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206.もぐらっ娘、シホルのお願いを聞く。


「はぁ~……、おなかいっぱいでー、しあわせでー、うにゃ~……」

「おい、チサが限界みてぇだぞ」

「長旅で疲れちゃったんだろうね。それでなくても子供はもうお眠の時間かな」

「んじゃ、私たちはそろそろお暇しよっか」


 まだ小さいチサのことも考えて、私たちは一足お先にレストランを出ることになった。


「ついでにルシエラも今夜どう? ウチに泊まってかない?」

「感謝。だが、辞退」


 妹のトリエラが喜ぶだろうしルシエラも誘ったけど、ルシエラパパと話があるからと断られてしまった。どうやら父と娘、積もる話はなくとも他にいろいろあるみたい。

 私が居ようが居まいが問題はないだろうけど、ルシエラパパとロートシルトさんにだけは一応先に帰宅する旨は伝えておいた。

 明日、ホマイゴス代表団が帰路に就く際には地下道まで立ち会う予定だけど、それまで特にやることもない。なので、私の役目はこれでもうほとんど終わったようなもんだった。


「あ、シホルたちにも言っとかないと」


 あと先に帰るって伝えるついでに、あれだけ美味しい料理を作ってくれたんだから労いの言葉の一つぐらいはかけておきたかった。


「おーい、シホルー♪」


 折れ曲がった廊下を抜けて、厨房に入ったところで妹の名前を呼ぶ。

 その直後だった。驚愕するとともに、私の喉元からはひしゃげた悲鳴が飛び出した。


「――ヒげっ!?」


 一瞬、まったく別の場所にきてしまったのだと思った。

 だけど、間違いなくそこは私が設計したレストランの厨房。

 完成時と違う点は、そこがもう普通の状態ではなくなってたこと。まるで、ダンジョンの激戦域のごとくだった。

 白いコックコートをまとった十名弱の料理人たち。その全員が全員、ピカピカの床の上で倒れてる。仰向けで完全に気絶してる人もいれば、食器棚にもたれかかったまま何事か呻いてる人もいて、そこは恐怖と混沌で満ちた死屍累々の厨房と成り果ててた。


「これは……な、何が……あっ!」


 理解が追いつかず混乱の最中ではあったけど、私は見知った顔を見つけて慌てて駆け出した。


「ピュアーノさん! オルルガさん! 二人とも誰にやられたの!?」

「ううっ……」

「っ……」


 我が家の働き者のメイドさん二名もそこで倒れてた。急いで膝をついて耳元で声をかけてみたけど、憔悴し切った表情の二人からは事情を聞くことはできなかった。

 見た感じ外傷はないし、命に別状はなさそうで幸いだったけど、彼女たちには喋る余力すら残されてないみたいだった。


「一体、ここで何が……」

「エミ姉」

「――っ!?」


 声と同時に、その気配にも気づく。振り向くと、ひどく青ざめた顔のシホルがジッとこちらを見下ろしてた。

 その妹の両手には、長物のケーキナイフと分厚く大きな肉切り包丁。


「………………」

「………………」


 額から一筋の汗が伝って顎先に落ちていく、その一拍の静寂のあとだった。天井の照明の光を反射させて、二振りの刃がキラリと輝く。

 瞬間、恐怖のあまり私の喉元からは完全に情けない悲鳴が漏れた。



「ぴょえ”え”えええええぇぇっーー!!」





















「――もう本当に大変だったんだよ」

「はへー。私たちが舌鼓を鳴らしてる中、厨房ではそんな修羅場が……」


 現場がこんな様相なのもあって発狂しかけたけど、全力で叫んだあと少しして私は冷静さを取り戻した。

 てか、考えるまでもないことだよね。シホルが他のコックさんたちに危害を加えるなんてあり得ない。ま、一瞬マジで気絶しかけた私が言っても説得力はないだろうけど……。


『エミ姉、なんでそんなびっくりしてるの? 私だよ』

『シ、シホル……? あ、いや! ただ、この状況に驚いてさ! てか、みんな倒れちゃってるけど、何があったの……?』


 私が悲鳴を上げた直後、すぐに心配するように顔を覗きこんできたシホル。その手を借りて立ち上がったところでこの惨状の理由を聞くと、妹は絶え間なくトラブル続きだった本日の顛末を語ってくれた。


『コック長さんが急病で倒れたり、頼んでた食材が届いてなかったり、渡されてたレシピの味付けや分量が間違ってたり、伝達ミスでお客さんの人数が過少報告されてたり、よりにもよって一番高いワインが入ってた木箱が崩れたり……細かいことを含めたらもっともっとあって、もう本当に大変だったんだよ』


