第二十九話 真の狙いは勝利にあらず!? 漫画原作コンテストにおいて神楽先生が本当に欲しかったものは由那でもなく、原作権でもなく、全く別物であり、僕と津瀬先生が彼に宣戦布告した件について
ようやく涼しさを感じるようになった太陽の下、僕は予備校の屋上で空に浮かぶ雲の数をゆっくりと数えていた。
うららかな日曜日の午後故に、僕はほんの少しの眠気に誘われ、おもわずその両目を閉じそうになる。
「遅れてすまなかったね、昴くん」
背後からその声が掛けられたのは、数えた雲の数が三十過ぎとなった頃だった。
「僕も先ほど午前の講義が終わったところですから……って、え?」
待ち人に返事を行うため、ゆっくりと後ろを振り返る。
するとそこには、待ち人以外にもう一人の人物の姿が存在した。
「ふふ、こんにちは、黒木くん。昨日ぶりだね」
「神楽先生!?」
そう、約束していた津瀬先生の背後。
そこにはモデルのようなスタイルをしたあの美青年の姿があった。
「彼から五年ぶりに私のスマホへ連絡が入ってね、君に直接お礼を言いたいとの事だったから、ついでに連れてきた。すまないな」
「いえ、お気になされないで下さい。でも、お礼……ですか」
「ああ、いや、心配しないで。津瀬さんの世代でいう、お礼参りのつもりなんかじゃないから」
不安そうな僕の表情を目にしてか、神楽先生は冗談めかしてそう口にする。
途端、津瀬先生が嘆息をこぼした。
「私の時代にも既にお礼参りなど存在しなかった。あまり人を年寄り扱いしないでくれるかな。そろそろ、気になる年ごろというやつなのでね」
「これはこれは失礼しました。ともかく、君に負けたこと自体には納得しているんだ。だからまずは君の成功を祝福させてもらうよ。おめでとう黒木くん」
「……ありがとうございます」
少なくともお礼を言わない理由がないと思い、僕はペコリと頭を下げる。
それを目にして、神楽先生はニコリと微笑んだ。
「ふふ、結構。ああ、これはそういえば、津瀬さんの口癖でしたね」
「さて、どうだかな。自分では気にしていないものでね」
「そうですか。まあそういうことにしておきましょう。ともかく、本題に入るとしましょうか。と言っても、君にお礼をいうだけですけどね」
そう口にすると、神楽先生はクスリと笑う。
一方、僕は改めて首を傾げずに入られなかった。
「だからあの、お礼を言われる理由に身に覚えがなくて……」
「おやおや、本当にわからないのかい? ということは、あれだけ完璧に後の先を取ってくれたのは、もしかして良い参謀が君についていたのか、それとも津瀬さんの仕業だったというわけかな?」
「君を手玉に取ってみせたのは、私ではない。編集者志望の彼の友人だよ」
神楽先生の意味のわからぬ問いかけに答えたのは、津瀬先生だった。
その言葉を受けて、神楽先生は右の口角を僅かに吊り上げる。
「なるほど。しかしその口ぶりだと、津瀬さんは気づいていたというわけですか」
「まあな。穿って見すぎているのではと最初は考えもした。だがこうして彼にお礼に来たことで、今は確信を持っている。要するに、君の本当の狙いはコンテストでの勝利になかったということに関してね」
津瀬先生の口から発せられた思わぬ言葉。
それを耳にして、僕は虚を突かれると同時に、思わず目を見開く。
「え、コンテストの勝利が狙いではない……それじゃあなんのために?」
「コンテスト以外に目的があったからさ。つまり商業誌の購読者以外の住人が住むベコノベという空間において、地歩を固めるというね」
薄ら笑いを浮かべながら、神楽先生は堂々とそう口にする。
それに対し、津瀬先生は眉一つ動かすこと無く、彼の本音を指摘してみせた。
「信者を増やすと言った方が、君的には正しいんじゃないか?」
「なるほど、僕の作品群を見て下さっているというわけですね。まあ要するに、そんなところですよ」
「あの……すいません、全く話が見えないのですが」
二人が繰り広げている会話の意味。
それが見えなかった僕は、直接津瀬先生に向かいそう尋ねる。
「ふむ、要するに彼が今回のコンテストに参加した目的は、漫画の原作権ではなく、ベコノベに登録している九十万の会員にこそあったということだよ」
