幕間 ~重なる予兆~
旧都編このまま最後まで一気に投稿しようと思っていたのですが、それだと間が空きすぎてしまいそうだったのでとりあえず一話分投稿します。
終焉の解放者による進攻作戦が佳境を迎えた頃。
同日、同時刻。
アリスバレー。
モグラ屋さん本店――
「繁盛中に仕事サボりやがって」
「あ、お兄ちゃん」
「さっきから何アホみたく口開けて見上げてやがんだ、お前は」
「だって、なんかさっきから変な音がするんだもん。というかこんな可愛い妹をアホ呼ばわりなんてひどい! せめてそこはエミお姉ちゃんみたいって言って!」
「……ああ? 音だぁ?」
店先に出てきたジャスパーが妹のソフィアの話を聞き二階の壁を見上げると、確かに雑踏の騒音に紛れて奇怪な音がした。ぎしりぎしり、或いはぎちぎちとでも表現すればいいのか、金属が擦れ合うような不快な音である。
一瞬、上のモグラカフェでまたメイド目当ての客たちが乱痴気騒ぎでも起こしているのかとも思ったが、明らかに響く異音は建物の内側ではなく外側からのものだった。
「げっ、まさか――」
ジャスパーが原因に見当を付けたところでだった。本店の外壁に鋲で固定されていた巨大な看板が突如としてぐら付きはじめる。かと思えば瞬きを経たほどの次の瞬間、一枚の長大な木板でできたそれは店先にいた兄妹の頭上を目掛け落ちてきた。
「――危ねぇ!!」
「へ? うにゃっ!?」
気付くのがあと少しでも遅れていれば確実に看板の下敷きになり、兄妹は大怪我を負っていたことだろう。しかし間一髪、ジャスパーは妹のソフィアに激しくぶつかると共に歩道側に飛んで難を逃れた。
――ドカ”シァン!
看板が落下し凄まじい轟音が街中に響き渡ると、その場に居合わせた多数の通りすがりと一緒に店内からも何事かとたくさんの買い物客が飛び出してきた。
「うう、痛たたぁ……」
「おい! 大丈夫か、ソフィア!」
「あ、うん……ちょっと擦りむいただけ、かな?」
「本当か? 足は? 挫いたりしてねぇか? ほら、ちょっと立ってみろ!」
「ありがと、お兄ちゃん。でも本当に大丈夫だから。あと、今だけは世界で一番好きだよ♪」
「お、おう……って、珍しく素直に感謝したかと思えば今だけかよ。現金な奴だな……」
「にゃはは」
未だ鼓動が鳴り止まない中、歯を見せてにゃーにゃーと笑う妹の手を取る兄。直後、周囲の人だかりを見て、ジャスパーは巻き込まれた者が自分たち以外にもいる可能性に気付き再び背筋を強張らせた。
頭上は注意が向き辛い。一声も上げられず下敷きになった通行人や客がいるかもしれない。慌てて目の前の看板の残骸と共にその周囲を確認する。
「ほっ、大丈夫そうだな……」
まさに不幸中の幸い。看板が落下してきた際、繁盛中にも関わらず店先にいた人間は自分たちだけだったらしい。
「何事ですか!?」
「遅ーい!」
「遅いぞ」
被害の確認が済んだところで今さらながら店の奥からヘンリーがやってきた。
兄妹はすぐに事情を説明し怪我人がいないことも共有。そのあとで三人は営業を続けるため落下の衝撃で壊れた看板の撤去に取りかかった。
「木板とはいえこの大きさです。片付けるのも一手間ですね」
「エミお姉ちゃんのゴーレムにも手伝ってもらおう。わたし呼んでくるね」
「ええ、お願いします。しかし、それにしても……」
穴から顔を出したモグラの愛らしい絵。落下の衝撃で罅が入り、ちょうど描かれたキャラクターが真っ二つに割れている箇所をまじまじと見下ろしながらだった。その有り様を見てヘンリーは誰にともなくぼそりと呟いた。
「店の看板がいきなり落ちてくるなんて、なんだか縁起が悪いですね」
同時刻。
キングモール邸、地下一階。調理場――
「あ」
それは食器棚の高い場所から大皿を取り出そうとした拍子に起きた。
原因を挙げるとするならただの注意不足以外にない。持ち手部分をメイド服の袖に引っ掛けたことで落下したティーカップは次の瞬間、カシャンと小気味好い音を立てながら床の上で砕けた。
「「………………」」
離れた洗い場の一画から陶器が砕ける光景を目撃したイオリとピオラは、思わずその場で顔を見合わせた。
