レイちゃんのお兄ちゃんとこのおじいちゃん
ちょっぴりやけくそな雰囲気ながらも店の食事に舌鼓を打ったレイルバートは、一旦城へと戻ることになった。ウェズの暴走を知って取るものもとりあえず飛び出してきたので、手ぶらだったのだ。すぐに戻りますと言ってはいたが、王城までの往復が短時間で済むとも思えない。
ウェズも当然、王子の身を守るためについていった。そんなふたりをごゆっくりどうぞと見送ったファニーラは、それまで食事をしていた店から、オープンテラスのある軽食専門の店に移動する。ここでなら、相当人があふれないかぎり、適度にオーダーをつづけて居座ることが許される。
腰を落ち着けたところで、ファニーラは、合流までの時間つぶしを模索する。
これから向かう土地の最新情報を確認しておこうか。そう思い立って、自分の身分証を取り出した。レイルバートに渡すものはきちんと届いて受け取ったので、今は別にしまってある。
見習いの彼のものとは違うファニーラの身分証は、各地をめぐるギルド仲間が登録したそこかしこの情報を表示することができるのだ。前世風に言うと、サーバーがあって、そこに登録したメンバーだけがデータを送受信して共有できる仕組みである。
ただ、データを送るのにちょっとロスがあるのが難点だった。
この世界、ファニーラの前世では何の気無しに使えたリアルタイムな遠隔通話手段がないのである。電波飛んでないから。がんばれば魔術具で作れそうなものだが、これがなかなか難しい。ファニーラも魔術具開発仲間も、幾度となく挑戦しては敗北している。
たとえば携帯電話を作るとして。
番号を振った特定の個人用端末だけなら、問題ない。
音声や映像を0と1に分解割り当てする構築式。めんどうくさいが見込みはないわけでもない。
しかし、最大の難関として――電波の代用になりそうな魔素に、その機能を付加できないのだった。ついでに中継基地とかも設立するとしたら国家プロジェクトが必要だ。それは魔素問題が解決しないかぎり、遡上には上がらないけれど。
(魔素が満ち渡りすぎてて逆に使えないって、笑うしかない)
――かつてファニーラがいた世界。あそこの科学がもっともっと進んだら、酸素に電波の仕事をさせることができるようになっただろうか。魔素そのものを通信に使うというのは、そんな夢物語に近いのだ。
魔素はあまりに大気に溶け込みすぎて、あまりに日常的に傍にあって、あまりにも生物に馴染みすぎていた。
こうしてファニーラが心中につぶやく間にも、皮膚だの呼吸だのから魔素は彼女に取り込まれ、意図して使わなければ魔力への変質もされず排出されている。
そんな状況でどうやってサーバーとクライアント的なシステムが成り立っているのかというと、なんのことはない。各人が魔素製伝書鳩を魔力で編んで超高速でぶっ飛ばしてデータ蓄積サーバー役の巨大魔素結晶に突っ込ませているのである。伝書鳩はあっという間に結晶に同化し、データを送り込むというわけだ。
ギルド員がデータを読み出すにはやはり、空っぽの魔素製伝書鳩をぶっ飛ばしてデータを持ってこさせるという次第。空メールってやつだね。送るだけなら片道で、持ってくるなら往復というわけ。
なお魔素伝書鳩の移動速度は使用者の力量による。ファニーラの場合は魔力を大量にぶちこんで生成することもあって、たぶん光速に近い。慣れてない人は往復待ちでカップラーメンが作れる。この世界にそんなもんはないが。
あと伝書鳩とか言ってるけどほんとうに鳩型してるわけではないし、わざわざ見ようとしないかぎり普通に目視できる実体もない。念の為。余談だが、ファニーラが伝書鳩を作る際のイメージは折り鶴である。魔力から直接は作れない体質なので、そのための魔術具も開発した。
応用として、個人間で送受信宛先を共有していれば、直接連絡をとることもできる。ただ、これにも少々難点があった。たとえば大陸の端と端にいたら鳩を飛ばす魔力がえらいことになるので、現実的ではないのだ。余裕を持って充分な量をとがんばれば術者が疲労して悪くすると一日へたるし、少なければ辿り着けずに鳩が霧散する。切ない。
そうした感じで擬似的な遠隔通信もシステム的に成り立ってはいるが、ぼちぼちと往時の記憶を拾いながら育ったファニーラにとってはささいなロスが気になって、いまいち満足できないのだった。
