225.深淵と邂逅
東塔側から中央塔の近くまでやってくるあいだ、クマぐるみの群れと何度も遭遇した。
召喚しておいたモグレムチームの活躍もあって一人のときより撃退は楽だったけど、ほんと倒しても倒しても切りがない感じ。
一体どれだけの数がこの城内にいるのやら……。
「エミカ!」
そんなことを思って私が辟易してるとだった。隣にいた女王様が西塔の方角を指差しながら声を荒げた。
「今度は桁違いの大群です!」
「げっ!?」
西塔の入口付近からまっすぐ伸びてる長くて広い屋外通路。その端から端までをクマぐるみの群れが真っ黒に埋め尽くしてた。
大きくうねるように無秩序に進軍してる。百や二百の数じゃない。たぶん千体以上は確実にいるっぽい。
距離があるからあっちがこっちに気づいてる様子はまだないけど、これまで受けた襲撃とは規模が段違いだ。どう考えてもあれと正面から戦うのは得策じゃないよ。
「女王様、急ぎましょう!」
中央塔最下層部の正面入口まで私たちは走った。脇目も振らずアーチ状の巨大な石門の下を潜って尖塔の内部へ。
引き連れてたモグレムチームも中に入ったところで、私は正面入口の下から上までをモグラウォールで隙間なくぴっちり塞ぐ。少なくともこれでしばらくは襲撃を受けずに済むはずだった。
「でも……」
あの大群を見るかぎり、西塔はすでにクマぐるみたちの手によって陥落したと考えるしかない。たぶん戦ってたであろう城の衛兵さんたちは、もう――
あれに対抗するならこっちもモグレムを大規模レベルで召喚するしかないけど、さっきの女王様の話だと力技で解決できるほど事態は単純でもなさそうだし、とにかく今はコロナさんとの合流を何よりも優先することに変更はなかった。
「ここです、我々が最初に襲撃を受けたのは……。襲撃者を足止めするためコロナは単独この場に残りました」
正面入口から少し進んだ先の回廊だった。そこで女王様は細かい経緯を説明してくれた。
調べると、たしかに壁の一部が破壊されてたり、鼠色の石材の床には黒っぽい血の跡があっちこっちに点々としてた。その痕跡だけから推測しても、しばらくコロナさんが敵を引き止めるためここで戦ってたのは明らかだった。
「問題はそのあとコロナさんがどこに行ったか、ですね」
「はい。襲撃者の亡骸もありません。コロナがあの者たちを倒したのであれば我々の後を追ったでしょうし、それならば私がエミカとここに戻ってくるあいだどこかで再会できていてもおかしくはないはず。ですが……」
あまり考えたくないというか万一の話だけど、コロナさんが劣勢に立たされてこの場から離脱しなきゃいけない選択を迫られたとしたら、どう対応するだろ。
正面入口側に逃げたら時間を稼ぐ狙いと矛盾しちゃうし、上層のほうに逃げるとしても対峙してた襲撃者たちを突破しなきゃいけない。
なので、一番考えられるコロナさんの逃走経路は――
「……この、壁の穴?」
「私もその可能性が高いと思います」
襲撃者たちの侵入経路でもある破壊された回廊の壁。その横穴から顔を出して足元を覗くと、城の最下層部よりもさらに数階分低い位置に地面が見えた。
「構造としてこの下は城の裏の敷地と繋がっているはずです」
眼下の屋外通路は尖塔の曲線に沿いつつ、そのまま旧都の海側の方角に伸びてた。どうやら下りた先を道なりに北上すれば城の広大な裏庭に行き着くみたい。
私は尖塔の側面に階段を作って足元の地面まで下りると、そこで引き連れていた白モグたちにコロナさんを捜してくるよう本格的に指示を出した。
ただ、ほんと広い裏庭みたいなのでさすがに赤モグ抜きのワンチームじゃ荷が重そう。なのでさらに数チームをポコポコと召喚。その上で全部隊にあらゆる手を尽くして任務を遂行するよう命じた。
「女王様、モグレムは優秀です。あとは任せて大丈夫だと思います」
「わかりました。私たちはコロナが無事であることを信じて待ちましょう」
モグレム部隊が四方八方、さらには地面の下にまで潜って散ってく様子を見届けたあとで、私は女王様と一緒に上の回廊に戻った。
屋外だとクマぐるみの襲撃をいつ受けてもおかしくはないし、正面入口を塞いだこっちのほうが籠城に向いてて対処もしやすい。しばらくはそこで私と女王様、それと赤モグを加えた二人と一体で進展を待つことにする。
