幕間 ~使者と手紙~
「ミリーナお姉様、そろそろ一休みと致しませんか」
「そうですね。急務とはいえ本日すべてを決める必要もないでしょうし」
朝方から執務室で会談を続けていたメアリは、一通り進攻作戦の話し合いも進んだところで女王であるミリーナを昼食に誘った。
王都からの道中より一時も離れず付き従っていたコロナはミリーナの強い下命もあり、すでに用意された別室で休んでいる。内容が内容だけに会談は女王と公爵の二人きりで続けられ、昼食もバートペシュ家専用のダイニングルームで軽食が用意された。準備した給仕たちにも退室が命じられたため、ここでもメアリとミリーナの二人だけの時間は続いた。
「普段の私の食生活もあり、このような軽食しか用意できず申しわけなく思います」
「いいのよ、メアリ。貴女が肉食を好まないのはよく知っていますから」
パンと卵とサラダ。
公爵家の食卓としては非常に質素な食事を済ませた二人は、ティーカップに注がれた冷めた紅茶を口にしつつ、やがて本日の会談の結論を導く総論に入った。
「戦費に関してはすべて国家が負担します。金策については幾つか方法がありますし、よほどの長期戦にならない限り財政面の問題はないわ」
「では、さっそく本日よりバートペシュ領内で挙兵の準備を進めましょう。さらに上陸先の小国家群でも傭兵を募れば盤石の備えとなり、もうそれだけで北方の平定は確実です。ミリーナお姉様、あとの準備はすべて私にお任せください!」
「ありがとう、メアリ……。私の傍には偉大な父と叔父、愛した夫、そして一番の目標であった姉すらもすでにいなくなってしまいました。本当に今、貴女がいてくれて私がどれだけ救われていることか」
「そんな、ミリーナお姉様……私程度の者に、その方々の代わりは決して務まりません。何よりこの場にエリザお姉様がいてくだされば……すべては輝ける栄光の中、誰も彼もが安息の時を謳歌していたはず……。もし私がその資質の何百分の一ですら持ち合わせていたのならば、ミリーナお姉様が動乱の世に苦悩し悲しむこともなかったと断言できましょう」
「メアリ、貴女はまだ……」
ミリーナの姉であり、本来であれば女王になっていたはずの第一王女。
ミレニアム・ルジュ・ド・エリザ――その話題に触れた途端、メアリは肩を落とし隠すことなく落胆を露わにした。
多くの身内が短い期間において病や事故、失踪で消えた。
近年起こった王族に纏わる不可解な出来事。その真相はエミカ・キングモールという一人の少女の活躍によってすでに多くは暴かれている。エミカと同様に真相を共有するミリーナの心境はひどく複雑だった。
「いえ、そうでしたね。貴女は姉さんとも親しい仲でした」
「あの方は――エリザお姉様は今でも私の〝光〟そのものです! なのに、それなのに……誰にも告げず、どうして失踪してしまったのか……」
「メアリ……本来であればこんなこと、言うべきではないのでしょう。しかし、妹も同然の貴女だからこそあえて言います。いずれ時が来れば貴女にも打ち明けなければならない時が来ることでしょう。どうか、それまで待っていてください」
「……え? そ、それって! まさかエリザお姉様の行方がわかったのですかっ!?」
メアリはそこで勢いよく席を立つと、両手でテーブルを叩いて身を乗り出してきた。想定していた以上の反応と剣幕に、ミリーナはたじろぎつつ急いで彼女の早合点を否定した。
「落ち着いて、メアリ。決してそういうわけではないの。それでも、姉さんの軌跡に関わる重要な情報があります。北方の争乱が解決し、次の時代の選定を考える時期がくればバートペシュ家の長である貴女には必ずその事実を知らせることになるでしょう」
「き、軌跡……それは、エリザお姉様の存命を確信し得る情報なのですか!?」
「現時点では詳しくは話せません。忠誠に不義理で返す私をどうか許してください」
「しかしミリーナお姉様! エリザお姉様さえ戻ってきてくだされば、この王国並びに世界はきっ――!!」
――コン、コンコン。
メアリが声を荒らげる中、そこで不意に通路に面する扉からノックの音が響いた。
よりにもよってこんな時に。水を差されて不愉快そうに眉根を寄せるメアリであったが、評判名高い領主たる所以はその切り替えの早さにあった。
「どうぞ、入ってください」
一瞬で怒りを抑制し、普段の落ち着きを取り戻した彼女はゆっくりと席に座り直して入室の許可を出した。
「お食事中、大変失礼いたします」
「何かあったのですか」
貴族服を纏った参謀の一人はダイニングルームに入ってくるなり主の耳元で用件を伝えた。
「アリスバレーという地より使者の方がお越しになられております」
「使者? 本日そのような約束はありませんが」
「はい。何やら急遽のことで。身元は証明できておりますが、いかがなさいましょう?」
「………………」
真向かいのミリーナを一瞥し、メアリはしばし考えたあとその使者と会うことを決めた。
去年の末に顔を合わせた件の地の有力者に少し思うところがあったのも理由の一つだが、何よりもミリーナはいずれ時が来ればと言った。このまま先ほどの話を続けても、ひた隠しにしている情報は匂わすだけ匂わした上で女王がその核心を語ることは決してないだろう。
