212.もぐらっ娘、凹む。
コツメとチサを無事に送り届けて、あれから十日ほどが経った。
そのあいだホマイゴスの代表団からアリスバレー側に連絡はこまめにきてるって話で、調印式の際に交わされた条約の履行、その準備も着々と進みつつあるみたい。
あとのことは全部お偉いさんたちに任せてるので、その辺のとこ私は完全にノータッチだけど、手を尽くしておもてなしをした甲斐があったってもんで、ほんと何より。
このままトラブルなく、万事がすべて上手くいってくれるといいな。
そんな感じで私はただ女神のように祈るばかり。
悪く言い換えれば、他力本願であとは野となれ山となれ。
ってなわけで、友好都市契約の件でゴタゴタとした日々も今は過去のもの。今日までそのあいだ私は祈る以外に何をしてたかっていうと、いつもの日常どおりモグラ屋さんの経営のためせっせと汗を流しながら労働に勤しむ平和な毎日を過ごしてた。
ま、今じゃストレージの開け閉めにすらモグレムを活用してることもあって、私が定期的にやらなきゃいけない仕事も大幅減。
ぶっちゃけ日課は、自宅の格納庫をはじめとしたモグレムのベッドとも呼べる安息所から魔力土がなくならないように、その補充を怠らないことぐらいだ。内蔵魔力が尽きたらモグレムは動かなくなっちゃうからね。
てか、それすら命令さえしちゃえばモグレムは自分たちで一から十どころか、零から十までこなしちゃうんだろうけど、そうすると今度は本格的に私の日課がなくなってしまう。完全自立の永久可動とか便利なんて言葉じゃ済まないほどに便利であっても、そこが問題。やっぱ〝働かざるもの食うべからず〟って言葉があるぐらいだし、私もきちんと汗を流さないとね。
それに忠実に働いてくれるモグレムにも誰かが魔力土をあげてあげなきゃだよ。だって、文句も言わず無償で働いたのに、毎日の糧すら自分でなんとかしなさいってのはいくらなんでもひどすぎる。私がモグレムだったら間違いなく即日に暴動を起こすよ。
「今日のモグレムごはんはー、つーちぃ~♪ しんせーん、魔力たっぷりのぉ~、つーちぃ~♪」
――ドシャ、ババババババッ!
と、そんな仕事に対する気構えというか、こだわりを持ちつつ、何もやることがなくなって手が空いたときはオーナーとして積極的にモグラ屋さんに顔を出すようにもしてた。
そんなある日のこと。
朝一で魔力土の補填作業を終えた私は家の隠し通路からモグラ屋さんに移動後、そのまま農産売り場のある一階に向かってた。
「――またきやがったな、この芋泥棒!!」
ちょうど階段を上り切った直後のことだった。そこで怒号が響いた。
「ジャスパー! 外に逃げましたよ!」
「クソ、もう容赦しねぇーぞ!!」
これは只事じゃないね。
そう思い入口に走ると、お店の前の通りでジャスパーとヘンリー、それと数体のモグレムが一人の男の子を取り囲んでた。
そして周囲の地面には、なぜかたくさんのジャガイモが点々と……。
ふむふむ、なるほど。
さっき芋泥棒とか叫んでたし、どうやら状況を見るに捕り物劇の真っ最中みたいだね。
「この手癖の悪ぃガキめ! 今日という今日は覚悟しやがれ!!」
ジャスパーはさらに怒号を飛ばすと、男の子の胸ぐらをつかんだ手をガンガンに揺すりはじめる。
「………………」
「なんとか言いやがれ!」
それでも、相手が怯む様子はなかった。ふん、というふてぶてしい態度で顔を背けては完全に無視を決めこむ。
その男の子の反応に、ジャスパーはさらに怒気で顔を赤くした。
「おい、コラてめぇ! 聞いてんのか!?」
あ、これはいかんね。ジャスパーってば、あんな小さな子供相手に本気だよ。
てか、通りがかった人たちも店内のお客さんたちも何事かと驚いて、すごい注目を集めちゃってるし、これはオーナーとしても止めないとだった。
「はいはい、そこまで!」
その場に駆け寄ると、ジャスパーを宥めてとりあえず男の子の胸ぐらをつかむのをまずはやめさせた。
「まーまー、何があったのかは状況を見れば一目瞭然だけどさ……、ちょっとやりすぎだよ、ジャスパー」
「止めんなよ、エミカ! こいつは常習犯なんだぞ!」
「常習犯?」
「これで五度目の失敗ですかね。エミカの警備ゴーレムが優秀なんで被害は免れてますが」
「ありゃ、そんなに……」
話を聞くと出入禁止にはしてるらしい。それでも、懲りずに人気の少ない時間を狙っては何度も店内に侵入しに来るんだとか。
てか、そこまで続けて失敗してるのによくあきらめないね。それとも何かウチを狙う深い理由があるのかな? あ、まさか、恨みを持っての嫌がらせ……?
