第二十八話 良すぎる引き際!? 正式に由那の漫画原作を担当することになった僕に対し、湯島さんは噛み付いてきたが、神楽先生があまりにあっさりと結果を受け入れ、なぜか違和感を覚えた件について
連続更新6話目です。
士洋社の本社ビル。
業界でも老舗に位置づけられる総合出版社であり、その自社ビルの四階に月刊クラリスの編集部は存在した。
「昴、初めてじゃないんだから、あまりキョロキョロしないでよ」
「いや、うんわかってるんだけどね。どうも落ち着かないっていうかさ」
僕は苦笑を浮かべながらも、思わず改めて周りを見回してしまう。
土曜日にもかかわらず、多くの人々が行き交うロビー。その服装は一般的な社会人のイメージと異なり、比較的ラフな格好の人が多かった。
「ともかく、約束の時間ギリギリだから急ぐわよ」
「ぎりぎりになったのは由那が電車を間違え……いや、なんでもないよ、うん」
事実を口にしようとした僕は、前を行く金髪の女子によってキッと睨みつけられる。そして彼女によって右腕を掴まれると、そのまま引きずられるような形で、エレベーターの前へと連れてこられた。
「確か四階だったよね」
「そう、と言っても私も三回しか来たことないんだけどね。もっとも、どこかの誰かみたいにお上りさんのような真似はしないけど」
彼女はジロリと僕を睨みながら、エレベーターのボタンを押す。
すると間もなく、エレベーターが地下から上がってきて、僕らの階へと到着した。
「ちっ、君たちか」
エレベーターの扉が開くなり、内側から発せられた声。
僕らは慌てて視線を向けると、あの痩せ気味の長身男性がエレベーターの中に存在した。
「……どうもご無沙汰しています、湯島さん」
僕はペコリと頭を下げながら、由那ともどもエレベーターの中へと足を踏み入れる。
既に四階を表すボタンは押されていたため、そのまま扉は締まっていった。
そしてエレベーターが動き出したタイミングで、湯島さんの視線が僕へと向けられる。
「悪いことはいわない、辞退し給え」
前置きも何もないいきなりの勧告。
それを耳にして、僕より早く反発したのは由那であった。
「何を言っているんですか、湯島さん。昴が勝ったんですよ」
「君たちのホームグラウンドであるベコノベだったにも関わらず、ほんの僅かの差でな」
湯島さんは顔色一つ帰ること無く、淡々とした口調でそう口にする。
それに対し由那は、首を左右に振って反論を重ねた。
「たとえ僅差だろうが、勝ちは勝ちです」
「果たしてそうかな? まああの場に限局した勝利という意味では、君の言うとおりだろう。だが逆に言えば、彼のホームグラウンドで差がつかない程度の原作が、市場でどうなると思う?」
その湯島さんの言葉が紡がれきったタイミングで、エレベータの扉が開く。だが由那は、ここで議論を終わらせぬとばかりに、開くのボタンを押し続けた。
「そんなこと、コンテストの応募要項には書いてありませんでした。市場で売れる作品に限るなんて、一言もです!」
「企業が行っているコンテストだよ。当然、会社の収益のために行われるのは当然のことだろう。その程度のことを読みとれないとは、まだまだ君たちは子供だということだ」
軽く肩をすくめて見せながら、湯島さんは由那に向かいそう告げる。
途端、彼女のこめかみがピクリと動いた。
「子供……ですか。でも、それを言うなら一度出た結果を――」
「はいはい、そこまでやでお二人さん」
由那の言葉を遮るような形で発せられた声。
それは僕たちの背後、つまり開けっ放しとなっていたエレベーターの前から発せられた。
「副編集長」
慌てて声の主へと視線を向けた僕は、そこに以前お会いした恰幅の良い中年男性の姿を見る。
すると彼は、やや薄くなり始めた髪を軽く撫でつけながら、苦笑交じりにその口を開いた。
「うちの会社はほら、超がつく大手はんとはちゃうからね。エレベーターも二台しかないんやし、議論するんやったら別の場所でしてくれへんかなぁ」
「すいません」
言葉の刃はお互いに鞘へと収めながらも、依然としてにらみ合いを続ける二人に代わり、僕が副編集長へと頭を下げる。
途端、彼の口からは軽い笑い声が上がった。
「はは、君は今日まではお客さんやから、別にかまへんのやけどね。というか、主に僕が言うとるんは、うちの社員である湯島くんにや」
「……失礼しました、副編集長」
湯島さんはようやく由那から視線を外すと、三崎副編集長へと頭を下げる。
そして僕が先頭となる形で、エレベータから四階のフロアへとその身を移すと、三崎副編集長は満足そうに二度頷いた。
「うんうん、わかってくれたらええんや。しかし湯島くん、ちょっと最近の君は神楽くんに肩入れし過ぎちゃう? さっきの話やないけど、仮に神楽くんに原作権を上げたら、売上以前に賞を主催したうちの会社のイメージはガタガタやで。確かに彼の兄ちゃんが、君の命と――」
「副編集長!」
三崎さんが何かを言いかけたところで、いつもやや斜に構えた様子を見せていた湯島さんが突然怒声を発する。
その声は編集部内に響き渡り、何人かの人達が怪訝そうな表情を浮かべながら僕たちの様子を覗き込んできた。
一瞬で醸成された異様な空気。
それを破ってみせたのは、突然フロアの奥から発せられた、澄んだ男性の声であった。
「湯島さんどうしたんですか、大きな声なんか出して。カリカリしてもいい作品なんて作れませんよ」
「神楽……先生」
彼の姿を目にした湯島さんは、先程までの怒気を消し去ると、すぐにまたいつものような冷静さを取り戻す。