二人にとって家の食器を破損するなど日常茶飯事。メイドとして褒められたことではないが見慣れた光景である。
だが、その失敗を犯した者が目上のコントーラバとあれば話は違った。
「自分、メイド長が粗相するの初めて見たっす」
「私も二度目だよ、イオリちゃん。珍しいよね」
「なんかあったんすかね、あの人。もしや失恋?」
「お店で働いてるモニカやマリンならともかく、私たち家担当には男の人と出会う機会なんてこれっぽっちもないでしょ」
「いやいや、わかんないっすよ。道端で出会った男女が一目で惚れ合ってくんずほぐれつなんてよくある話っす」
「くんずほぐれつって……、私はメイド長に限ってそんな過ち絶対ないと思うけどなぁ」
「いやいやいやいや、ああいう真面目一筋で人生貫こうとしてる堅物こそ色恋沙汰に嵌っちゃう時は嵌っちゃうもんなんすよ。そんでもって禁断の愛欲に溺れて最後には拗れに拗れると。ま、お子様のピオラにはまだちょい早い話っすよね」
「もー、またそうやって子供扱いする……。私のほうがイオリちゃんより一個上なのいつも忘れてない?」
「ちっちっち、男女の色恋ってのは年齢じゃないんっす。経験なんす。それがわかってない時点でピオラはお子様もお子様なんす」
ひそひそと二人の部下が小声で会話を続ける中、コントーラバは憮然とした面持ちで散らばったティーカップの破片に手を伸ばす。
「痛っ……」
しかし、まさかのまさかだった。そこでも破片の先端で指を切るというミスを彼女は犯してしまった。
普段から何もかも完璧にこなしているはずの自分が、こんな新米メイドのような失敗を重ねるとは。ぷっくりと膨れた赤い血の球を見つめながら、コントーラバもそこで自身の不調を疑わざるを得なかった。
「メイド長、なんかずっと床に屈んでるけど大丈夫かなぁ」
「やれやれ世話が焼けるっすね。ならば、ここは自分が一肌脱ぐとするっすかね。あの恋慕に迷える子羊に愛とは何かを一から指導してくるっす」
「あ、イオリちゃん、あんまり余計なことはしな――」
「いざ、突貫!」
「あぁ……」
結局、ピオラが止めた甲斐なくだった。
イオリは食器棚の前で屈んでいたコントーラバの傍まで駆け寄ると、大袈裟な身振り手振りを交えてよくわからない男女の機微に関する持論を展開。直後、その場で顔面をこれでもかと鷲掴みにされた挙句、一転していつも通り説教を受ける立場に戻った。
「随分と偉くなりましたね、イオリ……」
「ひぎゃあー! 降参、降参っすぅ!!」
「こちらから伝えることは一つです。私の心配などする暇があるのならまずあなたはあなた自身の心配をしなさい」
「はいいっ、マジで心配っす!! もうなんか頭蓋が限界超えてメキメキいってるっすからぁ!!」
だから止めたのに……。
折檻されている同僚から視線を逸らしつつ、ピオラは課せられた仕事である銀食器の手入れに戻った。何事もなかったように一本一本、丁寧に銀色に輝くフォークとスプーンを布磨きしていく。
「あ、そういえば」
その作業の途中、彼女は不意にあることを鮮明に思い出した。
二度目である今日を今回とするなら、それは前回。今まで些細な失敗一つして来なかったコントーラバが初めて自分の前で盛大なミスをやらかした日のことである。
それは決して昔のことではない。
まだ一年も経っていない去年のことだ。
日頃から常に完璧だったメイド長が、まさかそんなあり得ないヘマをするとは。朝から衝撃的だった上、その当日中に身の回りで起きたこともあり、今でも思い出そうとすればその細部まで記憶を辿ることができた。
あの日、早朝の清掃作業中。メイド長は何もないところでずっこけた挙句、その拍子に大きな壺を割った。しかもそれは前の主人が大切にしていた美術品の中でも一番高価な品だったらしい。
そして、そのあとコントーラバが懲罰を言い渡される暇すらなくだった。ピオラたちの前の主人であるダルマ・ポポン伯爵はその当日中に地位と名誉を剥奪。財産もすべて没収の上、そのまま奈落の底へと失墜した。
