してくる敵を向かい撃つため迅速に第一の防衛線を築いた。
「来たぞ、奴らだっ!」
そこに千体を超える人形が殺到し激戦が開始されるまでほとんど時間はかからなかった。
「遠距離部隊、攻撃開始――!!」
アリスバレーという街。その歴史において今、一番長い夜がはじまった。
※
余剰戦力を集中投入して、もう十時間弱が経過しようとしている。
時刻は夕刻より晩。
そして、闇も濃い深い夜へ。
だが、そのあいだマカチェリーから報告は幾度もあったものの未だ劇的な進展は訪れず。アリスバレーの冒険者たちは近代の軍隊さながら組織的に動き、街の北東部分を囲って切り離すように防衛ラインを形成。北東から南西方向に流れている川の影響もあり、ゴルディロックスの人形たちの大部分はその機動力を活かせず仕舞い。街の中心部への到達は叶っていない。
それでも、イレギュラー的に動く一部の人形たちは最終防衛ラインの外側から回り込み、じわじわと川の向こう側や防衛ラインの裏側へ進攻を果たしつつある。そして、それは繰り返されることで確実に相手側に深刻な混乱と疲弊を齎しつつあった。
「連中、粘るわね。もう朝を待たずここで一気に止めを刺すべきだわ」
深夜の会議においてジーア筆頭にそんな発言が噴出したが、俺はあくまで今は削りに徹するべきだと主張し、血気盛んな意見を抑え込んだ。
当然だ。
こっちが焦る必要なんてまったくない。
今は一流の技巧派ボクサーのように、相手の足が止まるまでひたすらボディーブローを撃ち込み続けてやりゃいい。この勝負に引き分けがない限り、それがこれ以上ない最善手だ。俺という存在が場違いであろうとも、この策に間違いなんてない。
※
真夜中。
窓の外はどっぷりと完全なる闇に包まれている。
――ペラリ、ペラリ。
「ふむ……」
アリスバレー商会の建物の一室。代表を務めるロートシルトは部下たちが持ってきた報告書の山を取り、その一枚一枚に目を通していた。
時計の針は頂点を疾うに過ぎ、時刻も時刻。休憩を挟むこともできず老体にとっては些か厳しい作業だったが、全体の情報を取得し対策を練るのは街を仕切る者として当然の役目だった。不平を何一つ吐くことなく上がって来た報告のすべてを読み切ると、ロートシルトは悪化の一途を辿りつつある戦況に対してまず最初の手を講じた。
「これを早急に、ホマイゴスのルルシュアーノ氏へ」
呼び出した部下に自らが認めた手紙を渡すと、さらに別の手も打つべくゆっくりと席を立ちそのままコートを羽織る。
「代表! こんな時間にどちらへ? 外は危険です。自分もお供致します」
「ほっほ、そのような野暮は感心しませんな」
「え、はい?」
部屋の前で控えていた若い男の側仕えが付いて来ようとしたが、ロートシルトはそれを拒否するため煙に巻いた。
「これから少々、逢瀬を楽しもうかと。しばらく戻りませんので留守は頼みましたよ」