それを目にして、神楽先生は一つ頷くとゆっくりとその口を開いた。
「湯島さん。ちょうど今、編集長と話してきたところでして、一応、僕の原作も別の作画の方と一緒に企画を進める方針になりました。貴方に担当をとのことでしたので、また一緒に作品作りを手伝ってもらえませんか」
「はい、それはもちろん構いませんが……」
神楽先生の言葉を受け、湯島さんはやや困惑した表情を浮かべながらも一つ頷く。
その反応を目にして、神楽先生はニコリと微笑んでみせた。
「良かった。それじゃあ、早速打ち合わせと行きましょう。そうそう、音原先生。今回は約束を果たせなかったから、例の件は見送らせてもらうよ。もっとも、まだ君のことを諦めたわけではないけどね」
「いえ、結構です。勝ち負けに関係なく、元々お話をお受けするつもりはありませんでしたし、これからもそれは同じですから」
神楽先生に対して、由那は冷たい口調で、あっさりと拒絶を伝える。
それを受けて、神楽先生は軽く苦笑を浮かべた。
「つれないなぁ。まあ、それはそれでやりがいがあるってものだ。そして黒木くん。今回はお疲れ様、そして受賞おめでとう、君の作品は実に素晴らしかったよ。というわけで、また今度時間のあるときに、君とはまた一度話でもしよう。それじゃあ、失礼するよ」
そう口にすると、神楽先生は湯島さんを連れてさっそうと立ち去っていく。
「なんか負けた人間の素振りとは思えないわね」
「その辺りがプロってことなんでしょう。いけ好かないやつだけど」
由那の言葉に頷きながらも、僕はこの時一つの違和感を覚えていた。由那のことに関しても、またコンテストの結果に関しても、あまりにもその引き際が良すぎた事に。
そうして、そのことを口にすべきか迷っていると、三崎さんが突然僕たちの肩をたたいてきた。
「ごめんな君ら。彼が目にかけとった作家が規約違反で消えた上に、神楽くんも君らに負けた。さらに僕が地雷を踏んでもうたから、不機嫌になるんもしかたないわなあ。正直、変なとこ見せてもうておっちゃんは申し訳なかったわ」
「いえ、その……僕たちは別に」
ただの傍観者以外の何物でもなかった事実から、僕は思わず言葉を濁す。
すると、そんな僕の心境に思いが至ったのか、三崎さんは軽く髪を撫でつけた。
「そうか、なら、編集長んとこいこか」
そう口にするなり、三崎さんは僕らの前に立って、ゆっくりとフロアの奥に向かって歩み出す。
一方、僕には二つの疑問があった。
もちろん一つは三崎さんが言う地雷のこと。
だけど、それはどうにも部外者が触れていいものとは思えなかった。
だからこそ、もう一つの疑問をその背に向かって投げかける。
「あの、さっき言われていた規約違反って、もしかして鴉のことですか?」
「そやそや、なんや知っとたんかいな」
前をゆっくりと歩きながら、三崎さんは背中越しにそう口にする。
「いえ、コンテスト終了直前に、運営に削除されていましたのでそれで気づきまして」
「ああ、それなあ。あれ、湯島くんがベコノベの運営にゆうたんや。違反しとる可能性があるから言うてな。もっとも先方も、下調べは済んどって消すんはタイミングの問題だけやったみたいやけどね」
「そうなんですか」
やはり他の参加者や読者の声が届いてはいたのだろう。
その三崎さんの返答に納得した僕は、納得だとばかりに一人頷く。
「そやで。設定には見どころがある。そう言うて、湯島くんが一次で押しとったからなあ、その分だけ失望も大きかったんやろ。まあ確かに文章力には難があるけど、政治や社会風刺を異世界エンタメに落としこむあの世界観づくりは、ほんま神楽くん並の出来やったからなぁ」
「神楽先生並の世界観……ですか」
三崎さんの言葉に、僕は僅かな引っ掛かりを覚えていた。
しかし、その理由を頭の中で模索し始めるよりも早く、三崎さんは全く異なることを突然僕たちに向かって口にする。
「まあ君ら、後ろを振り返ってもしょうないし、これからのことを担当になるこの僕と一緒に考えようや」
急に告げられた思いもかけぬ事実。
それを耳にした由那は、目を大きく見開く。
「え、でも私の担当は……」
「湯島くんは神楽くんの新作を受け持つことになったんや。さっき編集長と話して決めたとこでね。やから君らは、僕が代わりに担当するゆう話になったんよ」
「えっと……よ、よろしくお願いいたします。副編集長」
僕は慌てて、三崎さんに向かって頭を下げる。
すると、彼は苦笑を浮かべながら、二度首を左右に振った。
「はは、担当になったから、役職で呼ばんとって。三崎ちゃんでも、純ちゃんでも好きに呼んでくれたらええから」
「いや、ちゃん付けはちょっと……ともかく、三崎さん、これからよろしくお願いいたします」
「おう、まかしとき。って言うても、君の今回の原作、めっさおもろいからな、それをそのまま生かしてくれたら、おじさんすることなしや。まあ頑張りや」
そう口にすると、三崎さんはバンバンと僕らの背中を叩いてくる。
由那はやや困惑気な表情を浮かべながらも、改めて感謝の言葉を口にした。
「三崎……さん。本当にありがとうございます」
「やから、おっちゃんは何もしてへんて。ともかく、はよ編集長のとこ行こか。今日は契約の話やなんやかんやあるからね。まあちょっと眠たなるかもしれんけど、君らちゃんと最後まで起きときよ」
三崎さんは笑いながらそう告げると、僕たちを先導する形で、編集部内をまっすぐに歩き始めた。
僕と由那は思わず顔を見合わせると、笑顔で一度頷く。
そして前を行くずんぐりとしたその背中を、僕たちは足早に追いかけていった。