「会員外のアクセスも加算すると、少なく見積もっても二百万といったところですかね。ベコノベを使用しているのは。実際にランキング上位の作品では、更新ごとに百万近いアクセスを稼いでいます。月間ではなく日間でですよ。これほどのサイトを、指を咥えたまま見ているわけには行きません。少なくとも、僕が成すべきことを成すためには……ね」
膨大極まりない数を口にしながら、神楽先生は薄く笑う。
それに対し、僕はやや嫌悪感を覚えながらまっすぐに疑問をぶつけた。
「成すべきことですか。確かにベコノベ経由の作品は、売上もそこそこ安定しやすいと聞いていますが……では、貴方は自分の作品を売るためにベコノベに来たと、そういうわけですか?」
「ナンセンスだな。もちろん金銭のために行動を起こすことを否定はしない。ただ僕の目指すところは些か異なるものさ。つまり僕が目指すのは――」
「君が描く思想に、共感するものを探すため。違うかな?」
神楽先生の言葉を遮る形で、津瀬先生はそう告げる。
途端、神楽先生は右の口角を僅かに吊り上げた。
「へぇ、そこまで気づかれていたんですね」
「君の作品は一見するとエンターテイメントに徹しているようだが、端々に政治臭を漂わせすぎている。本気で今後同志を増やしたいのなら、自らの思想をもう少し作品の水面下に抑えておくべきだろうね」
「なるほど。ありがたいご忠告、参考にさせて頂きますよ」
軽く肩をすくめながら、神楽先生は津瀬先生の言葉に軽く頷く。
一方、その反応を目にした津瀬先生は、やや皮肉げに鼻で笑った。
「政治的な意図を秘めていることは、もはや隠す気もないわけだ」
「ええ。だからこうして、ノコノコとお礼に来たわけです。すでに僕の背後には、踏みつけられるしっぽなど存在しませんから」
津瀬先生の追求に対し、神楽先生は苦笑を浮かべながらそう答える。
だが津瀬先生は、そんな彼に対して間髪入れず一つの指摘を行った。
「そう言いながら、切り離すことができる便利なしっぽを、君は一本持っていたようだがね」
「……流石ですね。でも、あれが僕のしっぽなんて証拠はありませんよ。何しろ全てのデータは、運営に削除されて完全に消えてしまいました。もちろんベコノベ運営はログを残しているでしょうが、だからといって何一つ問題はありませんからね」
軽く両腕を左右に広げながら、神楽先生はなんでもないことのようにそう口にする。
一方、聞き捨てならない彼の言葉に、僕は思わず口を挟んだ。
「ちょ、ちょっと待ってください。運営に削除されたって、それはもしかして『鴉』の事を言っているのですか」
「ふむ、僕の口からはなんとも言えないかな。でもこの場では君に敬意を評し、敢えて肯定も否定もしないでおくよ」
「それは正解だと言っているようなものだが?」
神楽先生の物言いに対し、津瀬先生はすぐさま直接的に切り込む。
それに対し、神楽先生はただただ意味ありげな笑みを浮かべるのみであった。
「はてさて、どうでしょうかね」
「あの……津瀬先生。一体、どういうことですか?」
神楽先生からこれ以上の事情を聞き出すことは困難と考え、僕は眼前のチューターに向かってそう問いかける。
すると彼は軽くメガネをずり上げ、そして思いもよらぬことをその口にした。
「黒木くん。鴉の文章を見ていて、変だと思わなかったかい? プロットは非常に優れているというのに、文章があまりにもお粗末だという事実に」
「あ、そういえば……確かに背景がしっかりしているのに、なぜか文章が全然入ってこない感じがありました」
「そう、その通り。そしてそれは優れた別の書き手からプロットを手に入れていたからだ。だからいくら肉付けを試みようと、プロット作成者の力量に負けて、完成品は歪なものになってしまっていた」
「第三者?」
そこまで先生が話したところで、今まで静かに佇んでいた神楽先生が、少しだけ眉をひそめて言葉を発する。
「津瀬さん。どうせ言う気なら、はっきり言ったらどうですか」
「ふむ……少し引っ張りすぎたか。では、答え合わせといこう」
神楽先生の視線を受けながら、津瀬先生は気持ちを入れなおすように背広の襟を一度直すと、普段講義をしているように語り始める。
