夜のお客様
大公邸の夜は静かだけれど、働く人の数は昼と同じほど存在する。警備事情などを考えると、夜のほうが多いかもしれない。
都市を守る結界魔術具を安置したこの部屋も、そうだ。魔術具の保安員は、終日交代制。かならず一人は、室内にいる。
今日この時間帯に配置されていたのは、たまたま、昼間と同じ彼だった。責任者だから積極的に入っているというのもあるし、エルフだから人間ほど眠りを必要としないのだ。体に占める魔素率のおかげ。
変わらず実直に仕事をこなしている彼――ケイルは、開いた扉を見て破顔した。
夜にも目立つりんご色の小さな友人が、にこやかに手を振っている。ここは屋内で灯りもあるし昼間と環境は変わらないのだけれど、気分的な問題だ。
「こんばんは。ファニーラさん再びですか」
「こんばんは! 装填第二弾に来たよ!」
「熱心ですね。ありがたいですけど、回復間に合わなくなるのでは?」
「それが狙い。むしろ空っぽにしたいの。ここが一番手っ取り早いからね」
「なるほど?」
気さくに数言交わしたあとでふと見れば、ファニーラの後ろには、昼間になかった人影がふたつ。なかなか華やかな色合いの髪と瞳を持つ青年と、彼よりは小柄な、いかにも怪しいフードの人物。見た目怪しいのは後者だが、青年のほうも魔術具で見た目をごまかしている。あと、何か問いたげな視線をファニーラとケイルへ往復させているあたり、微妙に挙動不審。
とりあえず、ファニーラが連れてくるくらいだから危険性はないだろうとケイルは判断した。こんばんは、はじめまして、と挨拶を交わして名乗り合う。
「ここの責任者をしています。ケイルです」
「ルートです。ファニーラさんについて勉強しています」
「ルート様の護衛です」
フードの言葉のあとに続けてファニーラが言った。
「ルーさんは、ちょっと名の知れた商会のお坊ちゃんです。だから、身の安全ってことでその人がついてきてるんだよ」
たぶん、名乗りもしなかった護衛のフォローだろう。
お坊ちゃん、のところでルートがちょっと唇を尖らせたのは、見なかったことにしたほうがよさそうである。雰囲気も振る舞いも、大切に育てられたのだろうと分かるから、ファニーラの表現は間違ってはいないのだが。
それはそれとして、と、ケイルが制御盤をファニーラに譲れば、彼女は昼と同じように慣れた仕草で魔力装填を開始した。
カラッケツにしたいのだと宣言したとおり、ギリギリのギリまで突っ込んでいくつもりのようだ。装填先の余裕が分かっているためか遠慮なく流し込んでいるようで、昼間以上の装填速度には瞠目するしかない。ケイル自身は業務上そこまで捻出することができないし(万一の際にはやるが)、ファニーラほど飛び抜けた魔力量の持ち主もそうそういないし、ということもあって、この小気味いい光景を見られるのはけっこう楽しみだったりする。
するが、昼の三割からさらに二割、計五割が埋まろうかというあたりで、ケイルはファニーラに近づいた。そろそろ止めましょう、と、自分よりずっとちっこい手を持ち上げる。もちろん、装填装置を正規の手順できちんと停止させてから。
ぷっくり浮かんだ赤い針痕をぬぐって、軽い治癒を施しておく。やろうと思えば完治までさせられるが、自己回復力を甘やかすので過保護は禁止。
うん、ちょっと背中に感じる視線が痛い。
視線の主を振り返らないまま面白がるケイルの懐では、彼の身にすっぽり隠されたファニーラが、不満そうな顔をしていた。
「ええ、もうちょっと……」
「動けなくなっても知りませんよ」
「イケると思うんだけど」
抗議を示すように預けてくる体重なんて、軽いものだ。言葉遊びをしながら、ケイルは名残を惜しむようにちいさな末っ子を抱きしめたあと、くるりとふたりぶんの体を反転させる。
「はい、お帰りはあちら。ご協力ありがとうございます」
優しく背中を押し出してやれば、じゃれあいは終わり。ファニーラも素直に「どういたしまして!」とケイルを見上げて笑ってから、待機しているふたりのところへ戻っていった。
「おまたせしました! 準備完了ですよ!」
「おつかれさまです」
陽気なファニーラの言葉に、まず護衛がうなずいて。
「おかえりなさい。無理してませんか? 本当に動けなくなるようなことまで」
「してませんしてません」
元気に歩く姿を見ながら、それでも心配を隠せず身をかがめていつでも抱きとめられますといわんばかりの体勢で迎え入れるルートを、ファニーラがけらけら笑って受け流す。
しないように止めたので本当に大丈夫ですよー、と、ケイルもその場から援護射撃を入れておいた。準備ってなんのだろう、とは、こっそり、心の中でだけ。