幼少期から神も同然に信奉しているエリザの情報は何よりも得難いものであったが、ミリーナが今はその時ではないというのであれば、この場は一領主の身として引く以外にない。しつこく迫り執着の強い人間だと今後の印象と評価を下げないためにも、ここは一度別の仕事を挟み心を落ち着かせ頭を切り替えるのが得策だろう。
如何な綻びも油断はできない。たとえ僅かであろうと自分のような人間は怪しまれてはならないのだ。
二十四年間の人生において己を律し〝立場〟を演じ続けてきたメアリにとって、それはすでに自らを自らたらしめる行動原理となっていた。
「ミリーナお姉様、このような時に申しわけないのですが」
「どうか気にせずに。貴女の予定を考えず押しかけたのは私のほうなのですから」
ミリーナに断りを入れて席を立つと、メアリは参謀に階下の謁見の間まで使者を通すよう指示した。
最初に対応した橋の詰所の近衛兵の話では、なんと使者は若い少女らしい。
いきなりやってきたという点も踏まえてすでに相当怪しいが、身につけていた腕輪は王室より贈呈された魔道具であり、王国内の限られた特権者しか所有を許されていない。使者が偽物であることを疑う余地はなかった。
「お、おおお初にお目ぬかかります!」
「………………」
しかし謁見の間にやってきた少女を一目見て、メアリは腕輪の偽造を疑わざるを得なかった。
(これが使者? 本当にただの子供にしか見えない)
鮮血を連想させる赤髪の少女はひどく緊張しており、しどろもどろになりながら説明にならない説明をして何やら汚い革袋の中身を漁っていた。
「あ、あったあった! 領主様、まずはこれを読んでいただきたく!」
やがて、彼女が長い土竜のような爪先で掴み上げたのは一通の手紙。
近くに立っていた近衛兵の一人が受け取り、数段ある階段を上って領主の座に腰かけるメアリに渡す。
海にでも革袋を落としたのか。手紙はしっとりと湿っていた。
そして、封筒を開いて中身を確認した直後のこと。メアリはその場で近衛兵に対し、直ちに使者の少女を捕縛するように命じた。
「その者を牢に厳重に閉じ込めておきなさい」
「えへへ、ウチの会長とお知り合いと聞き――え、えっ? へ? あ、あのぉ……?」
困惑したまま何が何やらわからないといった感じで両脇を抱えられ、使者の少女は謁見の間を連れ出されていく。
「貴方たちも下がりなさい」
「「はっ!」」
自分の両脇に残っていた近衛兵たちも退室させたあと、メアリは再び手元の文字に目を落とした。手紙には短く、ただ一文――
――お前の〝秘密〟を知っている。
「アリスバレー。たしか……そう、イドモ・アラクネ。一体なんのつもりでこんなこと。はぁ、どちらにしろ面倒な相手に目をつけられちゃったかな……」
去年の末、地方領主と地域の有力者たちが王都で一堂に会した。その際、僅かながら顔を合わせた程度にもかかわらず、その女の印象は強烈だった。
どこか人間離れした雰囲気。
銀色に輝く美しい髪と捕食者を連想させる相貌に、しばしのあいだ目を奪われたのをよく覚えている。約束のない使者と会うことを選んだ理由の一つは、その時の鮮烈な印象が尾を引いていたからに他ならない。
イドモ・アラクネの手紙を額面通り脅迫と受け取るか、それとも裏を返しての〝誘い〟と受け取るか。それによってあの少女が使者として遣わされた意味も大きく変わってくるだろう。
古来においては神に捧げられた人の生贄も使者と呼ぶ。
神の御許に送られる使者である。
純真無垢な少女の生贄。
その艶やかな肌に無数に浮かぶ繊細な青い筋を想像したところで、メアリは不意に強い喉の渇きを覚えた。それは異質な衝動であり、普通の方法で喉を潤すだけでは決して解消し得ない彼女特有の本能でもあった。
「……ああ、だめ。いけない、私ってば……よりにもよって、こんな時に……」
頭を埋め尽くすは先ほどの少女と、その真っ赤な髪である。
黒い妄想がさらに鎌首を擡げていく中、メアリは高まる胸の鼓動をなんとか落ち着かせようと抗う。
心地良い痺れの中、甘い吐息を一つ吐き出したメアリは両手で自身の頬に触れ、その昂りが静まるのを耐え忍んだ。そうやって短い謁見の何十倍もの長い時間、彼女は座したまましばらく悶えるようにただ身を震わせていた。
「はぁ、はぁ……本当にだめ。ミリーナお姉様も来てるの。今は、絶対に我慢しなくちゃ……」
しかし、やがて耐え難い衝動を制すと、メアリは謁見の間を出るため立ち上がった。
脅迫にしろ誘いにしろ、一地域の有力者が何を企んでいようと知ったことか。たとえ手紙が差す秘密が自身の本当の秘密であったとしても、その〝行為〟は誰にも漏れぬよう徹底に徹底を重ねた上で行なっている。
証拠が白昼の下に晒されることなどありはしないのだ。それなのに誰が自分の脅威となるだろう。なんのつもりか知らないが本当に無駄な揺さ振りである。
メアリがそう考え、謁見の間の扉に手をかけた瞬間だった。
――ドドド。
それはなんの前触れもなく唐突にやってきた。
「これは……?」
一番最初に感じた異変は僅かな震動。その直後、耳を劈くほどの轟音がバートペシュ城全体に響き渡った。











