第三十話 遅くなった彼女への回答!? あの日、あの時、あの場所で、眼の前の彼女から告げられた言葉。返すべきその回答を、僕の思いとともに言葉と行動で示してみせた出来た件について
「東京か……四月からここで暮らすのよね」
シースター社のビルを出て駅に向かい歩く最中、由那はぐるりと回りを見渡すと、ポツリとそう口にする。
夕暮れ時のこの時間に走っている車や、道を行く人々の数。
それは明らかに僕たちが住む街とは雲泥の差があった。
「いつ来ても思うけど、衣山と比べると本当に別世界だよね」
「うん。でもやっぱり住むとなると、一層違う気がするわ」
そう口にすると、由那は小さく溜め息をつく。
二月も後半に差し掛かり、ほんの少しだけ暖かくなってきたものの彼女の吐き出した息はまだ白かった。
「……住む、か。由那はこっちに引っ越してくるつもりなの?」
「元々一人暮らしだし、それもありかなって」
「そっか……確か優弥は、通いって言ってたけどね」
入学金の手伝いはしたものの、それ以上は頼らないと宣言していた優弥。
最近の彼はその宣言を実行に移すため、早くも今からバイトと通学スケジュールを練りつつあった。
「ねえ、昴はどうするの?」
「たぶん、通う形かな。父さんが新都大学に通っているから、なかなか一人暮らしするとは言い出しづらいしさ」
研究者としていつも深夜に帰ってくる父さんを横目にして、一人暮らしをしたいとは言えずにいたし、多分これからも言い出せないと思う。
そんな僕の事情を理解したのか、由那は急に思わぬことを言いだした。
「そっか。なら、私もやっぱりやめようかな」
「え、どうして?」
「だって、ほら、大学は離れちゃうわけだし、東京までの間くらいこうして一緒に居たいじゃない」
そう口にすると、由那は僕の左手に自分の右手を絡める。
僕は一瞬だけ驚いたけど、すぐにそんな彼女の手を軽く握り直した。
「確かにそうだね。うん、毎日は無理かもしれないけど、時間が合う時は一緒に衣山を出ようか」
「うん」
短い由那の返事。
それを機に、僕たちの間の会話が一瞬途絶える。
僕の耳に入るのは、二人の足音と彼女の吐息だけ。
そうしてしばらく歩いたところで、目的とする地下鉄駅の下り階段に差し掛かった。
慣れない手を繋いだ状態だったので、僕はちょっと気をつけながら階段を降りていく。
すると、急に途中で由那がその足を止め、隣に立つ僕に向かい小さな声で尋ねてくる。
「ねえ、僕のパートナーは他には考えられないんですって、あの言葉……本当?」
「うん、嘘じゃないよ。本当にそう思っている」
「それはイラストレーターとして?」
たぶんこの言葉が、彼女が一番聞きたかったのだろう。
よく見ると彼女の足は僅かに震えていた。
それはまるであの時と同じように見えた。
由那が大切な想いを僕に告げてくれた、あの時と。
『昴、私はね、私は……音原由那は、あなたが、黒木昴が好きです』
僕の心に、由那の言葉がリフレインする。たった今、その言葉を言われたみたいに、その記憶は僕の脳裏に鮮明に映し出された。
「……昴?」
言葉を詰まらせた僕を、由那が不安そうな表情で見つめてくる。
僕は今、どんな表情をしているのだろう。
わからない。
けれど、確実に言えることは、ここが分岐点であるということだ。
例えるならそう、試合の後半ロスタイムで、フリーキッカーを務める時のあの感覚。
冷静ではいられない状況で、試合を決定づけることを託される。
逃げることは許され無い。そして逃げるつもりもない。
なぜなら、僕はもう決めていた。
味方へのパスなんかではなく、直接彼女に向かい自分の思いをシュートに乗せて放つことを。
「イラストレーターとしてじゃないよ。僕個人のパートナーとして、君のことをそう思ってる」
彼女足と同様に、僕のその言葉は震えていた。
自らの鼓動は早くなり、僕は空いた右手で自分の胸を押さえる。そして彼女を真正面から見つめ返すと、あの時の出来なかった返事を告げた。
「ねえ、由那。これからもずっと僕と一緒に……その……隣に居て欲しい。待たせてごめんね」
そうして僕はそのまま、由那の唇に、自分の唇を重ねる。
「ん……」
由那は一瞬、身体を強ばらせたが、すぐに目を閉じると僕に身を預けてくれた。彼女の仄かな香りが、僕の鼻孔を僅かにくすぐる。
どれだけの時間でそうしていただろうか。
ほんの一瞬のことであったような気もするし、時間が止まり何時間もたったかのような気もした。
お互いの身を離した僕らは、改めてお互いを見つめ合う。
「まったく……誰も周りにいなかったからいいけど、いつもこう決めたら、まっすぐで突然なんだから」
「ごめん、反省はしてるんだよ」
彼女の目には涙が浮かんでいた。
その意味は僕にはわからない。もちろん色々想像はできるけど、その思いは彼女だけのものだ。
だから僕は、いつものように謝罪を口にする。
「反省してるなら、それを毎回行動に移しなさい。こんな街中で……もう」
由那は怒ったように、プイッと横を向く。だけど彼女はすぐに、小さな声で呟いた。
「でも、正直そんなところきらいじゃないけどね」
彼女はそう口にした瞬間、僕の右腕に捕まってきた。そしてそのまま僕を引っ張る形で、前を歩き始める。
予備校で出会ったあの時と、まったく同じ足取りで。