「エミカ……おそらく、あなたには伝えておかなければなりません」
「はい?」
回廊に戻ってすぐだった。
国家の機密事項なので他言無用でお願いしますという前置きをした上で、女王様は自らがこの旧都に出向いていた理由を一から説明してくれた。
「私は北方の反乱を鎮めるため、ここにやってきました」
辺境北方に繋がる渓谷街道が使えなくなったことで、北方海峡から進攻するがため、あの領主様と話し合いをしてたこと。
そして交渉が成立し、これからバートペシュ地方で進軍の準備をはじめようとした矢先も矢先に、反乱の首謀者から命を受けたであろう例の一味から襲撃を受けたこと。
王都を出立して今日までのことを、女王様は包み隠すことなくすべてを順序立てた上で話してくれた。
「そ、そんな、それじゃ……」
事実を知って、私はダブルで強いショックを受けた。
一つは、防げてたと思ってた戦争がまったく防げてなかったことに。
もう一つは、自分が手を出したことで今まさに事態が混沌に陥ってしまっていることに。
(何もかも……私のせいだ……)
致命的な結論を言ってしまえば、私があんな余計なことさえしなければ、この美しい水の都が攻撃を受けて戦場になるなんてこともなかったのだ。
(わざわざ辺境北方にまで出向いて良かれと思ってやったことの結果が、これって……)
いや、善意だろうが悪意だろうが関係ない。今回ばかりは微塵の言いわけだって許されないようなことだ。
そして、こないだ謁見の間で会ったティシャさんの含みのある発言からしても、渓谷街道を塞いだのが私だってことは女王様も把握してのことなんだろう。じゃなきゃ、わざわざ私にこんな大切な話を打ち明けたりなんかしないはず。
「エミカ」
「………………」
どんなに責任を追及されてもしかたがない。こっちからは何も言えず、ただ責められる覚悟で説明を終えた女王様の次の言葉を待っているとだった。
「誰にも未来のことなどわかりはしません。一国の女王として恥ずべきことですが、私も本当にこれで良いのかと、あるいは良かったのかと。いつも、悩んでばかりです……」
叱責されると思いきや、女王様は私を責めるどころか問い質すことすらせず、ただ静かに言葉を綴りはじめた。
その語調の端々にも怒りは一切感じられない。
逆にあるのは、恐れや不安。どちらかというと含まれているのはそういった類いの感情に思えた。
「襲撃者たちの素性は不明ですし、実際、辺境北方で反旗を翻したシュテンヴェーデル辺境伯の手の者であるという確証はありません。ですが以前、ミハエルを誘拐しようとした者たちの手配書と人相と身形が一致していることからも、やはりその繋がりは確定的に思えます。いえ、むしろ、あの者たちこそ……」
そこでしばらく言い淀んだあとだった。
女王様は話の節を折るように、いきなりなんの脈絡もなく私に助力を懇願してきた。
「エミカ、もうこの際です……無遠慮なことは承知ではっきりと言わせてください! どうか、私に手を貸してはいただけませんか!?」
「え?」
手というか爪だけど、それならすでに貸してる。だからこそ、ここでモグレム部隊がコロナさんを捜してくるのを待ってるわけで……。
「……あ、すみません。私としたことが事を焦りすぎたようですね」
私がポカンとしてるのを見て、すぐに言葉足らずだったことに気づいたみたいだった。咳払いを一つ挟んだあとで女王様はその場で補足の言葉を紡いだ。
「今日、私はあの襲撃者たちをこの目にして思ったのです。辺境北方という地の裏には、もはや想定し得る以上に恐ろしい影が潜んでいるのではないかと……。もちろん、それについてもなんら確証はありません。ですが、今回の旧都への大規模な先制攻撃も含めて、シュテンヴェーデル辺境伯という一貴族の技量と器量で到底なせるような行ないとは思えない。それも事実なのです」
「そ、それって……黒幕は他にいるってことですか? でも、そのなんとかっていう辺境北方で一番えらい貴族の人が首謀者じゃなかったら……」
