「般若観音寺の犯罪 10」 Kan 【ミステリー】
(仏像はなかったのか、それとも中川和尚がどこかに隠したのか……?)
黒川弥生は般若観音寺会館の部屋にこもって、事件が起こった後も、秘仏の在り処ばかり考えていた。しかし、一向に答えが分からずに悶々としていた。
その時、部屋のドアをノックする音が聞こえた。
(誰だろう……)
黒川弥生ははっとしてドアを見つめた。胸騒ぎがして、すぐに返事ができなかった。
「根来です。黒川さん、このドアを開けていただきましょうか」
その声はひどく落ち着いていたが、鬼のような凄みに満ちていた。とてつもない威圧感である。本当に今時の刑事なのか。黒川弥生ははっとして立ち上がった。これはただごとではない。弥生はどうにか、なんでもない表情をつくりだすと、ドアを恐る恐る開けた。
「なにか?」
そこに根来警部がいた。根来は、じろりと弥生の顔を睨むと、その視線は黒川弥生の足もとに下った。そこには黒川弥生のスニーカーがある。その紐の結び方は変わっていた。絵巻物の紐の結び方をアレンジした、スニーカーの紐の結び方だった。
根来は、ふんと唸ると、憐れなものを見るように、
「これで終わりだ……」
と呟いた。
*
黒川弥生の靴紐は、たしかに羽黒祐介が指摘した通りの変わった結び方をしていた。彼女は根来の手で逮捕された。その後、森の中からレジャーシートも発見され、弥勒堂の付近にあった足跡からも、彼女の犯行を証明された。
根来と祐介は東京に帰る前に本堂で参拝していこうと思った。そこで、ふらふらになった中川和尚に再会した。犯人と疑われていた頃、根来にこってりしぼられていたらしく、その疲れもあるのか、今にも倒れそうになっていた。
「大丈夫ですか……」
「大丈夫です。まあ、なんにせよ、犯人が捕まって良かったです。まさか、ずっと可愛がっていた角田が、窃盗犯のひとりだったなんてショックですが、でも、彼のことは真心をこめて丁重に葬りたいと思います」
「それは良い心がけですな」
と胡麻博士は頷いた。
「ええ。でも結局、秘仏は伝承だけで、実在はしませんでした……」
と和尚はがっかりと首を垂れた。般若観音寺のこれからのことを心配しているのだろう。
「いや、そうとは限りませんよ」
「どういうことですか」
と中川和尚は顔を上げた。
「僕の推理によれば、観音像はここにあります」
その場所とは本堂のことだった。
「おそらく、ここがかつての観音堂だったのです。あの絵巻物が正しければ……」
「だとしたら……」
和尚はふらふらとした足取りで、大日如来像の蓮華座の裏側に向かった。そこには金属の戸口があった。胡麻博士は鋭い剃刀のような視線で、祐介を見た。
「ま、待っていてください。もしかしたら、この中に……」
和尚は興奮気味にそういうと、どこかに走っていって、しばらくして寺に伝わるという鍵を持ってきた。
「では、開けます……」
和尚がその戸についた鍵穴に、鍵を差し込んだ。古くてなかなか回らない。和尚が苦しげな声を出しながらもがいていると、その戸の鍵はついに開いた。戸が開く……。
「おお……」
胡麻博士が叫んだ。
そこには、仏師定朝のつくったとされる聖観音立像が祀られていたのである。麗しい円満なる微笑みを浮かべ、金箔もわずかに残り、印象的な衣紋が宙にひるがえるようになびいていて、手にもった蓮華が可憐に傾いている。中川和尚はわっと声を上げて喜んだ。
胡麻博士は、やはり室町時代ぐらいのものだな、と思ったのだが、それでも貴重な仏であるし、一度はないと思った仏像が発見されたことはこの上ない喜びだと感じ、
「南無観世音菩薩……」
と口の中で唱えた。
「般若観音寺の犯罪」完




