「ツンデレインコート 4」 みのり ナッシング 【推理】
4
昔々、都で名の聞こえた歌詠みの男がいた。男は帝の寵愛を受けるほどだったが、ある時いわれのない呪いをかけられ、姿を鬼に変えられたという。かつての美声も失われ、彼は都を後にした。そしてこの地方へ流れつき、岩穴で暮らすようになった。
数年が経ったある日、一人の少女が男のもとにやってきた。彼女はかつて男に恋い焦がれた娘で、男の力になりたいと申し出た。
名を佐奈と言った。
佐奈は占い師にから男の呪いを解く方法を教えられていた。それは、1年もの間、夜ごとに詩を詠み聞かせるというものだった。そうすれば男はかつての声を取り戻すであろう。
にわかには信じがたい話だった。深い絶望の淵にいた男にとってはなおさらだ。彼は佐奈を追い払おうとした。佐奈は折れなかった。男は少女の好きにさせることにした。
二人の奇妙な生活が始まった。佐奈は日が沈むたびに歌集を朗々と読み上げた。彼女が風呂敷いっぱいに包んで持ってきた書物は、何年かけても読み切れないほどに思われた。男はじっと、その声に耳を傾けた。
雨の日も風の日も、佐奈の朗読は続けられた。男の心は次第に解きほぐされていった。
そしてある夜のこと。男はふと、自分が懐かしい香りの中にいることに気付いた。すでに鬼はおらず、在りし日の高貴な衣に身を包んだ歌詠みの姿がそこにあった。季節が一巡りしていたのだ。
男は岩穴を出ると、歌を詠み続ける娘の姿を認めた。そっと羽織を脱ぐと、佐奈に渡した。彼女は一筋の涙を頬に伝わせながら、それを自らの痩せた身体に着せた――。
二人は屋敷を構え、末永く暮らしたという。
「校内に飾る話が出た時、あの場所を希望したのは潤だったらしい。佐奈姫は雨のかかる岩穴の外で、詩を読み上げたからな」
ということは、それを見越して風雨にさらされてもいいような粘土を使ったということか。そこまでするとなると、やはり谷崎が怪しく思えてくる。
「本人に直接訊けないんですか。幼馴染のよしみとかで」
「簡単に言うなよ。ああ見えて頑固なところがあるからな。ただ訊いてもはぐらかされそうだ」
そういうものなのか。かく言う爽も、ただでさえ3年生のクラスまで行くのは気が引けるというのに、そのうえ「あなたが犯人ですか?」などと聞けようはずもない。
……ん?
この時、爽の中で何かが引っかかった。なんだろう。小骨が歯の間に挟まったような、変な気持ちだった。
しかし、そんな違和感は一瞬で吹き飛ぶような出来事が爽たちを襲った。
「とにかく、問題は方法だ。潤はどうやってレインコートを着せたのか――」
ばしゃ。嫌な音がしたのとほぼ同時に、爽は瞬きをしていた。水しぶきが目にかかったらしい。
突然の出来事だった。気付いた時には、目の前の席の川端はぬれねずみになっていた。何者かに水を被せられたのだ。
テーブルの横へ目線を振ると、そこには小柄な男子が立っていた。空になったコップを手に、眦を釣り上げ、今にも川端に掴みかかろうとしている。それを必死に傍らの男子生徒が止めていた。
「おい、川端康生! 谷崎先輩がなんだって? もう一度言ってみろ!」
爽は一瞬頭が真っ白になった。が、「爽」という川端の声で我に返った。握り締めたフォークを、お弁当ケースの端に立てかける。
「後輩の指導がなっていないようだな、美術部さんは」
「悪い。川端」
そう言ったのは、川端と対照的にがたいの良い男子生徒だった。蛇を思わせる鋭い目元が印象的だ。互いのフランクな口調、そして彼の学年章から3年生ということが分かった。
美術部……爽は、自分たちが迂闊だったと悟った。確かに彼らにしてみれば、身内が犯人扱いされているような話を聞いていい気はしないだろう。しかもツンデレ研究会は客観的に見れば一番の容疑者なのだ。彼らもあのレインコートが川端のものだと気付いているはずだから。
先ほど水をかけた2年の部員は、まだ顔を歪めて息巻いている。よく見るとかなり整った顔立ちをしているのが分かった。お澄まししていれば王子様のような端麗な容姿なのだろうが、今は悪鬼の如き形相だ。よほど腹に据えかねているらしい。