「現状では、あくまで私の勝手な想像です。取り越し苦労という可能性も大いにあるでしょう。それでも、どうしても仄暗い予感を覚えずにはいられません。そして事実、旧都がこのまま反乱者側に落ちれば王国は建国以来最大の危機を迎えることになります。最悪の未来を回避するには相手を上回る圧倒的な力が――武力が必要なのです。エミカ、改めてお願いします。どうか私の力になってはいただけませんか」
「………………」
有り体に言えば、それはつまり私に戦争に加担してくれってことだった。
王国の代表である女王様の立場からしたら、力が必要なときに力を求めるのは当然のこと。守るべき民を守り、倒すべき敵を倒すのがミリーナ様の役割だ。
それなら、そんな彼女に頼られた私はどうすべきなんだろ。
元々、戦争をさせないために起こした行動。それが発端となって回り回って今、私は助力を願われてる。
はっきりしてるのは、このまま「はい」と返事をすれば、本来自分がしようとしてたことと真逆のことをしなきゃいけなくなる。
今さらだけど、土竜の爪の力は強大だ。
最悪、たとえ相手が敵と呼べる勢力だったとしても、結果的に大勢の人たちをこの手で――いや、この爪で……。
そこまで考えたところでだった。
不意に背筋は強張り、緊張と重圧で足が震えた。
ああ。きっとティシャさんやコロナさんが生きてる世界っていうのは、こういう覚悟の世界なんだ。彼女たちなら女王様の目をまっすぐ見据えて力強く返事をしてたはず。
だけど、私は少し想像しただけでこの有り様だ。
到底、向いてるとは思えない。
これは無理。
絶対に、私には……。
「………………」
それでも断ることもできず、私はただ言葉を呑みこみ続けるしかなかった。
「エミカ……」
伏せてた顔を上げると、なぜか助力を願った女王様も悲痛な表情を浮かべてた。
ほんとなら女王様も私に懇願するなんて苦肉の策で、決して本望じゃないはず。ただ、孤立無援のピンチを偶然救った私を一時的に英雄視してるだけなんだと思う。このままコロナさんと合流して無事に旧都から脱出できれば、きっと女王様も考え直――
「――あ、主人公」
すぐ近くから無機質な声。
完全に不意を突かれた形だった。回廊の反対側の曲がり角、振り返ると背後に黒ずくめの衣服を纏った男女二人の姿があった。
あまりにも突然の遭遇。そして現れた女の人の異様な美しさもあって、私は思わず呆気に取られてしまった。
「ん? ってことは……おい、パープル。たぶん、あの隣のが女王さ――」
――タッ!
警戒が遅れたことはたしかだった。それに唯一の護衛である赤モグを少し離れた壁穴の前に配置してたのもいけなかった。
でも、だとしても、その迷いのない猛進を確実に止める手立てなんてなかったと思う。
――ズズッ。
一瞬で間合いを詰めてくる女の人。もうその姿は目の前。きれいな紫の髪からピンと出てる長いエルフ耳。そんな彼女の手にはいつの間にか黒い槍が握られてる。どこかで見た槍。あ、そうだ。コロナさんの槍だ。
前にパメラと戦ってるときに――え、コロナさんの槍?
なんで、この人が持――
「――あっ!?」
突き出された槍の先端が確実に女王様を射貫こうとしてた。
いくらなんでも疾すぎる。
壁で防ぐ間も、何かをクリエイトする間もない。
咄嗟にできたことといえば、女王様に身体をぶつけることぐらいだった。
次の瞬間、胸の真ん中辺りで感じたことのない衝撃が、私を貫く。
痛い。
……え、痛い?
突き刺さった槍の先端が、そのまま私を持ち上げて宙に浮かす。
床が消えた直後、すぐにまた衝撃があって視界が歪んだ。
硬い何かに思いっ切り叩きつけられる感覚。
ゴロゴロと転がっていく身体。
少し遅れて生温い液体が全身を覆っていく。
目の前が、赤い。
赤い、赤い、赤い。
赤い、水溜まりが、あったかい……。
「――エミ――逃――て――!!」
全身の感覚があっという間に途切れ途切れになって、ついに意識まで遠退きはじめていく。そんな中、今朝方ダンジョンで別れたサリエルの忠告が、今さらながら私の脳裏を過った。
くれぐれも大ケガとかには気をつけてね――
槍で胸を一突き。
なるほど。
たしかに、大ケガだね。
(あ、ヤバい……)
目の前がもう真っ黒だ。
私の意識は完全に闇へと落ちかけていた。











