22.二度目の人生は幸せに (最終話)
蕩けるような濃密な口づけを受け、逞しい腕に抱きしめられた。
厚く硬い平たい胸に、布越しから聞こえる力強い鼓動と温もり。
あれほど嫌っていたのが嘘のように、幸せを感じていた。
不意にフィリップとの婚約解消からすっかり諦めていたことを思い出した。
もう、幸せにはなれないと思い込んでいた。第二の人生。
ロゼッタは顔を上げると視線に気づいたカイルに告げた。
「カイル様、お願いがございます」
「物欲のないそなたが願いか、申せ」
「本来のお姿を見せてはいただけませんか?」
「谷での暮らしに慣れたらいくらでも見せてやる」
暗に焦るなと言われた。
輿入れの日には、カイルを含め数体の竜が参じることになっている。
王家と竜族の双方で人間の見送りは一切禁じられていた。
竜の姿に騒然となることを懸念してのことだ。
例えロゼッタの父でも屋敷から出ての見送りはできない。
ゆえに友人との別れは夜会ですませた。
閑散としたものとなるだろう。
加えて花嫁たるロゼッタに関しては、花嫁衣裳を纏った後は、例の如く術で眠らされての移動飛行となる手はずになっている。
カイルからすれば、今更ロゼッタの決心を鈍らせる真似は避けたいところだ。
無理をさせる理由はなかった。それが分からぬロゼッタではない。
だがあえて願った。
自分の意思で嫁ぎたい。
過去を引きずったまま嫁ぎたくはないと。
第二の人生は晴れやかに、幸せの道を歩みたい。
「決して逃げたりしないとお約束いたします。わたくしを信じては下さいませんか?」
鮮やかなエメラルドの瞳は、揺らぐことなく黒曜石の相貌を見据えた。
戸惑いに瞳を揺らしたのはカイルの方だ
「何があろうと、輿入れの日取りは変えぬ。そなたが泣きわめいて許しを請おうとたがえることはできぬぞ」
「承知いたしておりますわ」
今宵は満月。
いつにもまして煌々と照らす青白い光の中、佇む巨大な影。
鋭利に尖った黒鋼の鱗が全身を覆い、長い尾を地に垂らしていた。身震いするほどの凶悪な姿は、五百年前と変わらなかった。
衣服を破りながら人から、本来の姿へと変化する様を見るのはこれで二度目だ。
ロゼッタは圧倒されながらも静かに見ていた。
竜の谷で、あのわずかな時間だけで耐性が着いたとも思えないが、冷静でいられた自身に驚く。
「お怒りにならずにお答えくださいませ。わ、わたくしを食べたいですか?」
科白にしたとたんに過去が蘇り、声が、身体が震えた。
「断じて食しはせぬ」
はっきりとした即答。
犬の姿でもおなじみのカイルの低い美声に、安堵で涙が溢れてくる。
月光を遮る巨大な影がすうっと人型になっていく。
歩み寄り、素肌の腕がロゼッタを包み込む。
「そなたを口にしたのは誤りだった。どれほど後悔し、五百年もの長き時を孤独に耐えてきたことか。もう二度とそなたを失うことには耐えられぬ」
「カイル様」
ひしと抱きしめ返すと、カイルが苦笑を漏らした。
「我にはもう人間は喰えまい」
幸せになれる。この人とならきっと。
二年後、ウィルディーチ王国と竜族は正式に盟約を結んだ。
条項には人身御供の禁止が含まれていた。
一因となった竜王妃ロゼッタは万民より感謝され、その名は、数千年の長きに渡り人々に語り継がれることとなる。




