19 港・前編
急遽お休みをいただきまして申し訳ございませんでした。
寒暖差が激しい今日この頃ですので、皆様もどうぞご自愛くださいませ。
「おやおや、手癖の悪いお嬢様だ」
しばらくして部屋に入ってきた男が軽口のように柔らかく言った。しかし縄を見つめる目は全く笑ってはいない。セレスティーヌは警戒心を強めて床をにじり下がった。
(切れていると解らないよう、縄をあてたつもりだったのに)
セレスティーヌは唇を噛んだ。押える指が不自然だったのか、相手は目敏かった。
反対に男はまじまじと縄を見て首を傾げる。部屋の中を見渡して、縄が削れそうなものがあるか確認したが見当たらない。
窓ガラスを見ても欠けはなく、せいぜい傷んだ家具の金具で擦り切るくらいしか出来ないだろう。
「切り口が刃物ではなさそうだ……どこかで削ったのですか……? ご苦労なことだ」
そう言いながらも猜疑心に満ちた視線が、部屋の中を執拗になぞっている。
「……もしも武器を持っているなら早く出した方がいい」
「そんなものは持っていないわ!」
(もしくは、持っていた瓶を割ったのか?)
再び隠しポケットと靴を入念に確認される。入っていたのは割れなどなく、綺麗なままの小瓶だけであった。
今回は金属の板のようなもので入念にワンピースを叩かれた。痛くはないし、直に触れられないだけマシであろう。
抵抗してもどうしようもないため、セレスティーヌは調べるがままに無抵抗を貫いた。下手に逆らって身包みを剥がれても何もいいことはない。
「金属音も貼りつく感覚もありませんね。武器はお持ちではないようだ」
「……っ!」
言いながらキツく縄を縛り上げる。二度と切られないようになのだろう。
荒縄のチクチクとした感覚と、硬い繊維が皮膚を擦り上げる感覚に危うく声が洩れそうになったセレスティーヌは、慌てて口を引き締めた。
「さあ、移動です」
再び馬車に乗るよう促される。
セレスティーヌは歩きながら建物の中と外とを、注意深く確認する。
仲間らしい男たちはいつの間にかいなくなっており、キャロの姿も見当たらなかった。
無事に外へ出れたようだと思い、ほっとして小さく息を吐くと、再び固い馬車の椅子に座ることとなった。
そして。
馬車を下ろされたのは海のすぐ近くの倉庫であった。
すぐ裏手が海であるのだが、大嵐が来ても、万が一にも波で荷物が濡れないようになのか、小高い場所に建っていた。
かなり下の方に海面が波と風に揺られ、岩にあたっては白く泡立っているかのように見えた。
(……なぜわざわざこんな場所を選んだのかしら)
お互いに逃げ道がない。
たまたまなのかもしれないが、全てに意味があるようでついつい勘ぐってしまう。
セレスティーヌはうすら寒く感じて、後ろ手に縛られたまま肩を窄めた。
「もうじき会えますよ、王子様にね」
男は気負う様子もなくそう言うと、静かに窓の外を見つめた。
******
「何だ、お前たちは」
「漁師でごぜいやす」
紳士が来たらすぐさま出港できるように船の上で準備をしていると、目敏い見回りに声をかけられた。
ランプの光をあてられ、犯罪者たちは眩さに目を細めた。
「……漁師? 許可証はあるか」
「へえ」
太っちょの男は愛想よく笑うと、予め用意していた偽造許可証を手渡した。
見回りはしげしげと見つめると、再び問いかける。
「お前たちはこの辺の漁師か?」
「へえ……?」
どっちつかずの答えを返す。
ただの確認なのか、何か明確な答えを持っていて付きつけようとしているのか判断が難しかった。下手にはっきり答えたら墓穴を掘りかねないので、曖昧にぼかす。
「よく出来ているようだが、この許可証を持っているものはこの港は使わないだろう」
許可証は同じ領内だとしても、地域なのか所属する何某によってどこかにそうと判る違いがあるのだろう。
国で統一されているところ、領地で統一されているところと様々であるが、領内で細かく区分けされているのは手間も掛かるので珍しい。
(……ローゼブルクもサウザンリーフも領地統一だったから、この国は全てそうなのかと思った……)
本来ならそう思っても細かく確認すべきであった。
平和ボケした国だとどこか慢心があったのか、太っちょはしくじりに渋い顔をする。
(あの野郎、適当に売りつけやがって!)
偽造許可証の密売人を思い起こし、心の中で口汚く罵った。
いつもであればここまで厳しい検問があるわけではないので、決して密売人が悪いとも言い切れないのだが、男たちにそんなことはわかる筈もない。
「…………た」
「仮に立ち寄りだとして……入港記録がある筈だ。いつ、どこから来たか説明していただこうか」
目の前の見回りはかなり怪しんでいる。
「…………」
(入港記録?)
犯罪者たちはそっと顔を見合わせた。
この地に来たばかりの頃に、大型の商船や外国の船でもない限り、そのようなものはなかったはずだ。
(……我々を追って、漁船まで制限し始めたのか……!)
ここで躓くわけにはいかない。
少々早いが、奥の手を使うべく痩せぎすの男が懐から別の紙を出して掲げる。
「我々は中央より内密にて、とある調査のためにこちらへ立ち寄っている」
内偵調査などの場合に出される中央の許可証だ。
……内偵なのでほとんどの場合誰の目にも晒されないものであるが、おかしな様子に気づく目敏い者もいるわけで。
こうして尋問して来る人間がいた場合に、身の潔白を証明するためや、時に強引な強制捜査などの際に使用されるのだという。
「中央の許可証か……最新版だねぇ」
後ろの方でやり取りを見ていた男が、見回りの男の背中からひょっこりと顔を覗かせて許可証を見た。
確かに高い金を払う分、最新情報をと念を押した。
万が一使う時に、まさか王を間違える者はいないだろうが、現職の大臣や官僚の名前でないと困るからだ。その辺りは市井の人間には解り難い。よくよく調べて作らないと墓穴を掘ることになる。
面倒なことになりたくないためこれを出せば、大体のことが見逃される筈だが、許可証を確認している顔を見て犯罪者たちは狼狽した。
「ディバイン公爵……!?」
元有名人であるが故、ディバイン公爵の顔を知るものは多い。犯罪者たちも例外ではなかった。
どうすればいいか次の手を考えている間に、他の人間が公爵に問いかけた。
「公爵家に話は?」
「いや、ないねぇ。まあもしもウチを調べていたなら、言ったら内密にならないから報告はして来ないだろうけどねぇ」
確かにである。
その線で行こうと口を開きかけた時、犯罪者たちは再び動きを止めた。
公爵の隣には、綺麗な顔をした男が立っていた。そしてこれ以上ないほどの冷たい目で許可証と犯罪者を見つめている。
『ワン!ワン!』
大型犬が犯罪者たちに向かって勢い良く吠える。
綺麗な顔をした男は犬を撫でると、ピン! と許可証を弾いた。
「よく出来た許可証だ。玉璽に、国王も大臣も。ああ、この見覚えのある、指揮をする役人のサインまでよく似ている……ただ、あいにくこのような書類にサインをした覚えなどはないのだが?」
ゆっくりと偽造許可証が船の甲板に落ち、カサリと微かに音をたてた。
「どういうことか、ゆっくりお話を聞かせていただこうか」
しかめっ面の男が懐に手を入れようとした時、武装した騎士が音をたてて立ち上がった。
完全に包囲されている。
「…………」
犯罪者たちは往生際悪く考えを巡らせたが、絶望的であるということしか導き出せなかった。