「鴉は優れたプロットを容易に手に入れられる環境にある人間であり、さらに複数アカウントを使用している反則者を一次選考通過させられる立場でもあった。さてこれらを総合すると、一つの仮説が導き出される。鴉と名乗っていた人物の中身は、月刊クラリス編集部の人間。それも神楽くん、君の編集がもっとも疑わしい。まあほぼ確信はしているがね」
「神楽先生の担当編集……まさか!」
そう、津瀬先生の言葉をそのまま受け止めると、鴉の正体はたった一人の人物に辿りつく。
そう、士洋社の編集者である湯島さんということに。
もちろん正直言って、まさかという思いが僕の中に存在した。
しかしながら、僕の眼前にいる青年は、その指摘を一切否定することはなかった。
「ふふ、相変わらずですね。収集したデータから推論を組み立てる貴方の能力は未だに惚れ惚れしますよ」
「別に大したことではないさ。作品設定の作り方があまりに君に似すぎていた。それに気づけば、他のことは自然と見えてくるものだ」
「いやはや、肯定も否定もしませんが、やはり流石とだと思います。もちろんここが公の場なら、貴方の言葉をあっさりと否定するところですけどね」
苦笑を浮かべながら、神楽先生は遠回しに津瀬先生の指摘を肯定する。
一方、その事実を前にして、僕は信じられないという思いで口を開いた。
「ちょっと待ってください。本当に湯島さんがあの鴉だったってことですか?」
「ああ。たぶん彼にプロットをもらい、彼に勝てない程度の作品を作り上げ、そして複数アカウントで意図的にランキング上でのデットヒートを演出してみせた。おそらくはそんなところだろう」
津瀬先生は鋭い視線を神楽先生へと向けながら、あのランキングの戦いの裏で行われていたそんな事象を淡々と告げる。
それを受けて、神楽先生はニコリと微笑んでみせた。
「実に面白い仮説ですね」
「十分に蓋然性の高い説だと思わないか? 実際、鴉という存在があったおかげで、ベコノベにおいて君は比較的好意的に受け入れられた。普通はプロがアマチュアの場に土足で踏み込んだら、多少なりとも反発を受けても不思議ではないはずなのにね」
「むしろそれどころか、卑怯な鴉と戦う正統派のプロとして、神楽先生は名を上げる形となっています……まさか本当に全て神楽先生の描いた絵だったというわけですか?」
津瀬先生の言葉に続く形で、僕は思わず疑問を口にする。
しかし当の本人は、軽くその視線を受け流した。
「全くわからないな。でも、もしそれが本当なら、とても良くできたシナリオだと思わないかい? 卑怯者な複数アカウント使いと戦い、そして最後はベコノベの作者としのぎを削る。おそらく普通にコンテストが進行していくよりも、遥かに多くの人が僕たちに注目していただろうからね」
その神楽先生の意味ありげな言葉。
それを耳にした瞬間、僕の中でパズルのピースがハマった感覚を覚えた。
「ってことは、貴方と争ったこと自体に対し、僕に感謝を伝えに来た……つまりそういうわけですか」
「ふむ、それは認めようかな。いい勝負ができたことに感謝を覚えているのは事実さ。それに君には、ベコノベならではの面白い戦い方を見せてもらったからね。前作で君が取った手段と同様に、今回もコンテストが始まる前から君の戦略には期待していたんだ。そして実際、想像以上のものを見せてくれた。実に有意義なコンテストだったよ」
神楽先生は僕に向かい、全く邪気のない顔でそう告げてくる。
一方、その言葉の中に含まれた真の意図に気づいたところで、僕はほんの少し胸の内が波立つ感覚を覚えた。
「それってつまり、あの図書館の時に楽しみだって言ってくれたのは、僕の作品の中身ではなく、投稿戦略だったと……そういうことですか」
「正直、あの段階ではね。ああ、怒らないでくれよ。今は君の作品のことも当然評価している。まさか小説を書き始めて四ヶ月の高校生に、僕が負けるとは思わなかった。いくら君のホームだとしてもね」
神楽先生はひょうひょうとした態度を見せながら、僕の視線を感じ取ってからか、そんな言葉を向けてくる。
すると、僕と神楽先生の間の微妙な空気を察したのか、津瀬先生が横から口を挟んだ。
「要するに、今は彼のことを脅威だと思っているというわけだな」
「もちろんですよ。僕は敗北者ですから。だから喜んで認めます。彼のことを僕のライバルだとね」