当面目処が立ちそうにない通信手段へ馳せる思いを、そこでファニーラは打ち切った。
そのうち何か思いついたら、新しく試してみよう。北の帝国では魔術具の発展が目覚ましいと言うし、今回の件が終わったら足を向けてもいいかもしれない。いまのところは行商でもレイルバートの件でも、予定には入っていないから。
気持ちを切り替えて、今度はアイテムボックスに手をつける。たまにつけていることを忘れそうになる腕輪は、今日もファニーラ好みのさわり心地だ。自分で編んだのだから当たり前だけれど。
(ちょっと拡張しておこうか)
魔術具職人が多いドワーフの子供が生まれて最初に作るのは、自分だけのアイテムボックス。魔力を網に織り上げるのと最終的な圧縮は魔術具に頼ったが、求める容量に足りるだけの魔力は、ちゃんとファニーラが自分で生み出した。
子供ながらにその作業にはまり込んだファニーラが編み上げたアイテムボックスの初期総容量は、なんと驚きの大森林相当。故郷が一気飲みできる。
延々と編み続けるファニーラを面白がった両親が、限界を見てみたいと放置したのも原因だと思う。圧縮前、森にのしかかっていたファニーラの魔力網は、それと知らない森の民――エルフやドワーフ、獣人とか――から何の前触れかと騒がれたそうだ。
仕上がってこうして腕輪の形状に落ち着けたあとも、追加で編み込んでいけば容量の拡張や効果の追加は可能だ。彼女のふるさとに所縁を持ち長くその地位にあるエルフの大老から、そういう機能を最初につけてもらった。さすがは魔術の本職というか、想像が創造になるという超便利機能である。もっとも、ファニーラレベルの魔力貯蔵者の使用を前提としているので、他の者では宝の持ち腐れ必須だ。
それを、ファニーラは暇があればちょこちょこと弄っているのだった。そういえば満タンになるまで物を入れたことはないけれど、今呑める最大値が気にならなくもないこのごろだ。
慣れた手付きで腕輪を弄ろうとしていた動作が、ふと止まる。
「もし、お嬢さん」
周囲に軽く敷いていた接近者知覚用の結界を風のようにすり抜けた誰かが、ファニーラの座るテーブルの向かい側の席に着いていた。
相席だろうか。そう思って周囲を見渡すが、空いているテーブルは他にもある。
であれば、呼びかけから考えてもファニーラに用事があるのだろう。……こぢんまりと椅子に腰かけて彼女を見つめるおじいちゃんは、ここしばらくの間に面識を持った相手ではないのだけれど。まるいつるつるの頭と真っ白く太い眉とつぶらな瞳と愛嬌のあるシワとたっぷりした口ひげとゆったりした濃紺の衣服は、とってもかわいらしいのだけれど――
気配を絶って現れた見知らぬ誰かという事実のせいで、ファニーラがおじいちゃんへ向けられるのはお客様向けのスマイルだ。
「……こんにちは、ませ?」
語尾も変な感じになってしまった。
いらっしゃいませのほうがよかっただろうか。でも、お嬢さんなんて言われてしまったし。店長さんとか商人さんなら、迷わなかったのに。
ぎこちなく首をかしげるファニーラを見たおじいちゃんは、いかにも好々爺です、といったふうに笑ってみせた。
「ほほほ、驚かせちゃったの。すまんのう」
「いえ、……えーと、初めてお逢いいたしますよね?」
「そうじゃな。でも儂はお嬢さんを知っておるよ。ファニーラ・ビット殿」
「はい」
初対面は肯定されたが、今度は一方的に知られているという事実が発覚してしまった。おじいちゃんに対する態度をどこに落ち着ければいいのか、ファニーラはまだ分からない。
見知らぬ相手。警戒心は起きない。漂う空気は穏やか。そしてどことなく、――自身にも覚えのある、向けられたまなざしの意味は。
(……そうか)
……品定めをされている。そう悟った。
商売の道に入って長いファニーラは、なじみの相手が多い。あちこちから信用をいただいている。だから、独り立ちしたばかりのころにはよく注がれたこの視線を、どこか遠い位置に片付けてしまっていた。
図に乗っていたつもりはないけれど、どこかで馴れが出ていたのかもしれない。
「……」
どうぞ、と、無言で姿勢を正す。
疚しいことも後ろ暗いことも、商人ファニーラ・ビットにはございません。まあちょっぴりガメたものはありますけど! 本人がいいっつってんだからいいでしょう! ねえ王子様!!
