その88 至高の料理を食べてみよう
「なんなのだあああああ!?」
悲鳴を上げる赤髪幼女の襟首をひっつかみ、ロザンさんの店に文字通り飛んでいく。
到着までは一瞬。華麗なる勝利のポーズで着地を決めた後、ドアをノック&オープン。驚く給仕さんに極上の笑顔をプレゼントする。
「こんにちは! 水竜を食べに来ました!」
「ひゃい!? よ、用意が出来ております! お部屋にご案内いたしましゅ!」
かみかみだ。
でもかわいいのでよし!
「よろしくおねがいします! ものすごく、ものすごく楽しみにしてます!」
テーブルについて、待つことしばし。
給仕さんが料理を運んできてくれた。
「ああ……」
前菜は、いつもの神。
続いて出てきたのは、見るからに存在感のあるスープだった。
深めの皿に入っているのは、琥珀色の液体。
よほど丹念に脂抜きしたのか、スープには一点の濁りもない。
澄んだ宝石のように透明感のあるスープには、具が入っていない。
でも、確信できる。
一切れの肉も入っていないこれは、しかし水竜を使った料理だと。
湯気は、上がっていない。
たぶん、冷たいスープだ。
匙ですくって、ひと口。
目の前に、味の万華鏡が広がった。
「ふあああああああああっ!」
口から洩れる声を押しとどめられない。
声をあげて発散しなきゃどうにかなりそうなほどの、旨味の奔流。
冷たいスープが、舌の中で解けていく、その過程で様々な味が顔を出す。そのどれもが、極上。
野菜。それも二、三種類じゃない。
すくなくとも十以上。それに干した貝や海藻の旨味、そしてそれらを伴奏者として、味の万華鏡の芯となっている、震えるほどの旨味。
わかる。
私が渡した食材だもん。なにを使ったか想像がつく。
間違いない。
水竜の骨から取った出汁。
それが、私の心を震わせるこの魔法のスープのタネだ。
「ん……やばい……」
「女神様の顔がヤバいのだ……」
幼女がなにか言ってる気がするけど、甘美な味の世界に浸ってる私は気にも留めない。
ゆっくりとスープを飲み干して、切ないため息を漏らす。本当に、本当にとんでもない味だ。
「ふああああああ……」
「お、お待たせしました。本日のメインです」
痺れるような陶酔感に浸っていると、顔を真っ赤にした給仕さんが、大皿に盛られた料理を持ってきてくれた。
肉だ。
この流れで出てくるんだ。間違いなく水竜の肉。
こんがり焼き色のついた肉が、適度な厚さにスライスされて、同じく焼き色のついた葉野菜の上に盛りつけられてる。その上には、赤いソース。
「水竜の……ローストビーフ」
竜肉だからビーフではない気がするけど、まあいい。
見るからに美味しそうな料理に、ごくりと喉を鳴らす。
切り分けられた肉を、ひと口、食べる。
香ばしい風味とともに、肉汁が、あふれんばかりにこぼれ出した。
「んんんっ!」
水風船のような独特の弾力だった水竜の肉。
それが、熱を通すことで心地よい歯ごたえを加えている。
焼くことによって生じる香ばしさ。大量に含んでいた肉汁も、熱を通すことで活性化し、しかも十分に寝かせたことで、残らず内に取りこんでいる。
――そして、このソース!
「く……ふっ!」
おそらくは、肉汁とワインを絡めて味を調えたもの。
そこに少量だけど、スープに使ったのと似た出汁が加えられてる。
息が出来ないほど美味しい。
体を締め付けるような切なさが、しだいに解けていき、快感に近い陶酔的な痺れが全身に広がっていく。
あ、やばい。
ファビアさんの気持ちが分かりそう。
「……ふう」
せーふ。
美味しすぎて失禁とかマジ勘弁です。
ロザンさんの料理の腕がゴッドなせいか、それとも水竜の肉が冷質だからなのか。
あ、なるほど。
神器のおかげで熱を通せるといっても、水竜の身質はあくまで冷質。
その性質を無視して熱々にするより、冷質を活かした調理をする方が、より適してる。
だからロザンさんは冷たいスープとか焼いた後しばらく寝かせるローストビーフとかにしたんだ。
素晴らしい味の世界ですロザンさん。
ああ、ありがとう世界!
「すごくおいしそうなのだ!」
と、赤髪幼女の声が、どこかに行っちゃってた私の心を呼びもどした。
幼女の視線は残ったローストビーフに一点集中。そういえば食いしんぼさんだったね。
「……」
「……」
すこしだけ、無言で視線を交わす。
リーリンちゃんは、ものすごくもの欲しそうな顔。というかよだれが……
「……」
「……」
「……う、うう……食べる?」
ものすごい葛藤の後、尋ねる。
この一言を口に出せた私を誰か褒めてほしい。アルミラさんだとすごくいいです。
「無理なのだ!」
赤髪幼女が、ぶんぶんと首を横に振る。
「リーリンは強い火の要素を持ってるから、より強い水の要素の塊をぶつけられるとどうにかなっちゃうのだ!」
なるほど、そういうこともあるんだ。
納得しつつも、ちょっとほっとしてみたり。
「――どうだ、女神様?」
と、唐突に、声。
いつの間に来たのか、戸口でロザンさん?が自信たっぷりに腕組してる。
味の感動がよみがえってくる。
この人は、なんて料理を、世界に生み出してくれたのか。
「最高に――おいしかった!」
私は、あらん限りの感情を言葉に込めて、微笑みかけた。
「ありがとよ。最高の褒め言葉だぜ」
ロザンさんがきょばっと牙を剥いて笑顔を返す。
ちょっと怖いです。
◆
「はっ!? そういえば、ご褒美がほしいのだ! 幻獣素材が欲しいのだ!」
思い出したんだろう。
リーリンちゃんは、ものっすごい笑顔で手を差し出してくる。
ああ、そういえば、またこの幼女の手を借りなきゃいけないんだった。なら。
「うん、じゃあとりあえず神牛の骨と皮あたりでいいかな? 火の属性ならそういうのの方がいいでしょ?」
「ありがとーなのだー!」
首飾りから取り出した素材の山を、幼女は小躍りしながら工房に放り込んでいく。
そんな彼女に、私は笑顔で提案する。
「で、私の言うこと聞いてくれたら、水竜の骨とか鮫の歯とかもつけちゃうんだけど」
「女神さま大好きなのだー! なんでも言うこと聞くのだー!」
がばっと抱きついて来る赤髪幼女。
どれくらい生きてるのか知らないけど、この子の将来がとっても心配です。
「じゃあ、ローデシア西部、影の魔女シェリルのところまで、工房かなにかの中に入れて運んでほしいんだ」
「え、あいつのところなのか?」
幼女はすっごく嫌な顔をした。
返事も濁音交じりだ。
「嫌なの?」
「だって、あいつ妹のくせに口うるさいのだ! リーリンの方がお姉さんなのに!」
……ふぁっ!?
次回更新4日20:00予定です。