かなり痩せ細ってるぶんより幼く見えるけど、盗みを働いた男の子は大体ソフィアと同い年か、それよりちょっと下ぐらい。
いや、さすがの私もこんな小さな男の子に恨まれる覚えはないよ。
それでも、思わず嫌な想像が頭の中をよぎってしまうのは何か自分自身、無意識に思うところがあるのか。
「……ん?」
ほんとに思い当たる節がないか考えはじめたところだった。
ふと視線を感じて顔を向けると、向かいの建物の路地でこっちの様子を心配そうに見てるリリぐらいの年齢の女の子と目が合った。
女の子は男の子と同じく汚れた服を着てて、どこか顔立ちも似てる。
あー、なんだ。
やっぱ恨みの線はないね。
二人が兄妹だと直感した私は、腑に落ちた。
「他のお客さんにも迷惑だし、もういいよ」
「はぁ!? おい、エミカ! 何がもうい――」
「はい、これあげるから今日は帰って。だけど、もう二度と盗みなんてしちゃダメだよ」
「……っ!」
「あ――」
――バッ!
タイル張りの地面に転がってたジャガイモを私が何個か拾って手渡すと、男の子はその瞬間、脱兎のごとく逃げ出した。
「走れ!」
「う、うん!」
路地に隠れてた女の子もその兄の背を追って駆けていく。すぐに二人は人混みに消えると、あっという間に見えなくなった。
「なんでとっちめないんだよ! しかも脅しすらしないとか、お前らしくもないぞ!?」
「えぇー……」
いや、脅しすらしないって、私って普段どう思われてるの? てか、モグラの爪のおかげで腕力が高いだけであって、そんな攻撃的な人間じゃないし。
「罪を許す許さないは店長であるエミカの判断として尊重しますが、ただ、商品を無償で与えてしまったのは余計でしたね。あの兄妹、たぶん味を占めてまたきますよ?」
「うーん……」
あの場は、ああするしかないって判断だったけど、ジャスパーだけじゃなくヘンリーにまで苦言を呈されてしまった。
ま、たしかにこっちは商売でやってんだから盗みなんてご法度もご法度も。
二人の言うことは尤もだ。
「てか、あの子たち見ない顏だったよね? 二人ともどこの子か知ってる?」
「「………………」」
「え? なんでいきなり黙るの?」
「いや、それはな……」
「知らないといえば知りません。ま、そう言うしかないかなって感じですかね」
「へ? どういうこと?」
ジャスパーとヘンリーが知らないってなら教会の子じゃないのは当然として、ならほんと、どこの子なの……?