金黒髪の王子様に叫ぶファニーラの心の声は聞こえないだろうが、おじいちゃんはほんの少し目を見開いたあと、ゆっくりとほほえんでうなずいた。
「怪しい者ですまんのう。あいにく名乗れる者ではないんじゃが――レイちゃんのお兄ちゃんのお使いなんじゃ」
「は」
ファニーラの正した姿勢が、あっという間に瓦解した。
レイちゃん。というとあの子かな。ほらあの子。
一年前、王都入りする前に泊まった最後の行商地の宿屋の夫妻の娘さん。レインちゃんって名前だったな。3歳になったばかりのおしゃまさんで、くずもののビーズをつなげるアクセサリー作りを教えてあげたのだった。ちっちゃいお手々とくりっくりのお目々がかわいかったなあ。
じゃねえな。分かってる。分かってますよおじいちゃん。
「二番目のお兄様でしょうか」
「そうそう。二番目の」
「まあ、わざわざありがとうございます。うふふふふ」
「ほっほっほ」
レイちゃん。レイルバート第五王子。二番目のお兄ちゃん。つまり第二王子。以上。
そんな人から遣わされる、このいかにもなおじいちゃんの正体を、なんとなく悟るファニーラだった。
朗らかに笑い合うふたりの傍らに、給仕の男性がやってきた。ファニーラは先に頼んだものがまだあるから、おじいちゃんの分だろう。あたたかみのある陶器の湯呑みが、木素材の茶托に据えられる。
給仕に礼を告げたおじいちゃんが、こころなし、うきうきした仕草で湯呑の蓋を開けた。蓋のつまみに指を添え、両手で持ち上げて湯呑の右側に。つづいて右手に湯呑を持ち左手を底に添え、ほこほことたちあがる湯気と香りを馥郁と楽しんで、そっと口元に持っていく。
そよ風が分け前をくれたおかげで、ファニーラもまた、今の彼女になる前に慣れ親しんだあの香りを楽しめた。
東方の食料はこの国ではまだ珍しいが、流通していないというわけではない。ちょっと入手に手間がかかるだけで、好む人は多いのだ。
「東のお茶がお好きなんですね」
「うむ。初めていただいてから気に入っての。東部の茶を出してくれる店はチェックしとるんじゃ」
「でしたらどうぞ、お近づきに」
「ほうほう?」
ファニーラはお髭をガードしつつお茶を楽しむおじいちゃんに、そっと小さな包みを差し出した。一旦テーブルの上に置き、すす、と彼の前へとすべらせる。
「大陸東端から船でひと月。極東シャファン産のとっておきです。お味の分かるかたに贔屓にしてほしいと、知人からいくつか預かっておりまして」
「なんと!」
ぱあ、と、おじいちゃんの目が輝いた。
「よいのか? 儂が東の茶に珍しさだけでハマっておるとしたら、預けてくれた知人とやらにも失礼じゃろ?」
「いえいえ。お茶をたしなまれる仕草が、もう隠しようもございません。お気に召されましたら、王都のギルドからカダット・アーツにご用命くださいませ」
「仕草で分かるお嬢さんもなかなかと見えるのう。ありがとう。いただくよ」
「こちらこそ。東にご興味のあるかたに出逢えてうれしいです。……ところで、お使いとのことですが」
「そうそう、そうじゃった」
すっかり打ち解けた雰囲気になったところでファニーラが持ちかければ、おじいちゃんはお茶を懐にしまいこみながら語りだす。
「お嬢さんに頼んでおる件じゃがな。『おうちに帰るまでが遠足だ』と、しっかり言い聞かせてやってほしいとのことじゃ」
「おうちに帰るまで、ですか」
おじいちゃんの言葉を繰り返しながら、ファニーラは先日の会談を思い出した。
――黒竜化した王子は『空の滅び』へ向かうように。
(なるほど……?)