「もしかして、これってご主人様にとっては嫌な予兆? ううん……こんなの、ただの偶然だよね」
銀食器を磨き終えながら、ピオラは自ら口にした言葉にかぶりを振った。
同時刻。
テレジア教会、敷地内――
「………………」
「あ、ほんとだー」
「なんか元気ないねー」
「ブタさん、どうしたのー?」
人間の家を模した小屋の前。ただ東の方角の一点を見つめ、キノコ頭の珍獣は先ほどから動きを止めていた。
その様子を周囲に集まった教会の孤児たちは心配そうに見つめている。
「なんか変なもんでも食ったんじゃないか」
「ブタさん、ひろい食いはダメだよー?」
「わたし、おいしゃさんにおくすりもらってくるー!」
「ちょい待ち、その前にエミカお姉ちゃんに知らせないとでしょ」
――スッ。
年齢もバラバラの孤児たちが話し合いの輪を作っているとだった。
不意に、その後ろに三つの影が並んだ。
「こんにちはー」
ようやく気配に気付き孤児たちが一斉にそちらを振り返ったところで、三人の中でもこれといって特徴のない女が前に出てきて子供たちに声をかけた。
「君たちってさ、ここの教会の子だよね?」
「そうですけど……お姉さんたち、誰ですか?」
「あ、いや、私たちは別に怪しい者じゃないよ。そんなに警戒しないで。ほら、大丈夫だから、ね?」
「「「………………」」」
「きゃはは、バーカ♥」
「貴様ぁ、また小生を愚弄したな!? 表に出ろっ!!」
「はぁ? ここすでに表なんですけどぉ? こいつやっぱマジでバカ! ヤバすぅ~」
「く”のののおぉ~、二度ならず三度まで言ったな!? もうこの場で叩き斬ってくれるわっ!!」
「「「………………」」」
「あ! あの二人は気にしないでね、仲悪いのいつものことだから!」
言い争い合い今にも一触即発の奇妙な恰好をした背後の二人。それから注意を逸らすため両手を広げぴょんぴょん飛び跳ねると、黎明の円卓の中でも九の番号を持つ女はここに来た目的を果たすため本題に触れた。
「ここにパメラって子、いるよね」
「パメラお姉ちゃんですか? 今日は学校のほうですけど」
「……学校?」
「うん。みんなに勉強教えてるの」
「今は先生なんだよー」
「えらいんだよー!」
「こわいけど、やさしいからわたしパメラおねえちゃんすきー!」
「へー、あのパメラが。意外だ……」
「滅せよ! 滅びよ! 消えよ!!」
「マジでうっざー! 消えるのはあんたのほうだっつーの、ざーこざーこ!」
「ねえ、実はお姉ちゃんたちパメラの友達で久し振りに会いに来たんだ。だからね、ちょっとその学校まで連れてってくれないかな?」
過去の実際の姿と今の話から浮かんだ想像の姿を重ねつつ、F-Ⅸは竜殺しの異名を持つ妹の場所まで子供たちに案内を頼んだ。その背後ではF-ⅧとF-Ⅹが互いに得物を抜き合い、今にも互いに襲いかからん勢いでばちばちに睨み合っている。
「ぴぐぅ……」
そんな周囲の喧騒も一切気に留める様子なく、エミカを神として信奉する珍獣は未だ東の一点を見つめていた。
虫の知らせか、或いはこれこそ神託か。
彼の胸中は根拠のない悪い予感で満たされ、主を案じる思いは先ほどより膨れ上がっていく一方だった。
同時刻。
王国最西端。
とある砂漠の都市――
砂岩の住居が建ち並ぶ街の一角。不意に乾いた風が通り過ぎ、一人の暗殺者が纏っていたローブを靡かせる。
次の瞬間ばさりとフードが翻り、容貌を露わにするファンダイン家の長姉。彼女はぴたりと歩みを止めると、その場で風が抜けていった方角を振り返った。
「………………」
早々に西方に到着し、すでに現王政にとって危険な存在もその半分は始末した。予定は順調そのもの。
しかし、風が通り抜けた刹那のこと。
なぜかティシャは奇妙な疑心を感じた。
ただ、土地も変われば吹く風も変わるものだ。それは極小の棘ほどの僅かな違和感であり、残念ながら直ちに計画を変更するほどの確信には至らなかった。
――スッ。
冴え切った超人的な第六感は遥か東方で起こった異変すら捉えたものの、ティシャはフードを目深に被り直すと砂の街の雑踏にその姿を消した。