何やら言葉に詰まってる二人の様子。それも気になって私がしつこく聞くと、やがて二人は渋々といった様子で答えてくれた。
「先に言っておくけどよ、これはお前が気に病む話じゃないからな」
「そうですね。けっしてエミカが悔やむような話じゃありません」
「え? 何、その不穏な前置き……」
そこから二人が語ってくれた内容を簡潔にまとめると、急激な発展により莫大な恩恵を受ける人間もいれば、その反面、自然と割を食う人間も出てくるっていう話だった。
それは、私がこれまでモグラ屋さんを――経営を大きくするためにやってきた様々なこと。
あるいは、ただ単に良かれと思ってやってきたことも含まれる。
たくさんの野菜や果物が栽培できる農場の設置。
ワイナリーの共同経営。
武器や防具の製造と販売。
小物や家具の製造と販売。
広大な植林場と様々な工房の運営。
モグラーネ村の誕生。
極めつけは、紙や砂糖や塩を大量生産できる工場の建設。
即ち、私がモグラの爪の力であらゆる業種に手を伸ばして利益を伸ばす過程のあいだ、以前からそれらを生業にしてきた人たちの中には必然的に競争に敗れて、商いを廃業に追いこまれてしまった人たちも大勢いるって話。
ただ、それもアリスバレー近郊に限った話なら影響を及ぼす範囲は限定的。問題は問題であっても、破滅を及ぼすような大問題には至らない。
そう、普通なら。
普通なら、そこまでの話。
「それでも、ここには王都・ローディス間を気軽に往来できる便利な〝モグラの抜け道〟がありますからね。最近では王都周辺に点在する小さな街や村々からも、アリスバレーに職を求めて大勢の人たちが流入してきている状況です」
「ま、つまりだ。あの兄妹がどういう経緯でこっちにきたかは実際のとこ定かじゃねぇがよ、当たらずとも遠からず、そんな理由で仕事を失った親連中の子供がさっきの兄妹の素性なんじゃねーのっていう推測だ。あんまし考えたくない結論だけどな」
「………………」
「最初から僕らみたいな孤児だって可能性もありますしね」
「ま、その可能性を考えるなら普通に親に捨てられた線もあるよな」
「………………」
しなくてもいい前置きをするからには、やっぱそれなりの理由があった。
だって、責任はどうあれだよ。
それについて〝原因〟は私でしかない。
これまで価格破壊を起こすような商品の値下げはしちゃダメだって、スーザフさんからも何度か忠告されたけど、まさか、そんな悪い影響が遠い場所の街や村々にまで及んでるとは考えてすらいなかった。
別に、アリスバレーにきて仕事が見つかって、新天地で家族みんなしあわせに暮らしてるならそれはそれでいいと思う。
でも、さっきの兄妹の様子を見る限り、そんな状況なはずがない。むしろ事態は深刻で、かなり逼迫してる。
あの子たちを貧しい生活に追いやったのは、盗みを働かなきゃならないまでに追い詰めたのは、私の因果が引き起こしたという可能性。
ジャスパーは「当たらずとも遠からず」と言った。
あらゆる可能性があったとしても、その可能性は最も高いと私だって思うし、思ってしまう……。
「………………」
「すっかり黙りこんじゃいましたね」
「ちっ、そうやって無駄に落ちこむだろうから話したくなかったんだ」
「………………」
「エミカって普段は悪人然としてるくせに、変なところでお人好しなんですよね」
「こいつの場合、ただ気が小さいだけだろ」
「っ……」
ぐぬっ。
人が深刻に受け止めていろいろ考えてるときに、まったく好き勝手言ってくれる旧友たちだった。
てか、私のこと思って今まで黙ってくれてたのはわかるけど、これは気づかなければ気づかなくていいって話じゃない。
どうして私は今日までそこまでの事態になってることに気づけなかったのか。この街で恵まれない子供が増えてるなら、それに気づく予兆だってもっと前から――
「――あっ」
ふと、そこでこの前の経営大会議のことを思い出した。
議事録を見れば一字一句、そのときのことを記録として読み返すこともできる。ただ、今は手元にないから正確な言葉までは思い出せないけど、ジャスパーたちはたしかにとある問題を提起してた。
「もしかして、教会の経営が傾くほどまた子供をたくさん受け入れたっていうのも……?」
「まぁな」
「ご名答です」
「新しくやってきたガキどもからこっちにきた事情を訊いたんだよ」
「さっきの兄妹の素性がそうなんじゃないかって推測も、それあってのことです」
なるほど。
つまり、あの経営大会議では私が度量の大きいとこを見せる感じでいろいろ話を引き受けたけど、実際は全部、私が起因だったわけか。
なんという自作自演。いや、自作してることにも自演してることにも気づいてないなんて、もっと質が悪いよ。
どうしよう。
ますます心がベッコリと凹んできた……。
「教会のことは教会の問題。仕事にあぶれて飯にありつけないのも、そいつら自身の問題だ。だから、マジでお前が気にする必要なんてねぇんだよ」
「ジャスパーの言うとおりです。所詮、この世は弱肉強食。そういうわけで我々はそろそろ仕事に戻りましょうか」
「だな」
「うん……」
最終的に二人に励まされたのはありがたかった。
だけど、私のこれまでの行動が少なくない影響を及ぼして、不幸な子供たちを生み出してしまっているという事実。
それは、あまりにも重かった。