口頭で伝えられた内容は、たしかに往路のみの指示だった。
ファニーラはおじいちゃんに向けて頭を下げる。
「すみません。すっかり往復のつもりで、お話をお預かりしてました」
「おや、そうじゃったか。それは心強いのう」
ほっほ、と笑うおじいちゃんは、心から嬉しそうだ。
隙のない完璧な笑顔を浮かべるこのひとから、さて、情報を引き出せるかどうか。これはファニーラの挑戦である。
「お出かけ先についたら自由行動、というわけではないのですか」
「いや、自由にしていいはずじゃ……ふむ、そうじゃな。お兄ちゃんはもちろんじゃが、儂もあのおうちに仕えている身。血の誓いを交わしておる」
「……血の」
「口にできることに限りがあってのう」
「…………それって、私にも適用されることです?」
「いいや。お嬢さんが察してくれる分にはまったく。それをレイちゃんが肯定するか否定するかは、レイちゃんの判断じゃ」
「うぅーむ……」
お気軽な旅行かと思っていたら、いよいよきな臭い感じになってきた。
思えばあの日の王太子も第二王子も、ついでに今日のウェズもレイルバート当人も、彼らの内輪で不穏な雰囲気をちょろちょろ交換していた気がする。
無意識に腕組みして頭をひねるファニーラの耳に、おじいちゃんがつづける言葉が届いた。
「儂の知っている範囲では、必ず、出発したことは記録されている」
「それは……、……」
「ここまでは、誰しもが見られる記録じゃよ」
誰でも見られる記録のことを教えてくれながらも、きっとその先にある特定の誰かしか知らない記録は教えてくれないつもりなのだろう。いや、記録されているなんてわざわざ言うのだ。帰還の記録そのものが、なされていない――あるいは、ない、ということだって考えられる。
自覚のないまま、ファニーラは眉間に深いシワを刻む。表情の変化に気づいたおじいちゃんは、すまなさそうに肩をすくめた。
「じゃからな、おうちのひとたちは心配しとる。そして、遠足のお約束を守ってほしいとも」
「……」
ファニーラは、最初にも告げられたそれを音にしないまま繰り返す。おじいちゃんの真摯なまなざしに焦点を合わせて、質問を投げかけた。
「ご家族はレイちゃんを好きでしょうか」
「仲良しのご家族じゃよ」
「レイちゃんはご家族を好きでしょうか」
「うん」
「そうですか」
たぶんだけれど、王族の記録にも黒竜の王子の顛末は残っていないのだろう。
だから今回のレイルバートがどうなるか、どうするか、不安でいるのだろう。
かつて、彼の地に向かった黒竜の王子の軌跡が途絶えた理由が、第三者の不当な干渉によるものなら、ファニーラはそれを妨害すればいい。
けれど、もしも本人が望んでそうしたというのなら、家族の想いだけを盾にレイルバートへ強行することは難しい。
……レイルバートは旅の先で、『空の滅び』で、何をするつもりなのだろう。
ファニーラのやろうとしている竜核ファイヤーと同じだというもののほかに、かける望みはあるのだろうか。
あの小さかった男の子が――原作では恋も叶えたヒーローが、こちらでは転じて倒されながらも――がんばって試練を乗り越えたのだ。あと一息で解放されるのだ。そんな彼が望むことなら、叶えてあげたいと思う。でもそれが彼を望む家族を無視することになるのであれば、無条件でレイルバートに従うばかりではいられない。
分からない。
今のファニーラが考えてみても、先のファニーラがどうすべきかなんて決められない。
だから、ファニーラは、おじいちゃんにこう告げるしかなかった。
「言葉通りの意味で前向きに善処します」
「ほっほっほっほ」
冷や汗をかきながら口にしたファニーラの言葉に、どうやらおじいちゃんは満足してくれたらしい。
「一生懸命考えてくれて、ありがとうのう。レイちゃんをよろしく頼みます」
「あ――はい。お預かりいたします」
そこで、なんとなく解散の空気が漂い出した。
まだ居座るつもりのファニーラが眺める前で、おじいちゃんが席を離れる。いつの間にか、湯呑は空っぽになっていた。そしてファニーラの頼んでいた飲み物は、口をつけられず冷え切っていた。もったいないので、一人になってから一気飲みしようとこっそり決める。
軽く別れの挨拶を交わして翻る背中に――ふと、既視感を覚えた。
身の丈も体つきもまったくもって似ていないが、昨夜やり合った後に去っていった黒い背中が重なった。
ファニーラの口が動いたのは、無意識に近い衝動だった。
「きれいなお姉さまのところ、いなくてよかったんですか」
おじいちゃんは顔だけ、わずかに振り返った。
「お楽しみはこれからじゃよ、りんごのお嬢さん」
向けられる視線こそ夜の闇を縫って突き立つようだったけれど、瞳はやわらかくほころんでいる。
(言い方はかっこいいのに、お楽しみの内容が残念)
表情をゆるめて見送りながら、そんなことを考えるファニーラだった。
ウェズの一人称が混載してたので統一しました。