 そんな数々のトラブルの中で急遽、料理(クッキング)のスキルが一番高いシホルがコック長代理を務めることになったりもして、ここで力尽きてる(実際は休憩してるだけらしい)みんなと力を合わせてなんとか苦難を乗り切ったんだそうな。

 戦場の跡地と化したこの厨房を見れば、シホルたちがどれだけおもてなしのためがんばって料理を作ってくれたのかは一目瞭然だった。

 ほんと、ホールではそんな苦しみ微塵も感じられなかったのにね。


「よくがんばったね、シホル! さすがは我が妹だよ、えらいえらいっ!」

「エミ姉……コック帽をぐちゃぐちゃにしないで……。というか私は大して力になってないよ。厨房を切り盛りできたのは、ここにいるみんながいてくれたおかげだし」


 それでも、この歳で大人にまじって、しかも中心となってがんばったことに変わりはない。そもそもこんな事態になったのは私が撒いた種みたいなとこもある。これは姉として、なんとしてもがんばった妹にご褒美をあげてあげなきゃだった。


「シホル、何か欲しい物はない? 今ならお姉ちゃんなんでも買ってあげるよ!」

「いつも言ってるけど散財はダメだよ、エミ姉」

「がんばった妹へのご褒美は散財なんかじゃないよ。ほらほら、なんかないの?」

「んー……。それなら、欲しい物はないけど、お願いが一つ……」

「お願い? いいよいいよ。なんでも聞いてあげるから言ってごらん」

「……私ね、レストランがオープンしたらまたここで働きたい」

「へ? それがお願い……? そんなことでいいの?」

「うん」


 レストランの開店日は決まってないけど、モグラホテルと同様に従業員の頭数さえそろえばいつでもオープンできる状況だ。未来としてそう遠くはないはず。

 それに専門技術を持った従業員は貴重だし、正直そうしてくれるならオーナーである私も助かってしまう。

 唯一の問題があるとすれば我が家の毎日のごはんだけど、それはメイドさんたちがいるしなんとでもなる。ま、明日からって話でもなくまだ少し先の話だし、その辺の調整は急ぐ必要もないよね。


「オッケー、もちろんいいよ! 正式にシホルをコック長として任命するね!」

「エミ姉、そこはお願いだから下働きからにして……」


 フッフッフ、それでは二つお願いを聞くことになってしまうので聞けない相談だ。

 なんて意地悪なことを言ったらお姉ちゃんとして嫌われてしまいそうなので、そこは思うだけで口にしないでおいた。


「ところでエミ姉、今さらだけどどうして厨房に? まさか、お客さんから何か苦情とか……?」

「ううん。それこそまさかだよ。代表団の人たち全員大満足してたよ。ここにきた理由はみんなを労いたかったのと、先にお客さんと一緒に帰らないといけなくなったからシホルには伝えておこうと思って。ほら、こないだ話したホマイゴスの冒険者の人たち」

「あー、今日ウチに泊まる人たちね」

「てか、仕事が終わったんならシホルも一緒に帰る? 待ってるけど」

「ううん。状況が状況だし、それに洗い物とか後片づけもまだ残ってるから」

「そっかそっか、了解。んじゃ、一応モグレムは残してくけど、仕事終わったらメイドさんたちと気をつけて帰ってくるんだよ」

「わかった。もう真っ暗だし、エミ姉たちも気をつけてね」


 こっちの用事も済んで、私はシホルと別れて厨房を出た。折れ曲がった廊下を進む途中、背後からは「さあ、休憩は終わりですよ。皆さん、あと少しがんばりましょう」と、穏やかに発破をかける妹の声が響いてた。

 いやー、我が妹ながらたくましく育ってくれたもんだよ。

 そんな感慨に浸りながら、そのまま私は魂の家(アニマ・ファミーリャ)メンバー全員を引き連れてレストランを出た。


【ご報告】

 内容が長くなったので半分に切って投稿したのもあって、次話はいつもより早めに投稿できそうです。


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 すでに買っていただけた方も、この機会にレジェンドノベルス様の他作品にご興味を持っていただければ幸いでございます<(_ _)>


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表紙絵
― 新着の感想 ―
[一言] 一番小さくて体力もないだろうに、一人だけ受け答えできる余力を残しているシホルは規格外なんでしょうね。 方向は違えど姉妹全員常軌を逸している。
感想一覧
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