神楽先生の余裕に満ちた表情のまま放たれたその言葉。
それに対し、僕ははっきりと拒絶を示した。
「結構です」
「そう言わないでくれ。お互いとって実に有意義なコンテストを戦った仲じゃないか」
そう口にしながら、神楽先生は僕の肩をポンと叩く。
それに対し、僕が嫌悪感を示すより早く、津瀬先生が深い溜息を吐き出した。
「お互いにとって有益……なるほどそういうことか。つまり今回のコンテスト、君には負けの無い戦いだったというわけだな」
「ええ、その通りです。だから君は勝負に勝ち、そして僕は自分の目的を果たした。言うなれば、お互いに勝利を得たのと同義なわけですよ。所謂あなたの言う、実に結構な話というやつですね」
「それは違うな」
津瀬先生は神楽先生の言葉を耳にするなり、間髪入れること無く、バッサリと切り捨てる。
それに対し、初めて神楽先生はその顔に浮かべた笑みを消失させた。
「違う? 何が違うというのですか?」
「ルールの隙間と裏側を突くようなやり方で、利益だけを掠め取るのは、結構などとは言えないな。そんな生き方を続けるつもりなら、君は決して兄を超えることはできないよ」
「……貴方に兄のことがわかると? よりによって、兄を潰したあの貴方が? はは、実に面白い冗談です」
冗談などと口にしながら、その顔は一切笑っていなかった。
だがそんな彼の変化に動じること無く、津瀬先生は淡々と僕の知らぬ人物の名を口にする。
「エンターテイメントからの政治変革など、光一は望んでいないさ」
「望んでいない……ですか。どうも、私の中の兄の姿と、貴方の中の兄の姿にはズレがあるようですね」
「例え現存する人物のことでさえ、それを目にする人物の角度やバイアスで、捉え方など如何ようにも変容するものだ。ましてや、人の心の中にしか存在しない人物のことなら尚更な。つまり、君の胸のうちにあるのはただの妄執さ。早くそんなもの捨て去ったほうが良い」
はっきりと、しかし一切妥協せぬ強さを持って、津瀬先生は神楽先生に向かいそう勧告する。
途端、神楽先生の自嘲気味な笑い声が屋上に響き渡った。
「捨て去る……はは、ありえませんね。もしどうしてもというのなら、貴方が止めてみればいいじゃないですか?」
「良いだろう。ベコノベに投稿した作品を出版した段階で、今後は研究者に専念するつもりだったが気が変わった。歪んだ君の目的が達せられることなどないこと、私が示してみせよう。君の作品をねじ伏せることでね」
そう口にすると、津瀬先生はメガネを外し、真正面から神楽先生を睨みつける。
それに対し、神楽先生は右の口角を吊り上げ、ゆっくりと二度首を縦に振った。
「良いですね、実に良い。それでこそ津瀬さんだ。先生、今すごく良い顔をしていますよ」
「実に結構。もはや教え子ではない人物に向けるのには、最適な表情ということだ」
神楽先生の物言いを鼻で笑いながら、津瀬先生は一切その視線を動かすことはなかった。
そんな二人のやり取り。
それを最も間近で目にしていた僕は、首を二度左右に振り、はっきりと宣言する。
「待ってください、先生。神楽先生に勝つのはこの僕です。もう二度と、彼の好きなようにはさせません」
目の前の青年にどんな事情があるのかなんて知らない。
だけど僕にも決して譲れないものがある。
僕に新たな道を示してくれたベコノベ。
それを踏み台にしか見ていない青年に、絶対に好きにさせたくはなかった。
「へぇ、面白いね。君もそんな表情できるんだ。ふふ、良いでしょう。次は勝利を第一の目的としましょうか。その上で、この僕に勝てると思うおなら、いつでもあなた方の勝負をお受けしますよ」
「結構……例え君がプロとしての先輩だろうが、私は譲るつもりはない。きっと彼もな」
「もちろんです。次はあらゆる意味において、完全に貴方に勝ってみせます」
津瀬先生に続く形で、僕は拳を握りしめながら、はっきりとそう宣言する。
それを受けて、神楽先生は嬉しそうに笑った。
「あらゆる意味か……はは、良いでしょう。では、目的としていた感謝も告げましたし、今日のところはこれにて失礼するとします。津瀬さん、そして黒木くん。また近いうちにお会いしましょう。もちろんお互いの最高の作品を競わせる形で」