「俺も気になっているんだ。お前がやったかどうかはともかく、どうやったらあんな芸当ができる?」
対して部長の方はしかめっ面ではあるが、そこまで怒っているようにも見えない。態度も理性的。こちらはまだ話が通じそうだ。
「ちょうどいい。見分の結果を詳しく聞かせてくれないか」
しかし川端はどこか上の空で答えた。じっと、自分の胸元を見つめている。水に濡れた制服のシャツの下から、アニメの美少女キャラが印刷されたTシャツが透け出ていた。まさかこんな時に見惚れているのではあるまいな。
そんな川端の様子に、部長は苦笑いを浮かべた。
「いいだろう。あのレインコートはまだそのままにしてあるんだ。犯人の真意が分からないからな。
で、シワだらけだった以外は、特に問題はなかった。無論、切れ目などはなかった」
粘土像はその姿勢ゆえ、誰かがレインコートを着せるのは不可能にも思えた。しかしそれは、なりふりをかまわなければどうとでもなる話だ。
例えば、あらかじめレインコートを分解して、像に着せてから組み立てるという方法。袖を縦に長く切って開いておけば、「閉じた輪」も気にする必要はない。
しかしその場合、縫い跡などが残る。美術部部長が言った「切れ目」とはこのことだ。当ては外れていたようだが。
「台座は汚れていたか?」
川端が濡れたシャツにハンカチを当てながら、ぼそりと呟いた。
「なに?」
「だから、台座に粘土のかけらは落ちていなかったか」
「いや。綺麗なものだったよ。春休みに誰かが掃除をしてくれたらしい」
部長は、何かにピンときたような顔をした。
「ははん、お前の考えていることが分かったよ。あいにく像にはヒビ一つ入っていなかった」
きっと部長は、犯人が像を欠損させてレインコートを着せた可能性に思い当たったのだ。レインコートに細工をしなくても、「閉じた輪」に切れ目を入れてやればいい。
あまり愉快な想像ではないと、爽は思った。美術部の面々ならなおさらだろう。実際、例の後輩を刺激しないよう、部長が言葉を選んでいるのが感じられた。
しかし川端は、そんな気遣いを台無しにするようなことを言った。
「……次元が違ったんだ」
「なに?」
「君らと潤とでは発想の次元が違ったのさ」
川端はケロっとした様子で言い放った。爽はさっきとは違う意味で血の気が引くのを感じる。どうしてそんな火に油を注ぐようなことを言う!
「なんだと!?」
案の定、王子部員は頬を真っ赤に染めて再び躍りかかろうとした。隣にいた部員が必死で制止する。
「先輩を、気安くファーストネームで呼ぶな!」
え、そっちなのか。爽は拍子抜けした。見ると、部長もやれやれと目頭を押さえている。お互い似たような苦労をしているらしい。なんとなくシンパシーを感じる爽であった。
「そこまで言ったんだ。説明責任は果たしてもらうぞ、川端」
「ああ、いいだろう」
あまりに川端がそっけなく言ったものだから、部長は驚いた表情を浮かべた。他の部員も一様に目を見開いている。爽も同じ気持ちだった。もう謎が解けたというのか。
「いいものを見せてやろう。1週間後の放課後、美術室を空けておくんだな」
「あ、ああ……分かった」
それを聞くと川端は、ごちそうさまと手を合わせて、トレーを戻しにすたすたとカウンターへ歩いて行った。爽は慌てて弁当を包むと、部長たちに頭を下げてから、困った先輩を追いかける。あんな安請け合いをして大丈夫なのだろうか。
食堂を出てから、川端は爽に向き直った。その目はさっきまでとは別人のように爛々と輝いていた。
「忙しくなるぜ、夏目君」
「……分かりましたよ。けど先輩」
爽は川端をじっと見つめた。
「確認させてください。犯行方法は、もう分かっているんですよね?」
「当然だ」
力強く言い切る。不思議なことに、こういう時の川端は急に身体が大きくなったように思えるのだ。
「犯人は――」
その言葉を聞いた爽は我が耳を疑った。まさか。そんな……。
自分はずっと、思い違いをしていた。




